952 / 1,268
第39話
(3)
しおりを挟む
思いがけない出来事に動揺する和彦とは対照的に、賢吾は悠然としていた。おそらく、和彦がシャワーを浴びていると知っていたのだろう。わずかに目を細め、舐め上げるように和彦の裸体を見つめてくる。
和彦は我に返ると、慌ててカゴに歩み寄り、用意されているバスタオルを取り上げて体を隠す。肌にはまだ、守光による愛撫の痕跡が残っているのだ。
「先生が起きたらすぐ知らせるよう、客間に立派な番犬を置いておいたはずなんだが――」
賢吾が普通に話しかけてきたことに内心で安堵しながら、和彦は素早く体を拭く。
「千尋なら、よく寝ていた。起こすのもかわいそうだから、そのままにしておいた」
「明け方までは、起きて先生の様子をうかがっていたんだぜ、あいつも」
「……それを知ってるってことは、あんたも、か……?」
返事のつもりか、賢吾は口元に薄い笑みを浮かべた。体を拭く手を思わず止めそうになったが、風邪を引くぞと賢吾に言われ、とりあえずスウェットの上下を着込む。すると、賢吾がバスタオルを取り上げ、まだしずくが落ちている髪を拭き始めた。
和彦は、タオルの隙間から賢吾の様子をうかがっていたが、沈黙に耐えきれず口を開く。
「あんたに黙ってた。父さんと会うことを。……結局、知られたけど」
「なんとなく、先生が俺に隠し事をしているのは察していた。いや、隠し事はいくつもあっただろうが、あまり性質のよくないものだ。鷹津に連れ去られた後から、どこか怯えたように俺を見ることがあったからな」
和彦が目を見開くと、バスタオルをカゴに放り込んだ賢吾が、乱れた髪を手櫛で整えてくる。その手つきはあくまで丁寧で優しく、無意識のうちに詰めていた息をぎこちなく吐き出す。
「――……あんたは、怖い。ずっとぼくを観察していたのか」
「強引に口を割らせたほうがよかったか? あいにく俺は、大事で可愛いオンナを痛めつける趣味はねーんだ」
黙っていたことを責められる覚悟はしていたが、いざとなると身が竦む。賢吾の指先が頬を掠めた瞬間、和彦はビクリと肩を震わせていた。途端に賢吾が苦笑いを浮かべる。
「誤解しているようだが、俺は別に、先生に対して怒ってはいない。昨夜の涙を見たら、何を考えていたのかすぐにわかった。うちの組に――、俺や千尋に迷惑をかけたくなかったんだろう。自分の家のことで。……優しいな、先生。そんなんだから、俺たちみたいな極道に付け込まれるんだ」
そう言う賢吾の口調が優しかった。ふいに嗚咽が洩れそうになった和彦は、ぐっと唇を引き結ぶ。シャワーを浴びる前に鏡で確認したが、顔色は青白いくせに、目は真っ赤なうえに瞼が腫れて、ひどい有り様だったのだ。また泣いてしまうと、目が開かなくなってしまいそうだ。
「ぼくは優しくない。……打算的なんだ。今の心地のいい場所をなくしたくない。何かとちやほやされるし、苦労もなくクリニックの経営者気分を味わわせてもらえる」
「たったそれだけのことで、先生の順風満帆だった人生を奪ったうえに、とんでもないリスクを背負わせているんだ。俺たちは、もっともっと先生に尽くしても、尽くし足りないぐらいだ」
ふと、昨夜の俊哉の発言を思い出していた。あの守光に尽くさせていたというものだが、俊哉に限ってウソをつくとは思えないし、またそうする必要がない。つまり、事実ということだ。
俊哉とはまったく違う人生を、俊哉によって歩まされてきたと思っていた和彦だが、本当にそうなのだろうかと、急に不安になる。長嶺の男と出会い、大事に扱われている現状は、計算でどうにかなるものではない。運命と呼んでいいはずだ。
賢吾に肩を抱かれるようにして脱衣場を出たところで、和彦はぼそぼそと告げた。
「――……ぼくはまだ、あんたに隠し事をしている」
賢吾が示してくれる優しさに、黙ってはいられなかった。すると大蛇の化身のような男が短く笑い声を洩らす。
「わかっている」
「どうしてあんたは、ぼくのことをなんでもわかるんだ」
「簡単だ。先生は隠し事をするのが下手だ。ついでに、ウソをつくのも。俺たちと知り合うまで、ずっと正直に生きてきたんだろうな」
「そんなこと……、ない。ずっと、隠し事をしてきた。ウソだって……」
「だったら、先生の周りにいた人間は、わかっていて、気づかないふりをしていたんだろう。必死に誤魔化す先生の姿は、なんとも言えない健気な風情がある」
ふざけているのかと思ったが、横目でうかがった賢吾は実にまじめな顔をしている。和彦は視線を伏せた。
「……本当に隠したいことは、隠しているという意識すらなくなる。……父さんと話すまで、思い出しもしなかった」
和彦は我に返ると、慌ててカゴに歩み寄り、用意されているバスタオルを取り上げて体を隠す。肌にはまだ、守光による愛撫の痕跡が残っているのだ。
「先生が起きたらすぐ知らせるよう、客間に立派な番犬を置いておいたはずなんだが――」
賢吾が普通に話しかけてきたことに内心で安堵しながら、和彦は素早く体を拭く。
「千尋なら、よく寝ていた。起こすのもかわいそうだから、そのままにしておいた」
「明け方までは、起きて先生の様子をうかがっていたんだぜ、あいつも」
「……それを知ってるってことは、あんたも、か……?」
返事のつもりか、賢吾は口元に薄い笑みを浮かべた。体を拭く手を思わず止めそうになったが、風邪を引くぞと賢吾に言われ、とりあえずスウェットの上下を着込む。すると、賢吾がバスタオルを取り上げ、まだしずくが落ちている髪を拭き始めた。
和彦は、タオルの隙間から賢吾の様子をうかがっていたが、沈黙に耐えきれず口を開く。
「あんたに黙ってた。父さんと会うことを。……結局、知られたけど」
「なんとなく、先生が俺に隠し事をしているのは察していた。いや、隠し事はいくつもあっただろうが、あまり性質のよくないものだ。鷹津に連れ去られた後から、どこか怯えたように俺を見ることがあったからな」
和彦が目を見開くと、バスタオルをカゴに放り込んだ賢吾が、乱れた髪を手櫛で整えてくる。その手つきはあくまで丁寧で優しく、無意識のうちに詰めていた息をぎこちなく吐き出す。
「――……あんたは、怖い。ずっとぼくを観察していたのか」
「強引に口を割らせたほうがよかったか? あいにく俺は、大事で可愛いオンナを痛めつける趣味はねーんだ」
黙っていたことを責められる覚悟はしていたが、いざとなると身が竦む。賢吾の指先が頬を掠めた瞬間、和彦はビクリと肩を震わせていた。途端に賢吾が苦笑いを浮かべる。
「誤解しているようだが、俺は別に、先生に対して怒ってはいない。昨夜の涙を見たら、何を考えていたのかすぐにわかった。うちの組に――、俺や千尋に迷惑をかけたくなかったんだろう。自分の家のことで。……優しいな、先生。そんなんだから、俺たちみたいな極道に付け込まれるんだ」
そう言う賢吾の口調が優しかった。ふいに嗚咽が洩れそうになった和彦は、ぐっと唇を引き結ぶ。シャワーを浴びる前に鏡で確認したが、顔色は青白いくせに、目は真っ赤なうえに瞼が腫れて、ひどい有り様だったのだ。また泣いてしまうと、目が開かなくなってしまいそうだ。
「ぼくは優しくない。……打算的なんだ。今の心地のいい場所をなくしたくない。何かとちやほやされるし、苦労もなくクリニックの経営者気分を味わわせてもらえる」
「たったそれだけのことで、先生の順風満帆だった人生を奪ったうえに、とんでもないリスクを背負わせているんだ。俺たちは、もっともっと先生に尽くしても、尽くし足りないぐらいだ」
ふと、昨夜の俊哉の発言を思い出していた。あの守光に尽くさせていたというものだが、俊哉に限ってウソをつくとは思えないし、またそうする必要がない。つまり、事実ということだ。
俊哉とはまったく違う人生を、俊哉によって歩まされてきたと思っていた和彦だが、本当にそうなのだろうかと、急に不安になる。長嶺の男と出会い、大事に扱われている現状は、計算でどうにかなるものではない。運命と呼んでいいはずだ。
賢吾に肩を抱かれるようにして脱衣場を出たところで、和彦はぼそぼそと告げた。
「――……ぼくはまだ、あんたに隠し事をしている」
賢吾が示してくれる優しさに、黙ってはいられなかった。すると大蛇の化身のような男が短く笑い声を洩らす。
「わかっている」
「どうしてあんたは、ぼくのことをなんでもわかるんだ」
「簡単だ。先生は隠し事をするのが下手だ。ついでに、ウソをつくのも。俺たちと知り合うまで、ずっと正直に生きてきたんだろうな」
「そんなこと……、ない。ずっと、隠し事をしてきた。ウソだって……」
「だったら、先生の周りにいた人間は、わかっていて、気づかないふりをしていたんだろう。必死に誤魔化す先生の姿は、なんとも言えない健気な風情がある」
ふざけているのかと思ったが、横目でうかがった賢吾は実にまじめな顔をしている。和彦は視線を伏せた。
「……本当に隠したいことは、隠しているという意識すらなくなる。……父さんと話すまで、思い出しもしなかった」
42
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる