血と束縛と

北川とも

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第38話

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「しかし愚かなりに、最低限のものは守っているようだ」
 ベンチに座り直した俊哉が、ゆっくりと辺りを見回す。さきほどから目の前の道を人が行き交っているが、俊哉の目が捉えようとしているのは、総和会の男たちだろう。楽しそうな口調でふいにこんなことを語り始めた。
「昔……、お前が生まれる前だが、長嶺守光に会った。あのときの奴は、どこかの御曹司のように見えた。行儀がよくて控えめで、話し方も品があった。会話を交わしてすぐにわかったが、当時のわたしの同期たちよりよほど頭がいいと感じた。見た目とは裏腹に、抜け目ないが、少なくともわたしの前では、極道の地金は出さなかった。わたしの抱えたトラブル処理のために、よく手を回してくれたよ。どうしてそこまでするのかと聞いたら、当時組長だった父親に命令されたと言っていた。わたしが頭を垂れて感謝したくなるほど、徹底して尽くせとな。だから遠慮なく尽くさせた」
 俊哉の口から語られる守光の話に、不思議な感覚を味わう。和彦が知っているのは、総和会会長としての守光だ。しかし俊哉の記憶にある守光は、まだ長嶺組の組長ですらない。おそらく今の和彦と変わらないか、わずかに上ぐらいの年齢だったはずだ。
「どうしてぼくに、そんな話を――……」
「わたしはあの男を恐れていないということだ。今ではずいぶん大物になっているが、人間の本質はそう変わらない。わたしは昔、長嶺守光の本質を見抜いた。もっともそれは、向こうも同じだろうがな」
「……ごめん、父さん。何を言いたいのか、よくわからない。ぼくにとっては長嶺会長は、ただ畏怖の対象だ。大事にはしてもらっているけど、怖い。逆らえない」
 ふっ、と俊哉は短く声を洩らして笑った。
「どれほどの化け物だと思っているのか知らないが、あの男も弱みがないわけじゃない。――まだ三十そこそこの、わたしと変わらない若造のくせに、妙に家に固執している男だった。長嶺という家を。いや、血というべきか」
「ああ、それは……」
 わかる、と心の中で和彦は答える。
「いざとなれば、こちらも手段を選ばない。総和会全体を相手にするのは無理だが、一つの組を弱体化させる手段ぐらいは持っている。お互い、失いたくないものはあるし、傷を負いたくもない。交渉はあくまで平和的に行うべきだと、そう化け狐に伝えておいてくれ。伝えるまでもなく、わかってはいるだろうが。結局のところ、今日会ってお前に伝えたかったのは、これだけだな」
「――父さんは、本心からぼくを取り戻したいと思っているのか? いっそのこと、厄介な存在のぼくなんていないほうが、佐伯家にとってはいいんじゃ……」
「わたしは一度でも、お前を厄介な存在などと思ったことはない。英俊はいろいろと言っていただろうが、気にするな。あれに決定権は一切ない。わたしだけが、お前の人生を決められる」
 物心ついた頃から、俊哉にはこう言われ続けていた。和彦の意思は必要ないということでもあるが、そのことに反発心を抱くこともなく、和彦は従順に従ってきた。それはきっと、自分が恵まれていると認識していたからだ。物も環境も、何もかも万全に整えられ、望む以上のものを与えられていた。
 だから俊哉の命令に従って医者となり、自分はもう俊哉の息子として、これ以上何かを望まれることはないだろうと安堵さえしながら、佐伯家の名を汚さない程度に奔放に振る舞い、満足していた。
 そんな和彦の生き方を変えてしまったのは――。
「……今の生活で、ぼくは必要とされている」
「自分を抱いてくれる男たちの、資金洗浄のためにか?」
 揶揄するわけでもなく、あくまで優しい口調で問われ、和彦は屈辱感を味わう。
「鷹津から聞いて知っているだろうから言うけど、ぼくはもう、犯罪者だ。佐伯家にいてはいけない人間になったんだ」
「〈そんなこと〉で、わたしが怯むとでも?」
 俊哉は再び腕時計に視線を落とす。
「ああ、そろそろ三十分経つな」
 そんなに話し込んでいたのかと、和彦は軽く目を見開く。久しぶりの父子の対面ということで、英俊のときのように荒んだ雰囲気になるかと思っていたが、よくも悪くも俊哉はいつも通りだ。いつでも、どんなときでも落ち着いている。
 一方の和彦は、言いたいことの何分の一も口にできなかった。俊哉を前にすると、委縮した子供になってしまうのだ。
 そんな和彦の様子を知ってか知らずか、俊哉は興味深そうに言った。
「初めてじゃないか。お前とこんなに話したのは」
「話す必要がないほど、父さんはぼくのことはなんでも一方的に決めていたから」

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