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第40話
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さっそく出た玲の名に、和彦の心臓の鼓動は大きく跳ねる。意識するまいと思っても、顔が強張りそうになる。ゆっくりと息を吐き出して気を静めながら、さりげなく龍造の様子をうかがう。
初めて会ったときにも思ったが、やはり龍造はオシャレだった。ジャケットは脱いでいるものの、ライトブルーのスリーピースで、今晩の集まりが気取らないものであるという表れかノーネクタイだ。やはり髪は後ろで一つに束ねられ、寒い季節だというのに艶々とした肌は日焼けしている。
朗らかさを感じさせながらも、老獪なワンマン経営者を思わせる風体なのは、本人も計算してのことなのかもしれない。両目に宿る鋭さと力強さは、堅気が持つにしては物騒すぎる。それを誤魔化すための外見のアクの強さだと考えれば、しっくりくるのだ。
掘りゴタツとなっているテーブルに御堂と並んで腰掛けると、正面の席に座った龍造が上機嫌といった面持ちで、しかし油断ならない無遠慮な視線を向けてくる。
「けっこうな贅沢だ。特別なオンナを目の前に二人も並べて、メシが食えるなんて」
ドキリとするような龍造の発言に対して、表情を変えることなく御堂が応じる。
「わたしは、〈もう〉違いますよ。何より、デリカシーに欠ける発言はやめてくださいね。笑って受け流せるわたしと違って、佐伯くんはそうではないので。今晩は楽しく食事をするのが目的でしょう?」
「……すっかり怖くなったねー、お前は」
「そうですよ。あなたが知っている頃のわたしとは、違うんです」
「そうだったかな――」
意味ありげな視線を龍造が投げかけ、御堂は無表情で受け止める。そんな二人を控えめに眺めながら、和彦はもうすでに居心地の悪い思いを味わっていた。
龍造と御堂が体を重ねている光景を目にしたのは、遠い過去のことではない。そのとき和彦の隣にいたのは、よりによって龍造の息子である玲だった。おそらく、伊勢崎父子は〈オンナ〉という存在に魅入られている。いや、執着していると言ってもいいかもしれない。玲は、龍造に影響を受けたのだ。
親しげではあるが、腹の探り合いのようなものも透けて見える二人のやり取りに、どんな顔をすればいいのだろうと和彦が困惑していると、仲居たちが鍋などを抱えて部屋に入ってきた。
大きな皿に美しく盛られた牛肉を目にして、ようやく和彦は空腹を自覚する。わずかながら緊張が解れてきたのかもしれない。一方の御堂は、呆れたように呟いた。
「あなたは昔から肉が好きでしたね。そういえば」
「俺はともかく、二人に肉を食わせたくてな。特に、秋慈には。もっと太れよ。あまり痩せていると、また弱って倒れるんじゃないかと、周囲の人間がヒヤヒヤする」
御堂は苦々しい顔となったが、反論はしなかった。
しゃぶしゃぶ用の鍋が準備され、牛肉のブランドなどを仰々しく説明されるが、和彦はほとんど聞いていなかった。どうしても、龍造と御堂のやり取りに意識が向いてしまうのだ。
仲居たちが出ていくと、龍造が景気づけとばかりに手を打つ。
「さあ、たくさん食ってくれ。どんどん追加で肉を運ばせるから、遠慮はいらない」
龍造の勢いに圧される形で、和彦は見事なサシの入った牛肉をダシにくぐらせる。一度箸をつけると、遠慮はなくなった。和彦の様子に目を細めた龍造が、御堂に向けて軽くあごをしゃくる。
「秋慈、お前も食えよ」
軽くため息をついて、御堂も箸を伸ばした。
食事会の主催者である龍造は、人に肉を勧めるわりに、自身はもっぱら飲むほうを楽しんでいるようだった。手酌で、驚くほど速いペースで日本酒を流し込んでいく。このペースに巻き込まれては堪らないと、和彦は明日も仕事があることを理由に、飲み物はお茶だけにしてもらった。
御堂も同じ理由を口にしたが、途端に龍造は気遣わしげな表情となった。
「――……俺より若いのに、お前のほうが先に、養生することになるとはなあ」
「ストレスに対する耐性の違いでしょうね。図太いというか、無神経な人たちが羨ましいですよ」
「俺以外にいるのか? そんなタフな奴が」
ずいっとテーブルに身を乗り出した龍造に対して、ふふ、と御堂が笑う。横で見ていた和彦は、御堂のその表情に寒気に近いものを感じていた。秀麗な横顔に漂ったのは強い者に対する媚びではなく、柔らかな拒絶だった。龍造が入れた探りへの、それが御堂の返事なのだ。
