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第39話
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賢吾の手が背にかかり、促されるまま歩き出す。護衛の組員たちは、いつもより心もち距離を置いて背後からついてくる。
「昔の男とか?」
澄ました顔で賢吾に返され、一拍置いてから和彦は足早に先を行こうとしたが、肩を掴まれ止められた。
「冗談だ、先生。去年の梅雨時、俺が見舞いに行っている間、先生に一人で観光させたときのことだろう」
賢吾の言葉に反応したのは、千尋だった。ピクンと体を震わせると、すぐに和彦に詰め寄ってくる。
「それ、覚えてるっ。俺に内緒でオヤジと出かけたと思ったら、泊まりで温泉に入ってくるって先生が電話してきた」
「……出かけたというか、連れ出されたんだ。それに、急に予定を変えて、泊まることになって……」
和彦は組員とともに車で観光地巡りのようなことはしたのだが、雨が降っており、車中からは景色がよく見えなかった。今いる場所も、車で通り過ぎただけだ。
あれからもう一年半近く経ったのかと、少しだけ感慨深さに浸っていたが、横から賢吾が余計なことを言う。
「あのときは、楽しかったな。雨が降って鬱陶しいと思ったが、あれはあれで風情があった。俺と先生、雨音が聞こえる宿でしっぽりと――」
思わせぶりに言葉を切った賢吾が、ニヤリと千尋に笑いかける。当然、千尋が目を吊り上げてムキになる。
「ムカつくっ。いっつも、先生を勝手に連れ出しやがって。確か、二人で花見に行ったときも、一泊してただろ」
「悔しかったら、お前もとっておきの場所を見つけて、先生をエスコートするぐらいのことをやってみろ。ああ、俺から小遣いをもらってる身じゃ、まだ無理か」
「俺だって働いてるんだから、正当な報酬だっ」
自分を間に挟んでの父子のやり取りに、嘆息した和彦は心の中で呟く。二人とも大人げないと。
それとも、深刻な雰囲気にならないよう示し合わせているのかもしれない。和彦は横目でちらりと賢吾を一瞥する。狙っていたようなタイミングで目が合い、薄い笑みを向けられた。
「せっかくだから、同じ宿を取っておいた」
「……前に泊まった宿のことか?」
「観光シーズンだし、今日は天気もいいから、あの周辺は人は多いだろうがな。それはそれで、いいんじゃねーかと思ったんだ」
どうだ、と問うように賢吾がわずかに首を傾ける。ここまで甘やかされて拒否できるはずもなく、和彦は頷く。すると今度は千尋に腕を突かれた。何事かと隣を見ると、千尋はやけに難しい顔をして言った。
「先生、このコートだと、腕を組みにくい……」
「組まなくていいだろっ」
そんなやり取りを交わしながら駐車場を出て歩いているうちに、賢吾がどうしてこの場所を選んだのか、その理由がわかった。
少し歩いただけで、燃え盛る炎を思わせる紅葉が視界に飛び込んでくる。ところどころ銀杏も見え、こちらは陽射しを受けて、黄金色に輝いているようだ。雲一つない澄んだ青空との、色彩の強烈なコントラストに和彦は感嘆するしかない。梅雨時に通りかかったときには、想像すらできなかった光景だ。
草履を履いているにもかかわらず、知らず知らずのうちに歩調を速め、紅葉の並木道までやってくる。足元に視線を向けると、落ちた紅葉が敷石の上を赤く彩っていた。
さすがに並木道では、頭上を見上げる人々の足取りは自然とゆっくりとなり、あるいは写真を撮るため立ち止まったりするので、ちょっとした渋滞となっている。おかげで、先を歩いていた和彦に、すぐに長嶺の男たちが追いついた。
「先生が転ぶんじゃないかって、後ろから見ていてヒヤヒヤした」
妙にまじめな顔をして千尋が言い、賢吾が同意して頷く。
「……失敬な」
そう呟いたそばから、カメラを構えた通行人とぶつかりそうになったが、すかさず賢吾に肩を抱かれて事なきを得る。どうだ、と言いたげにニヤリと笑いかけられて、和彦はぼそぼそと礼を言った。
混んでいた並木道を抜けて、さらに進んでいくと橋に差しかかる。ここも撮影スポットになっているようで、欄干の前に人が鈴なりとなり、橋から並木道の紅葉の写真を撮っている。
「陽の下できれいなものを見ようと思ったら、どうしたって人混みは避けられないな」
賢吾の言葉に、和彦はちらりと笑みをこぼす。
「こういうのもいいけどな。自分が人並みのことをしていると実感できる。なのに隣にいるのはヤクザの組長と、その跡目で、変な感じだけど」
「まったくだな。俺も、先生がいなきゃ、好んで人が多いところに行こうなんざ考えもしなかった。――まあ、新しい着物を着せて、こうして連れ出して、先生の機嫌を取ろうと必死ってことだ」
