950 / 1,250
第39話
(1)
しおりを挟む
和彦はパジャマ姿のまま賢吾に抱き上げられた。普段であれば怖くて声を上げて暴れるところだが、安定剤で意識が朦朧としているため反応は鈍い。
「……こんなことしなくても、ぼくは歩ける。……重いだろ」
「かまわねーから、もっと太れ。――晩メシは食ったのか?」
少し、と吐息を洩らすように答えると、ふっと意識が遠のきかける。弛緩しきった体は抱えにくいはずだろうが、賢吾はものともせず寝室を出る。廊下には組員たちの姿があり、歩きながら賢吾は抑えた声で何か指示を出した。
玄関を出た途端、薄着の体に冷たい空気がまとわりつく。軽く身を震わせると、賢吾の胸に強く抱き寄せられた。
「少し我慢しろ。すぐに車に乗せてやる」
普段は余裕たっぷりのバリトンが、いつになく切迫感のようなものを滲ませている。そう感じるのは、自分の願望の表れなのかもしれないと和彦は考える。
先にエレベーターホールに向かった組員の一人が、エレベーターの扉を手で押さえて待っている。和彦を抱えた賢吾が乗り込むと、あとからやってきた組員も慌ただしく続く。手には毛布を抱えており、そっと和彦の体にかけてくれた。
一階に着くと、正面玄関の前に二台の車が停まっており、組員が待機していた。なんだか大事になっているなと、他人事のように思った和彦は、堪え切れずに目を閉じる。賢吾の腕の中にいて、安堵する反面、すべてを打ち明けることが怖くて仕方なかった。
明確に厄介な存在となった自分を賢吾がどう扱うか、最悪の想像をしてしまう。
「やっぱり……、一人でいたい……」
「薬でこんなにグニャグニャになっているのにか?」
「放っておいてくれたら、いつかは切れる」
「それで、一人で泣くのか?」
賢吾の声にわずかな怒気が含まれる。後部座席に乗せられ、崩れそうになる体を支えるようにシートベルトを締められる。その上から改めて毛布をかけられた。
隣に賢吾が乗り込んでから、速やかに車が走り出す。微かな振動と車内の暖かさに、あっという間に深い眠りに引き込まれそうになったが、いつの間にか毛布の下に入り込んできた賢吾の手に、きつく指を掴まれた。痛みが、眠りに逃げ込もうとする和彦の意識を引き戻してくれる。
促されたわけではなかったが、和彦はぽつぽつと、今日起こった出来事を語り始める。
まず最初に、少し前まで父親――俊哉と会っていたと告げたとき、指を掴む賢吾の力がふっと緩んだ。賢吾ほどの男でも動揺したとわかったとき、和彦の目からまた涙が溢れ出す。自分でもどうして泣いているのかとわからなくなってきたが、自制心が利かなくなったことで涙腺が壊れたのだと考えると、妙に納得できた。
今度はしっかりと手を握り締められ、和彦の気持ちとしては握り返したいところだが、力が入らない。その代わり、懸命に口を動かす。
賢吾は、要領を得ない和彦の話を辛抱強く聞いてくれた。とはいっても、結局話せたのは、守光に言われて俊哉に会うこととなった経緯と、俊哉から、和彦を取り戻すために守光と交渉を続けると言われたことだけだ。
鷹津に関することは、何も話せなかった。安定剤を飲みすぎて正常な思考力が働いていなくても、鷹津の話題は忌避すべきだと、無意識に心に鍵をかけていたのかもしれない。
俊哉に言われたからではない。和彦は自分の意思で、鷹津の存在を隠そうとしていた。
「……あんたに、隠し事をしてしまった……」
震える声で和彦が洩らすと、涙で濡れた頬をてのひらで拭われた。
「どうせ、オヤジに口止めをされたんだろう。……まあ、詳しいことは明日、本部に出向いて直接本人に聞いてやろう。俺の〈オンナ〉を、俺に承諾も取らずに危険な目に遭わせて、どういう了見だってな」
隠し事は複数ある。だからこそ、一つを告白したところで、和彦の抱えた罪悪感が軽くなることはない。手を握り締めてくる賢吾の温もりと力強さが心地いいからこそ、自分の心がわからなくなる。
本当に守りたいのは誰なのか、と。
「ぼくを、厄介だと思うなら、もう――」
「この間も言ったが、厄介なのは最初から承知済みだ。それを面倒だと考える時期は過ぎたともな。俺がお前を知ったときから、お前は名家のお坊ちゃまで、父親はきっと一筋縄ではいかないだろうと思っていた。どんな男でも優しく甘やかして、骨抜きにする性質の悪さまでは、実際肌を合わせてみるまではわからなかったがな。そのうえ、俺のオヤジにまで目をつけられた」
厄介だらけだと、優しい吐息交じりの声で賢吾が言った。まだまだ賢吾に言い訳したいことはあったが、何を言えばいいのかわからない。そのうちにまたウトウトし始めていた。
