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第39話
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「その交渉というのは、結局のところ、あんたを説得できるかどうかということになる。あんたは戻るつもりはないと言ったが、それは、長嶺の男たちのもとに身を寄せていたいという意味だと捉えてかまわないだろうか?」
和彦はこの瞬間、違和感を覚えずにはいられなかった。『長嶺の男たち』という括りの中には当然、守光自身も含まれているだろう。それが、違和感の正体だ。
正直に認めるなら、賢吾や千尋の側にいて、和彦は安らぎを覚えることができる。しかし守光に対しては――。
迂闊ともいえるが、和彦は返事を躊躇した。守光がわずかに目を細める。
「あんたは、力に身を任せる術は身につけても、媚びるということはできんのだな。実家に戻りたくないなら、怯えた顔でもして、お願いしますと頭を下げれば済むのに、わしの言葉を深読みして、身構える」
「……申し訳、ありません」
「あんたの立場を思い出させるために、言い方を変えよう。――あんたは、長嶺の男たちのオンナだ。わしらが求めるなら、あんたは応える意思があるかということだ」
守光の声に凄みを感じ、反射的に和彦は背筋を伸ばす。この状況で許される答えは一つしかなかった。
「ぼくは……、長嶺の男たちのオンナです。その立場を捨てるつもりは、ありません」
屈辱感も羞恥心も湧かなかった。父親と会ったことで里心が出たのではないか確認され、和彦はきっぱりと否定して見せたことになる。
守光はふっと眼差しと声を和らげ、世間話でもするかのような口調で、俊哉と何を話したのか尋ねてくる。俊哉から聞いた話と齟齬がないか試されているとは感じたが、打ち明けてはいけないことを心に刻みながら、覚悟を決めて会話を続ける。
賢吾は、特別な隠し事を許容してくれた。しかしきっと、守光はそうではない。だからこそ、慎重になる。
実際のところ、守光に話せる内容はそう多くはない。俊哉と会っていたのは三十分間で、その間に交わせる会話はたかが知れており、さらに佐伯家の事情に立ち入った内容をあえて守光に伝える必要もない。
それに守光の関心は、父子が何を話したかよりも、対面したこと自体にあるようだった。
「――久しぶりに父親に会って、どうだったかね。〈こちら〉に来ることになる以前から、あんたと父親は疎遠になっていたと聞いたが」
「どう、ですか……。相変わらずでした。あの人は、身内と他人とでは、見せる顔が違いますから。説明するのは難しいのですが」
「だとしたら、わしが知る彼とは、そう変わってはいないようだ。好印象を与える見た目とは裏腹に、実に、食えない人物だった。エリート官僚ということを抜きにしても、わしにとっては鼻につく、しかし刺激的な――」
この瞬間、和彦の肌を撫でたのは、艶めかしい気分を掻き立てられるような温い空気だった。この部屋にエアコンは入っておらず、また人も動いていない。それなのに、空気の温感が変わったように感じた。
思わず首筋にてのひらを遣った和彦は、守光の視線に気づき、ぎこちなく手を下ろす。考える前に口が動いていた。
「あなたと父は、どういった関係なのですか?」
一瞬だけ守光は真顔となったあと、ふっと笑みを浮かべた。
「確か、前に話したと思うが。あんたの父親が抱えた問題を、わしが処理した。事情を聞くために数回会ったが、それだけだ。きれいに後始末をしたあと、あちらから謝礼を受け取り、あとのつき合いはない。さっぱりしたもんだよ」
「……本当に、それだけなのですか?」
「彼は何か言っていたかね」
守光を指して『化け狐』と言っていたとは言えなかった。隠しておいたほうがいいという判断のためというより、純粋に和彦自身の羞恥心が刺激されたからだ。俊哉は、守光の背の刺青の存在を知らず、たまたま皮肉めいた発言が一致したのかもしれないと解釈もできるが、和彦は違う。目にしたからこそ知っている。
口ごもる和彦に、あくまで穏やかな口調のまま守光は続けた。
「どうしても聞きたいというなら、否とは言わん。ただし、あんたにも話してもらいたいことがある」
「なんでしょうか……」
「――佐伯家の秘密を」
和彦は目を見開いたまま、言葉が出なかった。知らず知らずのうちに、じっとりと冷や汗を掻いていた。
「それは……。そんなものは、ぼくは……」