賢吾の優しい表情に、急に気恥かしさに襲われた和彦が視線を背けると、今度は、真剣な顔でこちらを見つめている千尋と目が合った。
「昔の男とか?」
澄ました顔で賢吾に返され、一拍置いてから和彦は足早に先を行こうとしたが、肩を掴まれ止められた。
「冗談だ、先生。去年の梅雨時、俺が見舞いに行っている間、先生に一人で観光させたときのことだろう」
賢吾の言葉に反応したのは、千尋だった。ピクンと体を震わせると、すぐに和彦に詰め寄ってくる。
「それ、覚えてるっ。俺に内緒でオヤジと出かけたと思ったら、泊まりで温泉に入ってくるって先生が電話してきた」
「……出かけたというか、連れ出されたんだ。それに、急に予定を変えて、泊まることになって……」
和彦は組員とともに車で観光地巡りのようなことはしたのだが、雨が降っており、車中からは景色がよく見えなかった。今いる場所も、車で通り過ぎただけだ。
あれからもう一年半近く経ったのかと、少しだけ感慨深さに浸っていたが、横から賢吾が余計なことを言う。
「あのときは、楽しかったな。雨が降って鬱陶しいと思ったが、あれはあれで風情があった。俺と先生、雨音が聞こえる宿でしっぽりと――」
思わせぶりに言葉を切った賢吾が、ニヤリと千尋に笑いかける。当然、千尋が目を吊り上げてムキになる。
「ムカつくっ。いっつも、先生を勝手に連れ出しやがって。確か、二人で花見に行ったときも、一泊してただろ」
「悔しかったら、お前もとっておきの場所を見つけて、先生をエスコートするぐらいのことをやってみろ。ああ、俺から小遣いをもらってる身じゃ、まだ無理か」
「俺だって働いてるんだから、正当な報酬だっ」
自分を間に挟んでの父子のやり取りに、嘆息した和彦は心の中で呟く。二人とも大人げないと。
それとも、深刻な雰囲気にならないよう示し合わせているのかもしれない。和彦は横目でちらりと賢吾を一瞥する。狙っていたようなタイミングで目が合い、薄い笑みを向けられた。
「せっかくだから、同じ宿を取っておいた」
「……前に泊まった宿のことか?」
「観光シーズンだし、今日は天気もいいから、あの周辺は人は多いだろうがな。それはそれで、いいんじゃねーかと思ったんだ」
どうだ、と問うように賢吾がわずかに首を傾ける。ここまで甘やかされて拒否できるはずもなく、和彦は頷く。すると今度は千尋に腕を突かれた。何事かと隣を見ると、千尋はやけに難しい顔をして言った。
「先生、このコートだと、腕を組みにくい……」
「組まなくていいだろっ」
そんなやり取りを交わしながら駐車場を出て歩いているうちに、賢吾がどうしてこの場所を選んだのか、その理由がわかった。
少し歩いただけで、燃え盛る炎を思わせる紅葉が視界に飛び込んでくる。ところどころ銀杏も見え、こちらは陽射しを受けて、黄金色に輝いているようだ。雲一つない澄んだ青空との、色彩の強烈なコントラストに和彦は感嘆するしかない。梅雨時に通りかかったときには、想像すらできなかった光景だ。
草履を履いているにもかかわらず、知らず知らずのうちに歩調を速め、紅葉の並木道までやってくる。足元に視線を向けると、落ちた紅葉が敷石の上を赤く彩っていた。
さすがに並木道では、頭上を見上げる人々の足取りは自然とゆっくりとなり、あるいは写真を撮るため立ち止まったりするので、ちょっとした渋滞となっている。おかげで、先を歩いていた和彦に、すぐに長嶺の男たちが追いついた。
「先生が転ぶんじゃないかって、後ろから見ていてヒヤヒヤした」
妙にまじめな顔をして千尋が言い、賢吾が同意して頷く。
「……失敬な」
そう呟いたそばから、カメラを構えた通行人とぶつかりそうになったが、すかさず賢吾に肩を抱かれて事なきを得る。どうだ、と言いたげにニヤリと笑いかけられて、和彦はぼそぼそと礼を言った。
混んでいた並木道を抜けて、さらに進んでいくと橋に差しかかる。ここも撮影スポットになっているようで、欄干の前に人が鈴なりとなり、橋から並木道の紅葉の写真を撮っている。
「陽の下できれいなものを見ようと思ったら、どうしたって人混みは避けられないな」
賢吾の言葉に、和彦はちらりと笑みをこぼす。
「こういうのもいいけどな。自分が人並みのことをしていると実感できる。なのに隣にいるのはヤクザの組長と、その跡目で、変な感じだけど」
「まったくだな。俺も、先生がいなきゃ、好んで人が多いところに行こうなんざ考えもしなかった。――まあ、新しい着物を着せて、こうして連れ出して、先生の機嫌を取ろうと必死ってことだ」
賢吾の優しい表情に、急に気恥かしさに襲われた和彦が視線を背けると、今度は、真剣な顔でこちらを見つめている千尋と目が合った。
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