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第39話
(8)
しおりを挟む初めて羽織った〈とんびコート〉の着心地が新鮮で、和彦は意味もなく腕を上げたり下ろしたりして、そのたびにケープがふわりと揺れる様子に見入ってしまう。
丈の長いコート部分と、上半身を柔らかくすっぽりと覆うケープ部分の組み合わせが、妙に和彦の心をくすぐる。昔読んだ探偵小説の挿絵で、探偵が似た形のコートを着ていたことを思い出したりするのだ。
今の和彦は、新しく仕立てられた着物姿だった。寒くなってきたということで、長着は厚みのある濃紺の生地のものとなり、その下に着込んでいる長襦袢も小物の類も一式すべて、やはり落ち着いた色合いのものを揃えられていた。
着物に関しての知識がない自分は着せ替え人形らしく、与えられたものを身につけるだけだと思っている和彦だが、新しく仕立てられたものを見るたびに嬉しくないわけではない。やはり、心は浮き立つのだ。
自分のために仕立てられたという感覚は特別だし、それを、忙しい男が心を砕いて調えてくれるのだから、なおさらだ。
特に今回は――。
形式張った外出ではないからということで、用意されたのは羽織ではなく、黒のとんびコートだった。やけに手触りがいいと思ったら、カシミヤだという。
和彦は、地面に伸びる自分の影を見下ろしながら、もう一度腕を動かしてみる。すると、背後から抑えた笑い声が聞こえてきた。ハッとして振り返ると、賢吾と千尋が並んで立って笑っている。
賢吾はいつものようにスーツ姿だが、その上から珍しくレザーコートを羽織っており、一方の千尋は細身のジーンズに、きっちりと前を留めたミリタリーコートという出で立ちだ。三人並ぶと見事に統一感がないが、賢吾と千尋は意に介していないようだ。
「――ずいぶん、そのコートが気に入ったようだな」
賢吾の言葉に、和彦の頬は熱くなってくる。はしゃいだ姿をさんざん披露しておいて、否定するのも大人げない。渋々頷いた。
「こういう型のコートは初めて着たんだ」
「冬用の着物一揃いを見立ててもらっていて、こういうのもシャレていいんじゃないかと勧められてな。一目見て、先生が羽織っているところを見たいと思った。実際、よく似合っている」
「それは……、ありがとう」
和彦がぼそぼそと応じると、父子がまた笑い声を洩らした。
さりげなく千尋が隣にやってきて、鼻歌でも歌いだしそうな上機嫌な面持ちで和彦の姿を眺める。
「ようやく、先生の着物姿をじっくりと見ることができた。眩しくて目が潰れそう」
「何言ってるんだ……。って、ああ、そういえば、お前とは――」
これまで、着物を身につけて連れ出された際、そのどれにも千尋が同行することはなかった。せいぜいが、本宅で着つけの練習をしているときに、こっそり覗きにきたぐらいだ。しかも和彦が恥ずかしがって、すぐに追い出してしまった。
悪いことをしたとひとまず謝るべきだろうかと考えていると、千尋がこんな提案をしてくる。
「ねえ、写真撮っていい?」
「嫌だ。だいたいここで撮るのは変だろ」
和彦と長嶺の男二人――と、護衛の組員たちが今いるのは、駐車場だった。それなりに広い駐車場なのだが、ほぼ満車に近い状態で、さきほどからひっきりなしに車が出入りしている。
「みんな、この時期に考えることは同じだ」
和彦と同じく駐車場を見回した賢吾が、笑いながらこう洩らしてから、さらに一言付け加えた。
「俺もだがな」
どんな顔をして応じればいいのかわからず、とりあえず和彦はもう一度、腕を動かしてケープを揺らす。
賢吾と千尋が気をつかってくれているのは、何日も本宅に滞在しながら、肌で感じていた。俊哉と対面し、さらに守光に報告をしたあと、和彦は寝込んでしまった。熱が出たわけでもないのだが、体に力が入らず、起き上がれなくなったのだ。心身の緊張と疲労が限界にきていたのは明白で、不本意ながらクリニックを一日だけとはいえ休診せざるをえなかった。
体調が戻ったあとは、ここぞとばかりに父子だけではなく、長嶺組の組員たちに世話を焼かれ、まさにぬるま湯に浸かったような生活を送っている。最初は、いつ俊哉から連絡が入るだろうかと警戒していた和彦だが、次第に肩から力が抜け、現状を冷静に考えられる程度には心身は復調した。
それを待っていたように、昨夜、千尋から切り出された。紅葉狩りに行こう、と。
和彦の気分転換を目的にしているのだとすぐに察し、あまり気をつかわないでくれと言ったのだが、そこに賢吾まで加わり、甘やかすような口調で説得されると、抗える術はない。
新しく仕立てられた着物を身につけ、こうして目的地にやってきたというわけだ。
「――ここには、前にも来たことがある」
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