血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
991 / 1,268
第40話

(3)

しおりを挟む
 中嶋が軽く声を洩らして笑うが、和彦は到底そんな気分にはなれない。今回の長嶺組の処置はあくまで、連絡ミスによって起きた第二遊撃隊の不手際に対するものだが、クリニックでの南郷との出来事が知られれば、こんなものでは済まないだろう。
 南郷は、それでもあえて危険を冒した。賢吾や長嶺組を刺激したいがために――という可能性に気づくと、和彦はひどく冷静な目で、南郷や第二遊撃隊を観察したくなるのだ。臆病な小動物のように、身を潜め、慎重に。
 自分の進言次第で、賢吾はいくらでも厳しい処分を第二遊撃隊に与えかねないが、そのことによって、長嶺組と総和会の不和を招きたくない。現に、中嶋の話ではすでにもう噂が立っているというのだ。
 和彦がタオルで口元を押さえてじっと考え込んでいると、中嶋が身を乗り出してきた。
「もしかして、気分が悪いんですか?」
「あっ、いや……。南郷さんに、ぼくにかまうのはやめるよう、君からもきつく言ってもらえないだろうかと思って」
 中嶋が真顔で首を横に振り、案の定な反応に、和彦としては笑うしかない。
「――本気で、どうにかしてほしいんだ。最近、ぼくのほうはいろいろあって、あまり余裕がない」
「先生はいつだって、『いろいろ』あるでしょう」
「だからこそ、限界がある。身を切る思いで、自分で対処しないといけないことがあって、南郷さんからちょっかいをかけられたくない」
 なぜか中嶋が、探るような視線を向けてくる。和彦が首を傾げると、今度は露骨に大きなため息をつかれた。
「南郷さんのことで、『ちょっかい』と表現できる先生は、本当に大物だと思いますよ」
「……言っておくけど、ぼくは今回の件は――今回の件も、本気で怒っているんだ。だけど、感情のままに組長に泣きついたら、どんな事態になるか……」
「怒り下手なんですよ、先生は。周囲の様子にあれこれと気を配りすぎて、自分の感情を後回しにするでしょう。最近、怒りを爆発させるとか、せめて声を荒らげるとか、したことあります?」
 どうだったかなー、と視線をさまよわせて和彦が呟くと、なぜか中嶋に背をさすられた。
 いくらか汗も引き、足のだるさも落ち着いたので、次のマシーンへと二人で向かう。ふと、自分の心情にぴったりの言葉が頭に浮かび、さらりと口を突いて出ていた。
「多分ぼくは、誰にも嫌われたくないんだ。この世界で、扱いにくいとか思われて、もういらないと言われるのを恐れてる」
「先生みたいな人でも、そんなこと思うんですね」
「放り出されたら、この先どうやって生きていこうか考えて、怖くなることがある。ぼくなんかを、みんながあまりにちやほやしてくれるから、前はどうやって生活していたか、忘れかけているんだ」
 俊哉や英俊に感じる恐れと、南郷に感じる不快さに共通するのは、心地いい環境を脅かす存在であるという点だろう。そして、近づいてはいけないのに近づかざるをえない。そんな自分への歯痒さと口惜しさ。
 並んで筋トレ用のマシーンのシートに座ると、ハンドルを握った和彦はゆっくりとバーを持ち上げる。少し負荷がきついなと思っていると、隣でしみじみといった口調で中嶋が洩らした。
「初めて、俺と先生が会ったときのことをはっきりと覚えているだけに、今の先生の言葉は感じ入るものがありますね。――あのときの先生は何もかもにおっかなびっくりという様子で、柄にもなく俺は、庇護欲めいたものを刺激されていたんですよ」
「長嶺組長の前で、そういうことは言わないでくれよ。シャレにならない部分があるから」
「俺、嫉妬の炎が延焼して、焼かれますか?」
 冗談めかした台詞に、和彦は短く噴き出す。その拍子に力が抜けてしまい、せっかく持ち上げたバーが下りてくる。今日は無理はせずウェイトを減らすことにした。
 やはり、中嶋に声をかけておいて正解だったようだ。気楽な会話が、昨日から強張っていた気持ちをいくらか解してくれる。
 自分の気分転換に、半ば無理矢理つき合わせているという気がしなくもないが――と、多少の申し訳なさを和彦は噛み締める。一方の中嶋も、こんなことを言った。
「――先生の力になりたいですけど、残念なことに俺は隊ではまだ、発言力なんてほとんどありませんから……」
「だとしても、今でも十分、君には世話になってるよ。君がいてくれるおかげで、ぼくは救われている部分があるんだ」
「そう言ってもらえると、こちらのほうが救われます。……先生をトラブルに巻き込んだ前科がある身なので」
 なんのことかと考えたのは一瞬で、すぐに和彦は微苦笑を洩らす。中嶋との間には、確かにトラブルめいたものがいくつかあった。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...