996 / 1,268
第40話
(8)
しおりを挟む
聞こえよがしにぼやくと、肩に賢吾の手がかかってドキリとする。そのまま抱き寄せられるのではないかと身構えたが、軽くポンポンと叩かれただけで、すぐに手は離れた。さすがに、周囲に人がいる状況で、賢吾もそこまで大胆ではなかったようだ。
自分だけが動揺させられたようで悔しくて、恨みがましい視線を向ける。一方の賢吾も、意味ありげな流し目を寄越してきた。
「――そんな顔をするぐらい、俺のことが聞きたいなら、失敗した結婚の話をしてやろうか? 聞いて気持ちのいいものじゃないぞ。俺の人生において数少ない修羅場の一つだ」
「絶対、ウソだ」
「何がウソだ」
「あんたみたいな男が、モテないはずがないだろう。それこそ、修羅場なんていくらでもあるはずだ。……いちいち覚えられていられないぐらい」
「……先生が言うと重みがあるな」
賢吾のとぼけた口ぶりに、なんと返そうかと考えているうちに、再び肩に手がかかり、ぐいっと引き寄せられた。半ば強引に方向転換させられて立ち止まったのは、グッズが売っているショップの前だった。
ショップの前に置かれたワゴン台には、大小の可愛い馬のぬいぐるみや、こまごまとしたグッズが積まれており、子供たちが歓声を上げて眺めている。
「千尋に、キーホルダーの一つでも土産で買って帰ってやるか……」
賢吾の呟きを耳にして、和彦は顔をしかめる。
「嫌がらせになるんじゃないか、それは」
「先生には、でかい馬のぬいぐるみを買ってやろう」
「嫌がらせだなっ」
楽しそうに笑った賢吾だが、ふいに何か思案するようにあごに手をやり、まじまじとワゴン台を眺める。和彦は、そんな賢吾の横顔を眺める。
ふっと我に返ったようにこちらを見た賢吾に促され、競馬場をあとにする。
次にどこに向かうのか、現場に到着するまで一切知らされない和彦は、車に乗り込むと、黙ってシートを倒す。歩き回っているうちに気にならなくなっていたのだが、一息ついた途端、筋肉痛であることを思い出した。
カーナビを操作していた賢吾が、そんな和彦をちらりと見て口元を綻ばせる。
「今度から、デートに出かける前日は、ジムで体を動かすのはほどほどにしてくれと言っておかねーとな」
「ということは、また誘ってくれるのか」
「次は先生から誘うってのはどうだ?」
「――……考えておく」
それは楽しみだと言って、賢吾が車を出す。最初はぼんやりと外を流れる景色を眺めていた和彦だが、すぐにウトウトし始める。賢吾が話しかけてきたが、もう口を動かすことも億劫だった。
頬に軽く触れる感触があった。それが暖房の風なのか、革手袋越しの賢吾の手の感触だったのか、確認できなかった。
ホテルの部屋に入った和彦は、ダッフルコートをソファに置いてから、広々としたベッドにうつ伏せで横になる。
思いきり手足を伸ばすと、気持ちよくて吐息が洩れる。ホテル内のレストランでとった夕食も美味しくて、このまま充実感に浸りながら眠ってしまいたいところだ。
とにかくよく動いた一日だった。それに、よくしゃべったと思う。
和彦はパッと目を開くと、意識しないまま自分が笑みを浮かべていることに気づき、一人恥じ入る。今日一日楽しかったという気持ちが、全身から漏れ出ているようだった。
そもそも今日は、賢吾の誕生日を祝うために、行動を共にしたのだが。
ベッドの上をもそもそと動いて体の向きを変えると、携帯電話を耳に当てた賢吾が部屋に戻ってくる。
「ああ、無事にホテルに入った。報告するようなトラブルもないな。――先生の機嫌も上々だ」
電話に向かって報告しながら、賢吾の目線はしっかりと和彦へと向いている。
「……ぼくの機嫌がよくても仕方ないだろ。あんたの誕生日なんだから」
今日はもう誰の電話も出ないつもりか、携帯電話の電源を切った賢吾に話しかける。
「先生が隣でにこにこして、いつになく饒舌でいてくれたことが、俺には何よりの誕生日プレゼントだが?」
「そういう……、恥ずかしい台詞を堂々と言えるということは、あんたも機嫌がいいんだな」
「もちろんだ」
賢吾は、自分のチェスターコートだけではなく、和彦のダッフルコートもハンガーにかけてクローゼットに仕舞うと、静かにベッドに歩み寄ってくる。レストランで飲んだワインのせいばかりではなく、和彦の全身がじわじわと熱くなってきた。
「風呂は今、湯を溜めているから、一緒に入るぞ。時間がもったいない」
どういう意味だと問うのもあざといので、黙って頷いておく。ふっと目元を和らげた賢吾がベッドに乗り上がり、和彦の肩を掴んでくる。真上から見下ろされ、搦め捕られたように目を逸らせなくなっていた。