「そういうものがあるのなら、ぜひとも聞いておきたい。もしかすると今後、佐伯家との繋がりが深くなるかもしれんしな。わしらのような家も組織も、同業者からの攻撃には耐えることも、抗うこともできるが、あんたの家や父親のように、表の世界で影響力を持つ相手には、取れる対処が限られる」
和彦はこの瞬間、違和感を覚えずにはいられなかった。『長嶺の男たち』という括りの中には当然、守光自身も含まれているだろう。それが、違和感の正体だ。
正直に認めるなら、賢吾や千尋の側にいて、和彦は安らぎを覚えることができる。しかし守光に対しては――。
迂闊ともいえるが、和彦は返事を躊躇した。守光がわずかに目を細める。
「あんたは、力に身を任せる術は身につけても、媚びるということはできんのだな。実家に戻りたくないなら、怯えた顔でもして、お願いしますと頭を下げれば済むのに、わしの言葉を深読みして、身構える」
「……申し訳、ありません」
「あんたの立場を思い出させるために、言い方を変えよう。――あんたは、長嶺の男たちのオンナだ。わしらが求めるなら、あんたは応える意思があるかということだ」
守光の声に凄みを感じ、反射的に和彦は背筋を伸ばす。この状況で許される答えは一つしかなかった。
「ぼくは……、長嶺の男たちのオンナです。その立場を捨てるつもりは、ありません」
屈辱感も羞恥心も湧かなかった。父親と会ったことで里心が出たのではないか確認され、和彦はきっぱりと否定して見せたことになる。
守光はふっと眼差しと声を和らげ、世間話でもするかのような口調で、俊哉と何を話したのか尋ねてくる。俊哉から聞いた話と齟齬がないか試されているとは感じたが、打ち明けてはいけないことを心に刻みながら、覚悟を決めて会話を続ける。
賢吾は、特別な隠し事を許容してくれた。しかしきっと、守光はそうではない。だからこそ、慎重になる。
実際のところ、守光に話せる内容はそう多くはない。俊哉と会っていたのは三十分間で、その間に交わせる会話はたかが知れており、さらに佐伯家の事情に立ち入った内容をあえて守光に伝える必要もない。
それに守光の関心は、父子が何を話したかよりも、対面したこと自体にあるようだった。
「――久しぶりに父親に会って、どうだったかね。〈こちら〉に来ることになる以前から、あんたと父親は疎遠になっていたと聞いたが」
「どう、ですか……。相変わらずでした。あの人は、身内と他人とでは、見せる顔が違いますから。説明するのは難しいのですが」
「だとしたら、わしが知る彼とは、そう変わってはいないようだ。好印象を与える見た目とは裏腹に、実に、食えない人物だった。エリート官僚ということを抜きにしても、わしにとっては鼻につく、しかし刺激的な――」
この瞬間、和彦の肌を撫でたのは、艶めかしい気分を掻き立てられるような温い空気だった。この部屋にエアコンは入っておらず、また人も動いていない。それなのに、空気の温感が変わったように感じた。
思わず首筋にてのひらを遣った和彦は、守光の視線に気づき、ぎこちなく手を下ろす。考える前に口が動いていた。
「あなたと父は、どういった関係なのですか?」
一瞬だけ守光は真顔となったあと、ふっと笑みを浮かべた。
「確か、前に話したと思うが。あんたの父親が抱えた問題を、わしが処理した。事情を聞くために数回会ったが、それだけだ。きれいに後始末をしたあと、あちらから謝礼を受け取り、あとのつき合いはない。さっぱりしたもんだよ」
「……本当に、それだけなのですか?」
「彼は何か言っていたかね」
守光を指して『化け狐』と言っていたとは言えなかった。隠しておいたほうがいいという判断のためというより、純粋に和彦自身の羞恥心が刺激されたからだ。俊哉は、守光の背の刺青の存在を知らず、たまたま皮肉めいた発言が一致したのかもしれないと解釈もできるが、和彦は違う。目にしたからこそ知っている。
口ごもる和彦に、あくまで穏やかな口調のまま守光は続けた。
「どうしても聞きたいというなら、否とは言わん。ただし、あんたにも話してもらいたいことがある」
「なんでしょうか……」
「――佐伯家の秘密を」
和彦は目を見開いたまま、言葉が出なかった。知らず知らずのうちに、じっとりと冷や汗を掻いていた。
「それは……。そんなものは、ぼくは……」
「そういうものがあるのなら、ぜひとも聞いておきたい。もしかすると今後、佐伯家との繋がりが深くなるかもしれんしな。わしらのような家も組織も、同業者からの攻撃には耐えることも、抗うこともできるが、あんたの家や父親のように、表の世界で影響力を持つ相手には、取れる対処が限られる」
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