「……こんなことしなくても、ぼくは歩ける。……重いだろ」
「かまわねーから、もっと太れ。――晩メシは食ったのか?」
少し、と吐息を洩らすように答えると、ふっと意識が遠のきかける。弛緩しきった体は抱えにくいはずだろうが、賢吾はものともせず寝室を出る。廊下には組員たちの姿があり、歩きながら賢吾は抑えた声で何か指示を出した。
玄関を出た途端、薄着の体に冷たい空気がまとわりつく。軽く身を震わせると、賢吾の胸に強く抱き寄せられた。
「少し我慢しろ。すぐに車に乗せてやる」
普段は余裕たっぷりのバリトンが、いつになく切迫感のようなものを滲ませている。そう感じるのは、自分の願望の表れなのかもしれないと和彦は考える。
先にエレベーターホールに向かった組員の一人が、エレベーターの扉を手で押さえて待っている。和彦を抱えた賢吾が乗り込むと、あとからやってきた組員も慌ただしく続く。手には毛布を抱えており、そっと和彦の体にかけてくれた。
一階に着くと、正面玄関の前に二台の車が停まっており、組員が待機していた。なんだか大事になっているなと、他人事のように思った和彦は、堪え切れずに目を閉じる。賢吾の腕の中にいて、安堵する反面、すべてを打ち明けることが怖くて仕方なかった。
明確に厄介な存在となった自分を賢吾がどう扱うか、最悪の想像をしてしまう。
「やっぱり……、一人でいたい……」
「薬でこんなにグニャグニャになっているのにか?」
「放っておいてくれたら、いつかは切れる」
「それで、一人で泣くのか?」
賢吾の声にわずかな怒気が含まれる。後部座席に乗せられ、崩れそうになる体を支えるようにシートベルトを締められる。その上から改めて毛布をかけられた。
隣に賢吾が乗り込んでから、速やかに車が走り出す。微かな振動と車内の暖かさに、あっという間に深い眠りに引き込まれそうになったが、いつの間にか毛布の下に入り込んできた賢吾の手に、きつく指を掴まれた。痛みが、眠りに逃げ込もうとする和彦の意識を引き戻してくれる。
促されたわけではなかったが、和彦はぽつぽつと、今日起こった出来事を語り始める。
まず最初に、少し前まで父親――俊哉と会っていたと告げたとき、指を掴む賢吾の力がふっと緩んだ。賢吾ほどの男でも動揺したとわかったとき、和彦の目からまた涙が溢れ出す。自分でもどうして泣いているのかとわからなくなってきたが、自制心が利かなくなったことで涙腺が壊れたのだと考えると、妙に納得できた。
今度はしっかりと手を握り締められ、和彦の気持ちとしては握り返したいところだが、力が入らない。その代わり、懸命に口を動かす。
賢吾は、要領を得ない和彦の話を辛抱強く聞いてくれた。とはいっても、結局話せたのは、守光に言われて俊哉に会うこととなった経緯と、俊哉から、和彦を取り戻すために守光と交渉を続けると言われたことだけだ。
鷹津に関することは、何も話せなかった。安定剤を飲みすぎて正常な思考力が働いていなくても、鷹津の話題は忌避すべきだと、無意識に心に鍵をかけていたのかもしれない。
俊哉に言われたからではない。和彦は自分の意思で、鷹津の存在を隠そうとしていた。
「……あんたに、隠し事をしてしまった……」
震える声で和彦が洩らすと、涙で濡れた頬をてのひらで拭われた。
「どうせ、オヤジに口止めをされたんだろう。……まあ、詳しいことは明日、本部に出向いて直接本人に聞いてやろう。俺の〈オンナ〉を、俺に承諾も取らずに危険な目に遭わせて、どういう了見だってな」
隠し事は複数ある。だからこそ、一つを告白したところで、和彦の抱えた罪悪感が軽くなることはない。手を握り締めてくる賢吾の温もりと力強さが心地いいからこそ、自分の心がわからなくなる。
本当に守りたいのは誰なのか、と。
「ぼくを、厄介だと思うなら、もう――」
「この間も言ったが、厄介なのは最初から承知済みだ。それを面倒だと考える時期は過ぎたともな。俺がお前を知ったときから、お前は名家のお坊ちゃまで、父親はきっと一筋縄ではいかないだろうと思っていた。どんな男でも優しく甘やかして、骨抜きにする性質の悪さまでは、実際肌を合わせてみるまではわからなかったがな。そのうえ、俺のオヤジにまで目をつけられた」
厄介だらけだと、優しい吐息交じりの声で賢吾が言った。まだまだ賢吾に言い訳したいことはあったが、何を言えばいいのかわからない。そのうちにまたウトウトし始めていた。
応援ありがとうございます!
31
お気に入りに追加
1,263
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる