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第39話
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本部に到着するなり吾川の出迎えを受け、速やかにエレベーターに乗り込む。
守光の住居スペースに足を踏み入れると、吾川にコートとアタッシェケースを預ける。和彦の視線は守光の私室のほうへと向くが、すかさず吾川に言われた。
「会長は、こちらの部屋でお待ちです」
吾川が示したのは、初めて和彦がここを訪れたとき、守光と千尋の三人で食事をした部屋だった。ごくりと喉を鳴らしてから、和彦は閉まっている襖の前に立ち、声をかける。
「和彦です。遅くなりました」
中から応じる声があり、襖を開ける。畳敷きの部屋の中央に座卓が置かれ、和装の守光が座っていた。静かな眼差しを向けられた瞬間、背筋にピリッと緊張が走る。怯みそうになる気持ちを和彦はなんとか奮い立たせ、部屋に入る。
向かい合う形で席についても、守光はすぐには口を開こうとはしなかった。和彦は、そんな守光から目が離せない。
昨夜、俊哉から聞いた話を思い返していた。この守光が、俊哉に――自分の父親に〈尽くして〉いたと聞いて、何も感じないはずがなく、深い深淵を覗き込んだような気持ちになる。
さらに、怖くてたまらないのに、深淵の底にあるものを知りたくなってしまうのだ。
顔を強張らせる和彦に対して、ふいに守光が柔らかな微笑を浮かべる。そして、穏やかな口調でこう切り出した。
「――午前中、賢吾がここに来ていた。子供の頃に見て以来の、見事な仏頂面を下げて」
肩を震わせた和彦は、次の瞬間には頭を下げる。
「申し訳ありません。……賢吾さんたちと接触しないよう言われていたのに、昨夜は本宅で過ごしました。それに――」
「賢吾から、だいたいの事情は聞いた。わしより先に賢吾が、昨日の対面での内容を把握したということも」
口調は変わらないものの叱責された気がして、和彦はますます顔を伏せる。そこに、襖の向こうから吾川が控えめに声をかけて部屋に入ってきた。
出されたお茶を一口飲んで乾いた口を湿らせる間に、守光と吾川は低く抑えた声で二、三言やり取りを交わす。吾川は和彦に目礼して、すぐに部屋を出て行った。
「あんたが賢吾に話したことについては、咎めるつもりはない。こちらが避けたかったのは、邪魔が入って、あんたと父親が会えなくなる事態だったからな。対面自体は上手くいった――と思っていいのかね?」
和彦は少し考えてから頷く。
「……お互いに、声を荒らげることなく話ができました。父が冷静だったおかげで……」
「彼は相変わらずだ。己が弱い立場であることを、おくびにも出さない。それどころか、常に傲慢だ。我々極道の人間とはまた違う力を持つが故の傲慢さ。昔、彼と会ったとき、それがひどく眩く見えた。今会ったとしても、わしは同じものを感じることができるだろうかと、ふと考えるよ」
守光の使った〈弱い立場〉という言葉に、寒気がした。暗に、佐伯家とは対等な立場ではないと示したのだ。そしてそのことを、きっと俊哉は良しとはしない。
「昨夜のうちに、あんたの父親とは電話で話した。礼を言われたよ。あんたを大事に扱っていることに対して。もちろん、速やかに返してほしいとも言われたが。しかし、肝心のあんたは、実家には戻るつもりはないのだろう?」
和彦はうかがうように守光を見つめる。その眼差しの意味がわかったのか、守光は低く声を洩らして笑った。その笑い声が、ドキリとするほど賢吾にそっくりだ。
「鎌をかけているつもりはない。あんたの父親が、そう言っていたんだ。丁重には扱ってくれていたようだが、どうやら息子を洗脳したようだなと。彼なりの冗談のつもりなのかもしれん」
「つまり……、父からすべて聞いているのですね」
鷹津との関わり以外、と心の中で付け加える。すると守光に狙い澄ましたようなタイミングで言われた。
「あんたを呼んだのは、何も疑っているからじゃない」
「えっ?」
狡知な光を湛えた守光の目が、じっと和彦を見据えてくる。賢吾の目を見て、そこに潜む大蛇の存在を感じたときには安堵感すら覚える和彦だが、守光の目に潜むものはいまだに得体が知れず、無意識の反応として肌が粟立つ。特に、隠し事をしている今は。
「あんたはともかく、あんたの父親が、極道ごときにおとなしく従うなどとは、わしは毛頭思ってない。だがそれでも、大事な息子のために、こちらと円満な交渉をする気があるか確かめたかった。あんたを傷つけるつもりも、彼の名を汚す気もないというこちらの意思も知ってもらいたかったしな」