自分だけが動揺させられたようで悔しくて、恨みがましい視線を向ける。一方の賢吾も、意味ありげな流し目を寄越してきた。
「――そんな顔をするぐらい、俺のことが聞きたいなら、失敗した結婚の話をしてやろうか? 聞いて気持ちのいいものじゃないぞ。俺の人生において数少ない修羅場の一つだ」
「絶対、ウソだ」
「何がウソだ」
「あんたみたいな男が、モテないはずがないだろう。それこそ、修羅場なんていくらでもあるはずだ。……いちいち覚えられていられないぐらい」
「……先生が言うと重みがあるな」
賢吾のとぼけた口ぶりに、なんと返そうかと考えているうちに、再び肩に手がかかり、ぐいっと引き寄せられた。半ば強引に方向転換させられて立ち止まったのは、グッズが売っているショップの前だった。
ショップの前に置かれたワゴン台には、大小の可愛い馬のぬいぐるみや、こまごまとしたグッズが積まれており、子供たちが歓声を上げて眺めている。
「千尋に、キーホルダーの一つでも土産で買って帰ってやるか……」
賢吾の呟きを耳にして、和彦は顔をしかめる。
「嫌がらせになるんじゃないか、それは」
「先生には、でかい馬のぬいぐるみを買ってやろう」
「嫌がらせだなっ」
楽しそうに笑った賢吾だが、ふいに何か思案するようにあごに手をやり、まじまじとワゴン台を眺める。和彦は、そんな賢吾の横顔を眺める。
ふっと我に返ったようにこちらを見た賢吾に促され、競馬場をあとにする。
次にどこに向かうのか、現場に到着するまで一切知らされない和彦は、車に乗り込むと、黙ってシートを倒す。歩き回っているうちに気にならなくなっていたのだが、一息ついた途端、筋肉痛であることを思い出した。
カーナビを操作していた賢吾が、そんな和彦をちらりと見て口元を綻ばせる。
「今度から、デートに出かける前日は、ジムで体を動かすのはほどほどにしてくれと言っておかねーとな」
「ということは、また誘ってくれるのか」
「次は先生から誘うってのはどうだ?」
「――……考えておく」
それは楽しみだと言って、賢吾が車を出す。最初はぼんやりと外を流れる景色を眺めていた和彦だが、すぐにウトウトし始める。賢吾が話しかけてきたが、もう口を動かすことも億劫だった。
頬に軽く触れる感触があった。それが暖房の風なのか、革手袋越しの賢吾の手の感触だったのか、確認できなかった。
ホテルの部屋に入った和彦は、ダッフルコートをソファに置いてから、広々としたベッドにうつ伏せで横になる。
思いきり手足を伸ばすと、気持ちよくて吐息が洩れる。ホテル内のレストランでとった夕食も美味しくて、このまま充実感に浸りながら眠ってしまいたいところだ。
とにかくよく動いた一日だった。それに、よくしゃべったと思う。
和彦はパッと目を開くと、意識しないまま自分が笑みを浮かべていることに気づき、一人恥じ入る。今日一日楽しかったという気持ちが、全身から漏れ出ているようだった。
そもそも今日は、賢吾の誕生日を祝うために、行動を共にしたのだが。
ベッドの上をもそもそと動いて体の向きを変えると、携帯電話を耳に当てた賢吾が部屋に戻ってくる。
「ああ、無事にホテルに入った。報告するようなトラブルもないな。――先生の機嫌も上々だ」
電話に向かって報告しながら、賢吾の目線はしっかりと和彦へと向いている。
「……ぼくの機嫌がよくても仕方ないだろ。あんたの誕生日なんだから」
今日はもう誰の電話も出ないつもりか、携帯電話の電源を切った賢吾に話しかける。
「先生が隣でにこにこして、いつになく饒舌でいてくれたことが、俺には何よりの誕生日プレゼントだが?」
「そういう……、恥ずかしい台詞を堂々と言えるということは、あんたも機嫌がいいんだな」
「もちろんだ」
賢吾は、自分のチェスターコートだけではなく、和彦のダッフルコートもハンガーにかけてクローゼットに仕舞うと、静かにベッドに歩み寄ってくる。レストランで飲んだワインのせいばかりではなく、和彦の全身がじわじわと熱くなってきた。
「風呂は今、湯を溜めているから、一緒に入るぞ。時間がもったいない」
どういう意味だと問うのもあざといので、黙って頷いておく。ふっと目元を和らげた賢吾がベッドに乗り上がり、和彦の肩を掴んでくる。真上から見下ろされ、搦め捕られたように目を逸らせなくなっていた。
41
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる