血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
969 / 1,268
第39話

(20)

しおりを挟む
 声を洩らして、ゆっくりと瞬きをする。夕食後、入浴を済ませてから客間に入り、総和会から回ってきた書類に目を通していたのだが、堪らなく眠くなってきて、少しだけのつもりで横になったのだ。
 体調が悪いわけではなく、単に昼間、クリニックが忙しかったせいだ。寒くなってきて、肌を露わにする機会がめっきり減ると、この間に肌のトラブルを解決しようという患者の数が増えてくる。もちろん、美容整形の施術目的の患者も訪れるため、朝から晩まで予約で埋まり、息つく暇もない。
 忙しいと余計なことを考えなくて楽な部分もあるのだが、和彦の帰宅時間が遅くなると、少々機嫌が悪くなる男たちがいるのだ。
 身を起こした和彦は、このときになって自分が寝汗をかいていることに気づく。布団もかけていなかったため、暑かったというわけではない。
 ふっと息を吐き出して、夢見が悪かったなと、心の中で呟く。俊哉と対面してから、子供の頃の記憶が、やけに鮮やかに夢の中で蘇る。和彦にとっては、はっきりいって嬉しいことではない。強烈な恐怖と不安という感情に、いつも夢の中で足首を掴まれているようなのだ。
 自分が抱えた秘密を賢吾と千尋に打ち明けて、何かが大きく変わったということはない。二人は相変わらず、和彦を大事に扱ってくれるし、それが過ぎて過保護なほどだが、それはいつものことだ。むしろ変わったのは、和彦のほうだろう。
 佐伯家を捨てた自分というものを、漫然とながら考えるようになっていた。そして、そんな和彦を引き留め――咎めるように、子供の頃から積み重ねてきた俊哉とのやり取りを、夢に見てしまう。
 これは父親に対する情の現れだろうかと考え、和彦は身を震わせる。怖かったからではなく、寝汗が引いて急に肌寒くなったからだ。
 体にかけていた茶羽織に袖を通し、もそもそと這って布団の上から下りる。再び文机に向かう気にもなれず、だからといって買い込んで積んである本を読む気分でもなく、なんとなく客間を出ていた。
 ダイニングでコーヒーを飲もうと思っていたが、廊下を歩いているうちに気が変わった。途中で会った組員に、賢吾が帰宅しているかを確認して、向かう先を変更する。
 声をかけて部屋に入ると、寛いだ格好で賢吾が座卓につき、携帯電話を手にしていた。それを見た和彦は、慌てて部屋を出ようとする。
「電話中なら、あとで出直すっ……」
「かまわねーよ。メールの整理をしていただけだ」
 賢吾に手招きされ、部屋に入り直す。傍らに座ると、すかさず肩に腕が回された。
「メシは食ったか、先生?」
「ああ。あんたは、帰りが遅かったみたいだが……」
「いつもの会食だ。最近、何かと誘いが多くてな」
 どうしてだと、和彦が首を傾げて見せると、賢吾は答えず、表情を和らげる。そっと髪を撫でられた。
「寝てたのか?」
「……いや、仕事をしていた」
「そうか。寝ぼけたような顔をしていると思ったが、俺の気のせいか」
 そう言う賢吾の声が、笑いを含んでいる。和彦はわずかに顔を熱くした。
「少し横になっていただけだ。ここのところクリニックが忙しくて」
「そんなに繁盛しなくていいと思っていたが、いざ、患者が来るようになると、金を出している身としては嬉しいもんだ。だが、忙しすぎるのは、どうだろうな。そのうち先生が、診察時間を伸ばして、土曜日の休みもなしにしたいと言い出すんじゃねーかと、少し心配しているんだが」
「勘弁してくれ。ぼくの身がもたない……」
「総和会のクリニックのほうもあるしな」
 さらりと賢吾に言われて、咄嗟に言葉が出なかった。賢吾はこれまで、和彦が関わることになる総和会出資のクリニックについて、言及してきたことはない。和彦に言っても仕方ないと思っている部分もあるのだろう。また、和彦の知らないところで、賢吾と守光の間で何かしら話し合いが持たれているのかもしれないのだ。
「……その件で、資料をマンションのほうに置いてあるんだ」
「どこにあるか言ってくれれば、うちの人間に取りに行かせる」
 そうではないと、和彦はじっと賢吾を見つめる。即座に、和彦が言いたいことを察したらしく、賢吾は唇の端に皮肉げな笑みを浮かべた。
「先生はまじめだ。総和会のじじいのワガママなんざ、適当に聞き流せ。そういうところにつけ込まれて、なんやかんやと無理を押し付けられるんだ」
「できるわけない。もうすでに、人も金も動き出しているんだし――」
「だから、本宅でのんびりしていても、落ち着かないか? そろそろマンションに戻りたいと言いたいんだろう」
「まあ……、そういうことだ。十分甘えさせてもらって、落ち着いたし」

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...