「父も、それは理解していると思います。平和的に交渉を行いたいと……」
守光の住居スペースに足を踏み入れると、吾川にコートとアタッシェケースを預ける。和彦の視線は守光の私室のほうへと向くが、すかさず吾川に言われた。
「会長は、こちらの部屋でお待ちです」
吾川が示したのは、初めて和彦がここを訪れたとき、守光と千尋の三人で食事をした部屋だった。ごくりと喉を鳴らしてから、和彦は閉まっている襖の前に立ち、声をかける。
「和彦です。遅くなりました」
中から応じる声があり、襖を開ける。畳敷きの部屋の中央に座卓が置かれ、和装の守光が座っていた。静かな眼差しを向けられた瞬間、背筋にピリッと緊張が走る。怯みそうになる気持ちを和彦はなんとか奮い立たせ、部屋に入る。
向かい合う形で席についても、守光はすぐには口を開こうとはしなかった。和彦は、そんな守光から目が離せない。
昨夜、俊哉から聞いた話を思い返していた。この守光が、俊哉に――自分の父親に〈尽くして〉いたと聞いて、何も感じないはずがなく、深い深淵を覗き込んだような気持ちになる。
さらに、怖くてたまらないのに、深淵の底にあるものを知りたくなってしまうのだ。
顔を強張らせる和彦に対して、ふいに守光が柔らかな微笑を浮かべる。そして、穏やかな口調でこう切り出した。
「――午前中、賢吾がここに来ていた。子供の頃に見て以来の、見事な仏頂面を下げて」
肩を震わせた和彦は、次の瞬間には頭を下げる。
「申し訳ありません。……賢吾さんたちと接触しないよう言われていたのに、昨夜は本宅で過ごしました。それに――」
「賢吾から、だいたいの事情は聞いた。わしより先に賢吾が、昨日の対面での内容を把握したということも」
口調は変わらないものの叱責された気がして、和彦はますます顔を伏せる。そこに、襖の向こうから吾川が控えめに声をかけて部屋に入ってきた。
出されたお茶を一口飲んで乾いた口を湿らせる間に、守光と吾川は低く抑えた声で二、三言やり取りを交わす。吾川は和彦に目礼して、すぐに部屋を出て行った。
「あんたが賢吾に話したことについては、咎めるつもりはない。こちらが避けたかったのは、邪魔が入って、あんたと父親が会えなくなる事態だったからな。対面自体は上手くいった――と思っていいのかね?」
和彦は少し考えてから頷く。
「……お互いに、声を荒らげることなく話ができました。父が冷静だったおかげで……」
「彼は相変わらずだ。己が弱い立場であることを、おくびにも出さない。それどころか、常に傲慢だ。我々極道の人間とはまた違う力を持つが故の傲慢さ。昔、彼と会ったとき、それがひどく眩く見えた。今会ったとしても、わしは同じものを感じることができるだろうかと、ふと考えるよ」
守光の使った〈弱い立場〉という言葉に、寒気がした。暗に、佐伯家とは対等な立場ではないと示したのだ。そしてそのことを、きっと俊哉は良しとはしない。
「昨夜のうちに、あんたの父親とは電話で話した。礼を言われたよ。あんたを大事に扱っていることに対して。もちろん、速やかに返してほしいとも言われたが。しかし、肝心のあんたは、実家には戻るつもりはないのだろう?」
和彦はうかがうように守光を見つめる。その眼差しの意味がわかったのか、守光は低く声を洩らして笑った。その笑い声が、ドキリとするほど賢吾にそっくりだ。
「鎌をかけているつもりはない。あんたの父親が、そう言っていたんだ。丁重には扱ってくれていたようだが、どうやら息子を洗脳したようだなと。彼なりの冗談のつもりなのかもしれん」
「つまり……、父からすべて聞いているのですね」
鷹津との関わり以外、と心の中で付け加える。すると守光に狙い澄ましたようなタイミングで言われた。
「あんたを呼んだのは、何も疑っているからじゃない」
「えっ?」
狡知な光を湛えた守光の目が、じっと和彦を見据えてくる。賢吾の目を見て、そこに潜む大蛇の存在を感じたときには安堵感すら覚える和彦だが、守光の目に潜むものはいまだに得体が知れず、無意識の反応として肌が粟立つ。特に、隠し事をしている今は。
「あんたはともかく、あんたの父親が、極道ごときにおとなしく従うなどとは、わしは毛頭思ってない。だがそれでも、大事な息子のために、こちらと円満な交渉をする気があるか確かめたかった。あんたを傷つけるつもりも、彼の名を汚す気もないというこちらの意思も知ってもらいたかったしな」
「父も、それは理解していると思います。平和的に交渉を行いたいと……」
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