血と束縛と

北川とも

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第39話

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「えっ、ああ……、あの隊は、長嶺会長のためならなんでもしますからね。どの組にも隠したいことはあるが、犬並みの嗅覚で探り当てる、と言われています。そういう連中に対しては、どうしたって慎重になります。うちの組だけじゃなく、今回は長嶺組長にお世話になっているわけですから、これ以上迷惑をかけるわけにもいきません。当然、佐伯先生にも」
「……第二遊撃隊全体のことはよくわかりませんが、南郷さんは鋭いですね。いろいろと」
 和彦の口調に含まれる苦々しさを感じ取ったのか、怪我を負った男から気遣うような視線を向けられ、さらにこう言葉をかけられた。
「佐伯先生も苦労されているようですね」
 はい、と頷くわけにもいかず、和彦は曖昧に首を動かした。




 賢吾が持たせてくれたクリニックに、和彦は愛着を抱いている。開業に向けて改装工事に立ち合い、インテリアなどを自分で選び、長い時間を過ごしている場所だ。
 その場所を、南郷の無法な訪問によって〈穢された〉と感じる自分に、和彦は驚いていた。
 こんな形で、クリニックが職場以上の価値を持つものであると痛感したところで、和彦はまったく嬉しくなかった。気分転換という表現も変かもしれないが、せめてもの対処として、契約している清掃業者にいつもより早めに入ってもらおうかと、本気で検討していた。
 ビルから出ようとして空を見上げた和彦は、ため息をついて傘を差す。また、雨が降っていた。頭がひどく重いが、おそらく天候の悪さは関係なく、睡眠不足が原因だろう。
 昨夜――治療を終えたときにはもう日付が変わっていたが、殺されかけた昭政組の組員は、今朝はもう車イスに乗って元気に事務所に出ていると、賢吾からのメールで教えられた。少しばかりの睡眠時間と引き換えにした甲斐はあったと、和彦が微笑ましい気分になったのは一瞬で、数日は安静にするよう指示を出した身としては、眉をひそめずにはいられなかった。
 この世界で生きる男たちに、無理はするなと忠告するだけ野暮なのだろうとわかっていても。
 ふいに強い風が吹き、和彦は咄嗟に傘の柄を強く握る。普段であれば、こんな天気の日には外を出歩こうとは考えないのだが、近くのファミリーレストランに昼食をとりに行くという名目のもと、冷たい空気に当たって頭をすっきりさせたかった。それに昨夜男から聞いた話が、なんとなく気になってもいる。
 第二遊撃隊の人間が、自分の周りをうろついているのではないか、と。
 今のような生活を送るようになってから、護衛であったり尾行がつく状況を、和彦はとっくに受け入れている。非力な自分を守るためにと、男たちが尽力してくれているという意識があるためだ。しかし相手が第二遊撃隊――南郷だと思うと、どうしても不愉快さがつきまとう。
 和彦はくるりと傘を回してから、さりげなく周囲に目を向ける。日中の大半はクリニックの中で過ごすということで、昼間は長嶺組・総和会双方からの護衛はついていない。かつては、長嶺組の組員に昼間もしっかり見守られていたが、里見と密会していた一件を経て、時間をかけてようやく今の状況に至ったのだ。
 和彦の職場環境を〈なるべく〉乱さないという暗黙のルールが、ようやく行き渡った結果だと考えるようにしているが、長嶺組はともかく、日常の破壊者ともいえる南郷がいつまで守ってくれるか、甚だ疑問だった。
 苦労して胸に押し込めている怒りが、ふとした拍子に湧き上がる。南郷の野蛮な笑みが脳裏をちらつき、一気に食欲が失せかけるが、だからといって、来た道を引き返すのも癪だった。
 半ば意地でファミリーレストランに到着すると、本格的に混み合う前だったため、和彦は運よく窓際の席に座ることができた。雨の中を出歩くのはうんざりするが、雨が降る景色をぼんやりと眺めるのは気持ちが落ち着くのだ。
 ランチを頼んで、頬杖をつく。窓の外の通りを歩く人たちの姿よりも、その人たちが差すさまざまな色合いの傘に目を奪われる。そんな中、ビニール傘を差した青年が足を止め、ファミリーレストランの店内の様子をうかがってきた。まるで誰かを探すように。
 青年と目が合った和彦は、反射的に姿勢を正す。一方の青年のほうは軽く目を見開いたあと、傘を畳んで足早に店内に入ってくる。案の定、和彦がいるテーブルに近づいてきた。
 シャツの上からジャケットを羽織り、チノパンツという格好で、美容室で手入れしているのだろうなと思わせる髪色とカットの仕上がりのよさを、和彦は素早く見て取る。少し前に南郷が、小野寺と紹介してくれた青年だ。その場には加藤もいたのだが、ずいぶんとタイプの違う二人だった。
 無表情のまま小野寺が頭を下げる。このとき胸元でシルバーのネックレスが揺れた。

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