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第39話
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店を出ても、さすがに組員はすぐに駆け寄ってきたりはしなかった。和彦は真っ直ぐクリニックに戻るわけにはいかず、とりあえずコンビニに立ち寄り、何げないふうを装って雑誌コーナーの前に立つ。
一分ほど遅れて、組員が静かに隣に立ち、雑誌を手にした。
「――あのガキ、総和会の第二遊撃隊の者ですね」
その通りなのだが、吐き捨てるような『ガキ』呼ばわりに、和彦は苦笑する。
「ああ。南郷さんから頼まれたと言って、これを持ってきた」
和彦は、紙袋を軽く掲げて見せる。当然のことながら組員は、なぜ、という顔をした。
「ぼくに無礼を働いたから、お詫びのつもりらしい。それと、さっき一緒にいた子を、そのうちぼくの世話係にしたいと考えているようだ」
「申し訳ないですが、その、先生に対する無礼というのをこちらは把握してないのですが。よろしければ、教えてもらっていいですか?」
不本意ながら和彦は、南郷が小野寺にした説明に倣う。さすがに、〈大事なもの〉についてまでは聞かれなかった。
「……まったく、あちらには困りますね。うちにはなんの連絡も入ってませんよ」
「ぼくを、あちら側の人間なんだから、わざわざ連絡する必要はないと思っているのかもしれない。もしくは、嫌がらせ――」
組員は不快そうに顔をしかめたあと、小さく舌打ちしたが、和彦の視線に気づいて慌てて謝罪してきた。
「すみません。一番困っているのは、先生なのに」
「困るというか、なんというか……。ぼくだって舌打ちの一つもしたいけど、振り回されすぎて、その元気もない」
力ない声でぼやいた和彦は栄養ドリンクを一本買うと、組員に見送られながらクリニックへと戻った。
今日は賢吾からよくメールが送られてきたと、クリニックを施錠した和彦はエレベーターホールに向かいながら思う。
午前中は、昨夜治療した昭政組組員の様子を知らせる内容だったが、午後からは、小野寺が接触してきたことに関する内容へと変わった。
護衛の組員から報告を受けたというメールに始まり、さっそく総和会、さらには第二遊撃隊にまで連絡を入れたらしい。診察の合間にメールをチェックしていた和彦だが、珍しく賢吾が逐一状況を知らせてくるため、次第に大事になっているようで、気が気でなかった。
何より気がかりだったのは、南郷の口から、クリニックでの出来事が賢吾に伝わるのではないかということだ。最後に届いたメールを読む限りでは、連絡の行き違いということで南郷が詫びる形で収まったようだが、実際のところ、どんなやり取りが交わされたのか、和彦には知りようがない。
下手に賢吾に確認を取ろうものなら、恐ろしい大蛇の尾を踏みかねなかった。
仕事の忙しさによる疲労に、精神的疲労と睡眠不足まで重なり、エレベーターに乗り込む和彦の足取りは覚束ない。エレベーターが一階に降りるまでのわずかな間にすら、立ったまま意識が飛んでいきそうになる。
なんとか迎えの車に乗り込むと、身を投げ出すようにしてシートにもたれかかっていた。目を閉じながら和彦は、手探りでシートベルトを締める。
「あー、疲れた……」
独り言のように呟くと、あとはもう口を動かすことすら億劫になる。今日の賢吾の様子を聞いておきたいと考えていたのだが、車が静かに走り始めたときには、和彦の意識は半ば眠気に搦め捕られていた。それでもなんとか、これだけは確認しておく。
「今日、本宅に寄らなくて、いいのかな……。組長に、面倒をかけたようだから――」
「先生が気に病む必要はありません。すでにもう、南郷隊長と組長の間で話はつきましたから。クリニックとその周辺に、長嶺組の許可なく接近することを一切禁じる、と書面を交わすことになったそうです」
案の定、大事になっている。これまでは暗黙のルールであったものが、とうとう明文化されるのだ。
苦々しい気持ちになった和彦だが、一方で、南郷に対してわずかながら溜飲が下がる思いもあった。非力な自分に対して傍若無人に振る舞う男が、より強い力を持つ男には頭を下げざるをえないのだ。その光景を想像すると、暗い愉悦を覚えそうになるが、すぐに和彦は我に返る。
南郷は愚鈍ではない。むしろ、粗野で暴力的な印象を与える見た目とは裏腹に、頭が切れ、繊細な気遣いができる。和彦に対しては違う面を見せているが、それでもこの世界での礼儀と常識を備えている男だ。そんな男が、目立てと言わんばかりに、長嶺組が管理しているクリニックの側で、自分の隊の隊員を和彦に接触させてきた。
