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第39話
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「ぼくの身元を調べた時点で、面倒な事態なら予測できていたはずです。それなのにどうして、ぼくを遠ざけるどころか、総和会と深く関わらせたのですか?」
「面倒であると同時に、貴重だったからだ。あんたの血筋も境遇も含めた存在が。わしも総和会も、最初はあんたに深入りするつもりはなかった。賢吾や千尋が、あんたと一時の火遊びを楽しむつもりなら、と。しかし現実は、あの二人はあんたをオンナにして、長嶺組に迎え入れた。そこでわしは考えを改めた。長嶺の男たちの総意として、あんたは必要な存在だと」
多くの言葉を費やす守光だが、和彦の質問への返答としては、あまりに曖昧だ。
面倒だとわかっていながら和彦を長嶺組だけではなく、総和会にも深入りさせた挙げ句、結果として俊哉と接触を持つことになったというのに、守光はそれを憂いている様子はない。
俊哉を警戒はしているが、強い危機感を抱くまでには至らないと、守光の態度がそう和彦には思えて仕方なかった。
「何も心配せず、あんたは長嶺の男たちに大事にされていればいい。いや、あんたの場合、それ以外の男たちにも――……」
話はこれで終わりだという空気を感じ取り、もっと核心をつく質問をしたかった和彦だが、思考が空回りして何も言えない。結局、頭を下げて立ち上がる。
部屋を出ると、疲労感がどっと押し寄せてくる。クリニックで勤務しているより、わずかな時間、守光と向き合って話すことのほうが気疲れをする。昨日の今頃は、俊哉を相手にやはり緊張していた。
和彦が堪え切れずため息をついたところで、待機していた吾川が静かに声をかけてきた。
「お疲れ様です、佐伯先生。夕食はどうされますか? すぐに準備できますが」
「いえ……、会長にお時間を取っていただいただけで十分です。ぼくはこれで失礼します」
力なく笑みを向けた和彦に、承知しましたと頷いた吾川が一度ダイニングへと向かい、すぐに預けていたコートとアタッシェケースを手に戻ってきた。
玄関でコートを羽織っていた和彦だが、ふと気になって、声を潜めて吾川に話しかけた。
「……今日、ここに長嶺組長が見えられていたんですよね」
「ええ。午前中のうちに。ずいぶん慌ただしい訪問でした」
礼儀正しい吾川は、感情の揺れを表に出すことはないのだが、このときは様子が違った。微苦笑のようなものが口元に浮かんだように見え、思わず和彦はこう問いかけた。
「どういう様子でしたか? あの……、ぼくが原因で、もし険悪な雰囲気になったのだとしたら、申し訳なくて」
「お二人はこちらでお話をされるときは、終始穏やかな雰囲気で会話を終えられることのほうが珍しいのですよ。長嶺会長は、必要な父子の団らんだと笑ってらっしゃるぐらいですから、そう深刻に受け止めることはないと、わたしは思いますよ」
「つまり、雰囲気はよくなかったのですね……」
ため息交じりに洩らすと、吾川は今度ははっきりと苦笑を洩らした。お気になさらないようにと慰められながら、一緒にエレベーターホールへと向かう。
何げなく視線を先に向けて、ぎょっとする。なぜか南郷が待っていた。役目を引き継いだとばかりに吾川が一礼して守光の住居スペースへと戻ってしまい、エレベーターホールには和彦と南郷の二人きりとなる。
すでに到着していたエレベーターに、促されるまま乗り込む。ボタンを押す南郷を、斜め後ろの位置から睨むようにして見つめていた和彦だが、心の内では急速に不安が広がる。エレベーターどころか、帰りの車にも、護衛名目で同乗してくるのではないかと考えたのだ。
これ以上の気疲れはご免だと、和彦は口を開こうとしたが、南郷が先に言葉を発した。
「長嶺組の車が、何がなんでもあんたを連れて帰るといわんばかりに、裏口の前に停まっている」
「えっ……、ああ、そうなんですか……」
露骨に安堵するわけにもいかない和彦に対して、肩越しに振り返った南郷が皮肉げな眼差しを寄越してくる。疲れているから余計そう感じるのかもしれないが、嫌な目だった。
「……それをわざわざ伝えるために、待っていたんですか?」
「いや、あんたに一つだけ確認したいことがあったからだ」
すぐにエレベーターは一階に到着し、裏口へと促すように南郷が手で示す。二人は歩きながら話す。
「確認したいこととは……?」
「あんたの父親の口から、元悪徳刑事の名前は出なかったかと思ってな」
和彦の歩調が乱れたことに、南郷は気づいたかもしれない。
「理由は、三日前に俺が言ったことで察しはつくだろう。すでにもう、あんたの父親と接触しているかもしれないと考えてな。そんな素振りがあったかどうか、気づかなかったか?」
さあ、と低い声で応じるのが精一杯だった。さらに追及される前に、和彦は裏口の扉を開ける。南郷の言葉は大げさではなく、目の前に長嶺組の車が停まっていた。しかも傍らに組員が立っており、和彦の姿を見るなり素早く後部座席のドアを開ける。賢吾の指示だとしたら、総和会に対する不信感を、総和会そのものに見せつけているようだ。
和彦は、救われた思いで車に乗り込む。車内から南郷を見上げる形で挨拶をした。
