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第39話
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「嫌な、感じだ……」
南郷に体に触れられるのも嫌だったが、その南郷に賢吾が煩わされていると思うと、強い苛立ちを覚える。同時に、対処を他人任せにするしかない自分がもどかしい。
大事に扱ってくれる男たちに、せめて自分は何ができるだろうかと考える。佐伯家の事情に巻き込みたくないとは思っているが、和彦を取り巻く問題はそれだけではない。総和会と長嶺組の関係に、長嶺の男同士の関係も深く関わってくるのだ。
帰宅したら、せめて賢吾に電話しておこうと思っているうちに、車の心地よい振動に促されるように眠気が強くなり、抗えなかった。ほうっと吐息を洩らして目を閉じる。
軽い居眠りのつもりだったがしっかり寝入ってしまったらしく、軽く肩を揺すられる感触に、和彦の意識は少しだけ浮上する。
先生、と控えめに呼ばれて、夢を見ているのだと思ったが、冷たい空気に頬を撫でられて、眠気は一気に霧散した。パッと目を開けると、なぜか三田村の顔が近くにあった。状況がわからず硬直する和彦に、三田村は優しい眼差しを向けてくる。
「もう少しだけがんばってくれ」
耳に馴染むハスキーな声で言われ、意味がわからないまま頷いた和彦はシートベルトを外し、差し出された手を反射的に掴む。車を降りてすぐに、小さく声を洩らす。自宅マンションに帰り着いたとばかり思っていたが、そうではなかった。三田村が、和彦との逢瀬のために借りているマンションの前に、車が停まっていたのだ。
いまだに状況が掴めず戸惑う和彦の傍らで、三田村は護衛の組員たちと手短に会話を交わし、荷物を受け取っている。
「行こうか、先生」
三田村に促され、我に返った和彦はぎこちなく歩き出しながら、その場に留まっている組員たちを振り返る。心配ないと言いたげに、頷いて返された。
組員たちの姿が見えなくなり、車が走り去る音がしてから、ようやく口を開く。
「――……こんな予定だなんて、聞かされてなかった」
言ったあとで、なんだか非難がましくなってしまったと、和彦は慌てて言い募る。
「嫌というわけじゃなくてっ……、今晩は部屋に戻ったら、さっさと寝るだけだと思っていたから、びっくりしたんだ。誰も何も言ってくれなかったし、何かあるなんて素振りも見せなかったし」
「昼過ぎに、組長から連絡があったんだ。今日の先生は一人にしておきたくないが、本宅のほうはちょっとピリピリしているから、俺に任せたいと」
「ピリピリって……、何かあったのか?」
「先生が昼間、クリニックの近くで第二遊撃隊の隊員と接触した件で、組長の機嫌が悪い。先生の護衛を担当している組員たちも、少なからず気分を害している。まあ、本宅の空気が悪いから、先生に触れさせたくないということだ」
部屋のドアを開けた三田村の手が肩にかかり、和彦は玄関に足を踏み入れる。先に訪れた三田村がいろいろと準備していたらしく、部屋は暖められ、いい匂いもしている。何かと思えば、テーブルの上にはすでに夕食が準備されていた。
和彦が物言いたげな視線を向けると、三田村は苦笑いを浮かべる。
「安心してくれ。笠野が、本宅で作ったものを持たせてくれたんだ」
「……ずいぶん、気をつかってくれたんだな。ぼくは別に、今日の昼間のことで落ち込んだり、荒れたりはしてないのに」
「今日のことだけじゃない。昨夜は遅くまで患者の治療をしていたそうだし、それ以前は……、自分の父親と会って塞ぎ込んでいただろう。やっと先生が落ち着いてくれたと、本宅の者はほっとしていたんだ。それなのに――」
何も言えず和彦は立ち尽くす。十分わかっていたつもりだが、改めて自分は、男たちに見守られながら生活しているのだと思い知らされていた。
まずは着替えるよう勧められた和彦は、思わず破顔する。
「だったら、あんたもだな」
三田村は自分の格好を見下ろし、納得したように頷く。相変わらずの地味な色のスーツ姿なのだ。
ベッドの上に置かれた着替えのスウェットの上下に手を伸ばそうとした和彦だが、背後で気配を感じて振り返る。こちらに背を向けた三田村が、さっそくジャケットを脱いでワイシャツのボタンを外そうとしていた。和彦は羽織っていたコートを足元に落とすと、忍び足で三田村に近づき、思いきって背に抱きつく。
何日ぶりかに感じる三田村の体温と匂いに、ほっと吐息が洩れた。長く会えなかったというわけではないし、電話で連絡を取り合ってはいたのだが、突然の俊哉との対面以降、精神的に浮沈の激しい日々を過ごしていた身には、物静かで誠実な男の存在がじんわりと心に染み入る。