龍造の両目に険が宿るが、ほんの一瞬だ。静かに息を呑む和彦に気づき、ニッと笑って鍋を指さす。
「佐伯先生、早く食わないと、せっかくのいい肉が硬くなる」
「あっ、はいっ……」
初めて会ったときにも思ったが、やはり龍造はオシャレだった。ジャケットは脱いでいるものの、ライトブルーのスリーピースで、今晩の集まりが気取らないものであるという表れかノーネクタイだ。やはり髪は後ろで一つに束ねられ、寒い季節だというのに艶々とした肌は日焼けしている。
朗らかさを感じさせながらも、老獪なワンマン経営者を思わせる風体なのは、本人も計算してのことなのかもしれない。両目に宿る鋭さと力強さは、堅気が持つにしては物騒すぎる。それを誤魔化すための外見のアクの強さだと考えれば、しっくりくるのだ。
掘りゴタツとなっているテーブルに御堂と並んで腰掛けると、正面の席に座った龍造が上機嫌といった面持ちで、しかし油断ならない無遠慮な視線を向けてくる。
「けっこうな贅沢だ。特別なオンナを目の前に二人も並べて、メシが食えるなんて」
ドキリとするような龍造の発言に対して、表情を変えることなく御堂が応じる。
「わたしは、〈もう〉違いますよ。何より、デリカシーに欠ける発言はやめてくださいね。笑って受け流せるわたしと違って、佐伯くんはそうではないので。今晩は楽しく食事をするのが目的でしょう?」
「……すっかり怖くなったねー、お前は」
「そうですよ。あなたが知っている頃のわたしとは、違うんです」
「そうだったかな――」
意味ありげな視線を龍造が投げかけ、御堂は無表情で受け止める。そんな二人を控えめに眺めながら、和彦はもうすでに居心地の悪い思いを味わっていた。
龍造と御堂が体を重ねている光景を目にしたのは、遠い過去のことではない。そのとき和彦の隣にいたのは、よりによって龍造の息子である玲だった。おそらく、伊勢崎父子は〈オンナ〉という存在に魅入られている。いや、執着していると言ってもいいかもしれない。玲は、龍造に影響を受けたのだ。
親しげではあるが、腹の探り合いのようなものも透けて見える二人のやり取りに、どんな顔をすればいいのだろうと和彦が困惑していると、仲居たちが鍋などを抱えて部屋に入ってきた。
大きな皿に美しく盛られた牛肉を目にして、ようやく和彦は空腹を自覚する。わずかながら緊張が解れてきたのかもしれない。一方の御堂は、呆れたように呟いた。
「あなたは昔から肉が好きでしたね。そういえば」
「俺はともかく、二人に肉を食わせたくてな。特に、秋慈には。もっと太れよ。あまり痩せていると、また弱って倒れるんじゃないかと、周囲の人間がヒヤヒヤする」
御堂は苦々しい顔となったが、反論はしなかった。
しゃぶしゃぶ用の鍋が準備され、牛肉のブランドなどを仰々しく説明されるが、和彦はほとんど聞いていなかった。どうしても、龍造と御堂のやり取りに意識が向いてしまうのだ。
仲居たちが出ていくと、龍造が景気づけとばかりに手を打つ。
「さあ、たくさん食ってくれ。どんどん追加で肉を運ばせるから、遠慮はいらない」
龍造の勢いに圧される形で、和彦は見事なサシの入った牛肉をダシにくぐらせる。一度箸をつけると、遠慮はなくなった。和彦の様子に目を細めた龍造が、御堂に向けて軽くあごをしゃくる。
「秋慈、お前も食えよ」
軽くため息をついて、御堂も箸を伸ばした。
食事会の主催者である龍造は、人に肉を勧めるわりに、自身はもっぱら飲むほうを楽しんでいるようだった。手酌で、驚くほど速いペースで日本酒を流し込んでいく。このペースに巻き込まれては堪らないと、和彦は明日も仕事があることを理由に、飲み物はお茶だけにしてもらった。
御堂も同じ理由を口にしたが、途端に龍造は気遣わしげな表情となった。
「――……俺より若いのに、お前のほうが先に、養生することになるとはなあ」
「ストレスに対する耐性の違いでしょうね。図太いというか、無神経な人たちが羨ましいですよ」
「俺以外にいるのか? そんなタフな奴が」
ずいっとテーブルに身を乗り出した龍造に対して、ふふ、と御堂が笑う。横で見ていた和彦は、御堂のその表情に寒気に近いものを感じていた。秀麗な横顔に漂ったのは強い者に対する媚びではなく、柔らかな拒絶だった。龍造が入れた探りへの、それが御堂の返事なのだ。
龍造の両目に険が宿るが、ほんの一瞬だ。静かに息を呑む和彦に気づき、ニッと笑って鍋を指さす。
「佐伯先生、早く食わないと、せっかくのいい肉が硬くなる」
「あっ、はいっ……」
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