二日前の南郷の行動と、昨夜、昭政組の組員を治療しながら聞かされた話が、チクチクと神経を刺激してくる。
そうなのだ。まるで南郷は、わざと長嶺組を――賢吾を刺激しているようだ。
一分ほど遅れて、組員が静かに隣に立ち、雑誌を手にした。
「――あのガキ、総和会の第二遊撃隊の者ですね」
その通りなのだが、吐き捨てるような『ガキ』呼ばわりに、和彦は苦笑する。
「ああ。南郷さんから頼まれたと言って、これを持ってきた」
和彦は、紙袋を軽く掲げて見せる。当然のことながら組員は、なぜ、という顔をした。
「ぼくに無礼を働いたから、お詫びのつもりらしい。それと、さっき一緒にいた子を、そのうちぼくの世話係にしたいと考えているようだ」
「申し訳ないですが、その、先生に対する無礼というのをこちらは把握してないのですが。よろしければ、教えてもらっていいですか?」
不本意ながら和彦は、南郷が小野寺にした説明に倣う。さすがに、〈大事なもの〉についてまでは聞かれなかった。
「……まったく、あちらには困りますね。うちにはなんの連絡も入ってませんよ」
「ぼくを、あちら側の人間なんだから、わざわざ連絡する必要はないと思っているのかもしれない。もしくは、嫌がらせ――」
組員は不快そうに顔をしかめたあと、小さく舌打ちしたが、和彦の視線に気づいて慌てて謝罪してきた。
「すみません。一番困っているのは、先生なのに」
「困るというか、なんというか……。ぼくだって舌打ちの一つもしたいけど、振り回されすぎて、その元気もない」
力ない声でぼやいた和彦は栄養ドリンクを一本買うと、組員に見送られながらクリニックへと戻った。
今日は賢吾からよくメールが送られてきたと、クリニックを施錠した和彦はエレベーターホールに向かいながら思う。
午前中は、昨夜治療した昭政組組員の様子を知らせる内容だったが、午後からは、小野寺が接触してきたことに関する内容へと変わった。
護衛の組員から報告を受けたというメールに始まり、さっそく総和会、さらには第二遊撃隊にまで連絡を入れたらしい。診察の合間にメールをチェックしていた和彦だが、珍しく賢吾が逐一状況を知らせてくるため、次第に大事になっているようで、気が気でなかった。
何より気がかりだったのは、南郷の口から、クリニックでの出来事が賢吾に伝わるのではないかということだ。最後に届いたメールを読む限りでは、連絡の行き違いということで南郷が詫びる形で収まったようだが、実際のところ、どんなやり取りが交わされたのか、和彦には知りようがない。
下手に賢吾に確認を取ろうものなら、恐ろしい大蛇の尾を踏みかねなかった。
仕事の忙しさによる疲労に、精神的疲労と睡眠不足まで重なり、エレベーターに乗り込む和彦の足取りは覚束ない。エレベーターが一階に降りるまでのわずかな間にすら、立ったまま意識が飛んでいきそうになる。
なんとか迎えの車に乗り込むと、身を投げ出すようにしてシートにもたれかかっていた。目を閉じながら和彦は、手探りでシートベルトを締める。
「あー、疲れた……」
独り言のように呟くと、あとはもう口を動かすことすら億劫になる。今日の賢吾の様子を聞いておきたいと考えていたのだが、車が静かに走り始めたときには、和彦の意識は半ば眠気に搦め捕られていた。それでもなんとか、これだけは確認しておく。
「今日、本宅に寄らなくて、いいのかな……。組長に、面倒をかけたようだから――」
「先生が気に病む必要はありません。すでにもう、南郷隊長と組長の間で話はつきましたから。クリニックとその周辺に、長嶺組の許可なく接近することを一切禁じる、と書面を交わすことになったそうです」
案の定、大事になっている。これまでは暗黙のルールであったものが、とうとう明文化されるのだ。
苦々しい気持ちになった和彦だが、一方で、南郷に対してわずかながら溜飲が下がる思いもあった。非力な自分に対して傍若無人に振る舞う男が、より強い力を持つ男には頭を下げざるをえないのだ。その光景を想像すると、暗い愉悦を覚えそうになるが、すぐに和彦は我に返る。
南郷は愚鈍ではない。むしろ、粗野で暴力的な印象を与える見た目とは裏腹に、頭が切れ、繊細な気遣いができる。和彦に対しては違う面を見せているが、それでもこの世界での礼儀と常識を備えている男だ。そんな男が、目立てと言わんばかりに、長嶺組が管理しているクリニックの側で、自分の隊の隊員を和彦に接触させてきた。
二日前の南郷の行動と、昨夜、昭政組の組員を治療しながら聞かされた話が、チクチクと神経を刺激してくる。
そうなのだ。まるで南郷は、わざと長嶺組を――賢吾を刺激しているようだ。
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