血と束縛と

北川とも

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第39話

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「もっとサービスしてくれてもいいだろう。俺があんたに触れられない間に、当のあんたはどんどん色艶が増してきている。鷹津がいなくなったことも、御堂のもとで新しい男と知り合ったことも、自分の父親と接触したことも、何もかもが、あんたをオンナとして磨き上げているってことだ。そんな美味そうなあんたの味見をしておかないと」
 芝居がかった下卑た物言いが、たまらなく不快だった。和彦は眉をひそめ、必死に視線を逸らし続けたが、かまわず南郷は続けた。
「――ここで、鷹津と寝たことがあるだろ」
「あなたに、関係ないっ……」
「興奮したんじゃないか。人目を避けて会いに来てくれた男と、職場でするセックスは」
 次の瞬間、腰を抱き寄せられ、半ば引きずるようにして歩かされる。南郷は、ドアを開けたままにしていた仮眠室を覗き込むと、そこに和彦を連れ込んだ。
 足を引っ掛けられて、よろめいて上体をベッドに倒れ込ませる。南郷に乱暴に両足を抱え上げられた拍子に、履いていたスリッパが床の上に落ちた。
 南郷も当然のようにベッドに乗り上がり、二人は言葉もなく視線を交わす。静かな室内に、雨音だけが響いた。
 獰猛な獣と対峙したようなものだった。視線を逸らした瞬間に、相手が飛びかかってきて、急所に食らいついてくる。そんな恐れを抱きながら和彦は息を潜め、身じろぎすらできずに南郷の出方をうかがう。よりによって、ここ数日の残業続きで、クリニックから出る時間が遅くなっても不自然ではないのだ。外で待機している護衛の男たちが異変に気づく可能性は、限りなく低かった。
 南郷の手が頬にかかり、和彦は嫌悪感を露わにする。手を振り払いたいが、そんなことをすれば、どんな痛い目に遭わされるのかと想像してしまう。南郷に対して、いつも和彦の反応は同じだった。普段は男たちによって守られているが、和彦自身は非力で、臆病なのだ。
「あんたは、捕えやすい獲物だ。ちょっと痛めつける必要も、大きな声を出す必要すらない。俺に射竦められると、ビクビクしながら体を差し出すしかない」
 そう南郷に嘲弄された和彦は屈辱からカッとしたが、何も言えなかった。話しながら南郷の手が頬から首筋へと移動し、思わせぶりに撫でられる。着ているシャツのボタンを外されそうになり、短く声を上げ、南郷の手を押しのけようとしたが、低く凄みのある声で言われた。
「丁寧にされるのが嫌なら、シャツを引き裂いてもいいが。コートがあるなら、他人の目はなんとか誤魔化せるだろうし」
 南郷なら本当にやりかねないと一瞬にして悟った和彦は、悔しさを噛み締めつつも手を下ろす。満足げに南郷は目を細めた。
 言葉で嘲弄されながら、シャツのボタンを外されていく。しかし、屈辱感で打ちのめされる余裕すら、今の和彦にはなかった。胸元が露わにされ、さらに下肢にまで南郷の手が伸び、身につけているものを容赦なく奪い取られる。和彦の体を見下ろして、南郷は雨に濡れたジャケットをゆっくりと脱ぎ捨てた。
 南郷の指先が胸元に這わされ、危うく悲鳴を上げそうになったが、寸前のところで押し殺す。
「――あんたは、汚れないな。何人もの男と寝ているくせに、汚くて触れたくないという気にならない。むしろ、俺が汚してやりたいという気持ちになる。長嶺の男たちに気に入られるということは、それだけ特別なんだろう。いや、これは俺の感じ方次第か……」
 最後の言葉はほとんど独り言だ。和彦がうかがうように見上げると、興奮を抑えきれないような鋭い笑みを浮かべた南郷と目が合った。ゾッとして身じろごうとしたときには、大きな体が覆い被さってくる。
 いきなり首筋をベロリと舐め上げられて息を詰める。硬い感触のてのひらに脇腹を撫でられ、まるで何かを確かめるように慎重に、這い上がってくる。自分ではどうしようもできない反応として、一気に鳥肌が立っていた。肌に触れている南郷が気づかないはずもなく、ふっと息遣いが笑った。
「いつまで経っても俺に慣れない。触れるたびに、律儀に嫌悪感を示す。そんなに俺が嫌いか、先生?」
 和彦は顔を背けて返事をしなかったが、かまわず南郷は耳に唇を押し当て、熱い吐息を注ぎ込んできた。
「うっ……」
 ねっとりと耳朶を舐められてから、柔らかく歯を立てられる。愛撫のようで、南郷のこの行為は静かな恫喝だと和彦は感じた。いつでも肌を食い破り、血を流させることは簡単なのだと示されているようなのだ。
 いつの間にか南郷に顔を覗き込まれていた。力を持った男らしい傲慢な眼差しに、和彦は呆気なくねじ伏せられ、視線を逸らすこともできない。まばたきもできないまま、再び南郷に唇を塞がれていた。

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