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第40話
(1)
しおりを挟む呼出し音が途切れてまず和彦の耳に届いたのは、非難がましいため息だった。そんなものを聞かされて平静でいられるほど、人間ができていない和彦は、反射的に電話を切りたくなった。
もともと大してあるわけではない勇気を、これでも振り絞って電話をかけたのだ。自分の兄――英俊に。
「……都合が悪いなら、かけ直すけど」
控えめに提案すると、再びため息が返ってくる。いつになく英俊の機嫌は悪いようだが、そもそも自分の前でよかったことなどなかったなと、自虐でもなんでもなく、淡々と和彦は思う。
「携帯に着信が残っていたから、気になったんだ。用がないなら、別に――」
『父さんから聞いた。……昨日』
一瞬、意味がわからなかったが、英俊の声から滲み出る静かな怒りで察しがついた。
今度は和彦がため息をつく番で、書斎のイスに深く腰掛けると、視線を天井に向ける。素早く計算したのは、俊哉と対面してから昨日までの日数だった。
「昨日……」
『そうだ。昨日まで、秘密にされていた』
こう告げられた瞬間、和彦の脳裏を過ったものがある。英俊に対する、俊哉の冷ややかとすらいえる厳しい評価の言葉だった。もし仮に、あの場に英俊がいたとしても、俊哉は同じことを口にしていただろうかと、つい余計なことまで考える。
「……父さんなりに思うところがあったんだろう。行方不明になっていた不肖の息子と、ようやく会って話せたなんて、誰にでも打ち明けられるものじゃないし」
電話の向こうで英俊が息を呑む気配がした。すぐに異変を察した和彦の胸が、不安にざわつく。
「兄さん……?」
『会ったのか、父さんに――』
呆然としたように英俊が呟き、十秒近くの間を置いてから和彦はゆっくりと目を見開く。鎌をかけられた挙げ句に、あっさりと自分が引っかかったと気づいた。
自宅マンションの書斎にこもって電話をかけているのだが、急に落ち着かなくなり、立ち上がる。英俊が黙り込んでしまったため、うろうろと書斎の中を歩き回る。
昨夜、三田村もいる部屋で電話をかけなくてよかったと、心の底から和彦は思った。こんな姿を、あの優しい男には見せたくない。携帯電話に残された着信表示が英俊からのものだとすぐにわかったため、あえて時間を置いたのだ。日中、クリニックで仕事をしている間も、着信履歴がどんどん増えていき、一体何事なのかと気が気でなかった。
『――ここ最近、父さんのスケジュールが空白になっていることがあった。その空白の時間に何をやっているか、省内の誰も掴めない。もちろん、わたしも。帰宅時間も遅いときがあり、外で誰かと会っている節があった』
「別に……、それ自体は珍しいことじゃないだろう。ぼくが実家にいる頃も、そういうことは何度もあった」
暗に、秘匿とすべき俊哉の女性関係を仄めかす。和彦も英俊ももう子供ではなく、露骨な言葉を使ってもよかったのだが、それは多分、潔癖症のきらいがある兄への嫌がらせになりかねないと、自重した。
潔癖症だから、今の和彦の立場を嫌悪し、和彦が生まれた経緯も憎悪しているのだ。
『わたしもそうかと思ったが、すぐに違うと気づいた。……あの父さんが、機嫌がいいんだ。楽しそうというか』
「だったら、ぼくは関係ないだろう。父さんが、ぼくに関わることで機嫌がよくなるなんて、普通に考えてありえない」
話しながら、妙なところで自分たち兄弟はある感覚を共有しているのだなと、実感していた。
俊哉は、情の乏しい怪物なのだ。和彦はそんな俊哉を恐れ、英俊は尊敬している。
『今現在、父さんを煩わせている問題はお前のことだけで、その問題が片付くというなら、様子が変わっても不思議じゃない』
「……それを父さんに確かめた?」
数秒の間を置いて、いや、と短い一言が返ってきた。
奇妙な違和感を覚えて和彦は、正直戸惑っていた。英俊といえば、弟に対しては常に吐き捨てるような、傲慢とすらいえる物言いが特徴的で、それに和彦も慣れきっているのだが、今は様子が違う。まるで慎重に、和彦の反応をうかがっているようだ。
和彦はおそるおそる問いかけた。
「もしかして兄さん、何かあったんじゃ……」
『何もないっ。お前はただ、わたしの質問にさっさと答えればいいんだ。父さんに会ったのか、何を話したのか。そもそもお前と父さんを引き合わせたのは誰なのか。知っていることを全部言えっ。わたしを、のけ者にするなっ……』
英俊にまくし立てられ、子供の頃からの染み付いた習性として身が竦む。しかし、和彦はもう子供ではない。
魔が差したように、電話に向かって囁きかけていた。
「――……本当に父さんから、何も教えられてないんだ?」
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