「見送っていただき、ありがとうございました。失礼します」
南郷は軽く肩を竦め、片手を上げた。
「気をつけて帰ってくれ、先生」
こうして、和彦にとっては昨日に続いての長い一日が、やっと終わった。
「面倒であると同時に、貴重だったからだ。あんたの血筋も境遇も含めた存在が。わしも総和会も、最初はあんたに深入りするつもりはなかった。賢吾や千尋が、あんたと一時の火遊びを楽しむつもりなら、と。しかし現実は、あの二人はあんたをオンナにして、長嶺組に迎え入れた。そこでわしは考えを改めた。長嶺の男たちの総意として、あんたは必要な存在だと」
多くの言葉を費やす守光だが、和彦の質問への返答としては、あまりに曖昧だ。
面倒だとわかっていながら和彦を長嶺組だけではなく、総和会にも深入りさせた挙げ句、結果として俊哉と接触を持つことになったというのに、守光はそれを憂いている様子はない。
俊哉を警戒はしているが、強い危機感を抱くまでには至らないと、守光の態度がそう和彦には思えて仕方なかった。
「何も心配せず、あんたは長嶺の男たちに大事にされていればいい。いや、あんたの場合、それ以外の男たちにも――……」
話はこれで終わりだという空気を感じ取り、もっと核心をつく質問をしたかった和彦だが、思考が空回りして何も言えない。結局、頭を下げて立ち上がる。
部屋を出ると、疲労感がどっと押し寄せてくる。クリニックで勤務しているより、わずかな時間、守光と向き合って話すことのほうが気疲れをする。昨日の今頃は、俊哉を相手にやはり緊張していた。
和彦が堪え切れずため息をついたところで、待機していた吾川が静かに声をかけてきた。
「お疲れ様です、佐伯先生。夕食はどうされますか? すぐに準備できますが」
「いえ……、会長にお時間を取っていただいただけで十分です。ぼくはこれで失礼します」
力なく笑みを向けた和彦に、承知しましたと頷いた吾川が一度ダイニングへと向かい、すぐに預けていたコートとアタッシェケースを手に戻ってきた。
玄関でコートを羽織っていた和彦だが、ふと気になって、声を潜めて吾川に話しかけた。
「……今日、ここに長嶺組長が見えられていたんですよね」
「ええ。午前中のうちに。ずいぶん慌ただしい訪問でした」
礼儀正しい吾川は、感情の揺れを表に出すことはないのだが、このときは様子が違った。微苦笑のようなものが口元に浮かんだように見え、思わず和彦はこう問いかけた。
「どういう様子でしたか? あの……、ぼくが原因で、もし険悪な雰囲気になったのだとしたら、申し訳なくて」
「お二人はこちらでお話をされるときは、終始穏やかな雰囲気で会話を終えられることのほうが珍しいのですよ。長嶺会長は、必要な父子の団らんだと笑ってらっしゃるぐらいですから、そう深刻に受け止めることはないと、わたしは思いますよ」
「つまり、雰囲気はよくなかったのですね……」
ため息交じりに洩らすと、吾川は今度ははっきりと苦笑を洩らした。お気になさらないようにと慰められながら、一緒にエレベーターホールへと向かう。
何げなく視線を先に向けて、ぎょっとする。なぜか南郷が待っていた。役目を引き継いだとばかりに吾川が一礼して守光の住居スペースへと戻ってしまい、エレベーターホールには和彦と南郷の二人きりとなる。
すでに到着していたエレベーターに、促されるまま乗り込む。ボタンを押す南郷を、斜め後ろの位置から睨むようにして見つめていた和彦だが、心の内では急速に不安が広がる。エレベーターどころか、帰りの車にも、護衛名目で同乗してくるのではないかと考えたのだ。
これ以上の気疲れはご免だと、和彦は口を開こうとしたが、南郷が先に言葉を発した。
「長嶺組の車が、何がなんでもあんたを連れて帰るといわんばかりに、裏口の前に停まっている」
「えっ……、ああ、そうなんですか……」
露骨に安堵するわけにもいかない和彦に対して、肩越しに振り返った南郷が皮肉げな眼差しを寄越してくる。疲れているから余計そう感じるのかもしれないが、嫌な目だった。
「……それをわざわざ伝えるために、待っていたんですか?」
「いや、あんたに一つだけ確認したいことがあったからだ」
すぐにエレベーターは一階に到着し、裏口へと促すように南郷が手で示す。二人は歩きながら話す。
「確認したいこととは……?」
「あんたの父親の口から、元悪徳刑事の名前は出なかったかと思ってな」
和彦の歩調が乱れたことに、南郷は気づいたかもしれない。
「理由は、三日前に俺が言ったことで察しはつくだろう。すでにもう、あんたの父親と接触しているかもしれないと考えてな。そんな素振りがあったかどうか、気づかなかったか?」
さあ、と低い声で応じるのが精一杯だった。さらに追及される前に、和彦は裏口の扉を開ける。南郷の言葉は大げさではなく、目の前に長嶺組の車が停まっていた。しかも傍らに組員が立っており、和彦の姿を見るなり素早く後部座席のドアを開ける。賢吾の指示だとしたら、総和会に対する不信感を、総和会そのものに見せつけているようだ。
和彦は、救われた思いで車に乗り込む。車内から南郷を見上げる形で挨拶をした。
「見送っていただき、ありがとうございました。失礼します」
南郷は軽く肩を竦め、片手を上げた。
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