本宅で過ごす間は、濃厚な情を賢吾と千尋から注がれ、満たされていたというのに――。
南郷に体に触れられるのも嫌だったが、その南郷に賢吾が煩わされていると思うと、強い苛立ちを覚える。同時に、対処を他人任せにするしかない自分がもどかしい。
大事に扱ってくれる男たちに、せめて自分は何ができるだろうかと考える。佐伯家の事情に巻き込みたくないとは思っているが、和彦を取り巻く問題はそれだけではない。総和会と長嶺組の関係に、長嶺の男同士の関係も深く関わってくるのだ。
帰宅したら、せめて賢吾に電話しておこうと思っているうちに、車の心地よい振動に促されるように眠気が強くなり、抗えなかった。ほうっと吐息を洩らして目を閉じる。
軽い居眠りのつもりだったがしっかり寝入ってしまったらしく、軽く肩を揺すられる感触に、和彦の意識は少しだけ浮上する。
先生、と控えめに呼ばれて、夢を見ているのだと思ったが、冷たい空気に頬を撫でられて、眠気は一気に霧散した。パッと目を開けると、なぜか三田村の顔が近くにあった。状況がわからず硬直する和彦に、三田村は優しい眼差しを向けてくる。
「もう少しだけがんばってくれ」
耳に馴染むハスキーな声で言われ、意味がわからないまま頷いた和彦はシートベルトを外し、差し出された手を反射的に掴む。車を降りてすぐに、小さく声を洩らす。自宅マンションに帰り着いたとばかり思っていたが、そうではなかった。三田村が、和彦との逢瀬のために借りているマンションの前に、車が停まっていたのだ。
いまだに状況が掴めず戸惑う和彦の傍らで、三田村は護衛の組員たちと手短に会話を交わし、荷物を受け取っている。
「行こうか、先生」
三田村に促され、我に返った和彦はぎこちなく歩き出しながら、その場に留まっている組員たちを振り返る。心配ないと言いたげに、頷いて返された。
組員たちの姿が見えなくなり、車が走り去る音がしてから、ようやく口を開く。
「――……こんな予定だなんて、聞かされてなかった」
言ったあとで、なんだか非難がましくなってしまったと、和彦は慌てて言い募る。
「嫌というわけじゃなくてっ……、今晩は部屋に戻ったら、さっさと寝るだけだと思っていたから、びっくりしたんだ。誰も何も言ってくれなかったし、何かあるなんて素振りも見せなかったし」
「昼過ぎに、組長から連絡があったんだ。今日の先生は一人にしておきたくないが、本宅のほうはちょっとピリピリしているから、俺に任せたいと」
「ピリピリって……、何かあったのか?」
「先生が昼間、クリニックの近くで第二遊撃隊の隊員と接触した件で、組長の機嫌が悪い。先生の護衛を担当している組員たちも、少なからず気分を害している。まあ、本宅の空気が悪いから、先生に触れさせたくないということだ」
部屋のドアを開けた三田村の手が肩にかかり、和彦は玄関に足を踏み入れる。先に訪れた三田村がいろいろと準備していたらしく、部屋は暖められ、いい匂いもしている。何かと思えば、テーブルの上にはすでに夕食が準備されていた。
和彦が物言いたげな視線を向けると、三田村は苦笑いを浮かべる。
「安心してくれ。笠野が、本宅で作ったものを持たせてくれたんだ」
「……ずいぶん、気をつかってくれたんだな。ぼくは別に、今日の昼間のことで落ち込んだり、荒れたりはしてないのに」
「今日のことだけじゃない。昨夜は遅くまで患者の治療をしていたそうだし、それ以前は……、自分の父親と会って塞ぎ込んでいただろう。やっと先生が落ち着いてくれたと、本宅の者はほっとしていたんだ。それなのに――」
何も言えず和彦は立ち尽くす。十分わかっていたつもりだが、改めて自分は、男たちに見守られながら生活しているのだと思い知らされていた。
まずは着替えるよう勧められた和彦は、思わず破顔する。
「だったら、あんたもだな」
三田村は自分の格好を見下ろし、納得したように頷く。相変わらずの地味な色のスーツ姿なのだ。
ベッドの上に置かれた着替えのスウェットの上下に手を伸ばそうとした和彦だが、背後で気配を感じて振り返る。こちらに背を向けた三田村が、さっそくジャケットを脱いでワイシャツのボタンを外そうとしていた。和彦は羽織っていたコートを足元に落とすと、忍び足で三田村に近づき、思いきって背に抱きつく。
何日ぶりかに感じる三田村の体温と匂いに、ほっと吐息が洩れた。長く会えなかったというわけではないし、電話で連絡を取り合ってはいたのだが、突然の俊哉との対面以降、精神的に浮沈の激しい日々を過ごしていた身には、物静かで誠実な男の存在がじんわりと心に染み入る。
本宅で過ごす間は、濃厚な情を賢吾と千尋から注がれ、満たされていたというのに――。
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