血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
945 / 1,268
第38話

(26)

しおりを挟む
 カツンと靴音を響かせて、俊哉が歩き始める。和彦は慌ててあとを追いかけ、近くのベンチに並んで腰掛けた。このときさりげなく周囲の様子を観察したが、離れた場所からこちらをうかがう人の姿が数人ほどいた気がする。
「まずは、お前の気持ちを聞いておこう。――今一緒にいる連中のもとから離れる気はあるのか?」
 いきなり核心を突く問いかけに、和彦は体を強張らせる。異常な口中の渇きを自覚しながら、懸命に言葉を紡ぐ。
「今は、ない。向こうから、もう必要ないと言われて切り捨てられる日がくるだろうけど、少なくともそれまでは、このままでいさせてほしい……。佐伯の家に迷惑をかけているとわかっている。だから、姓を変えろというなら、ぼくは受け入れる」
「殊勝なことを言っているが、ずいぶんお前にとって都合のいい申し出だな」
 俊哉は語気を荒らげることもせず、表情もにこやかだ。
「どう思っているか知らないが、お前は佐伯家にとって……、いや、わたしにとってかけがえのない存在だ。何も知らない他人は、わたしとお前との間に確執があると勘繰っているようだ。綾香あやかや英俊ですら、父親であるわたしも、お前を疎んじていると思っている。だから簡単に、お前を和泉いずみの家に養子に出せと言う」
 この瞬間、初めて俊哉の顔からにこやかさが消える。代わって浮かんだのは、心底不快そうな表情だった。その表情はゾッとするほど冷ややかだ。
 綾香というのは、英俊と和彦の母親の名だ。自身も仕事で多忙ながら、夫である俊哉を支え、人の出入りの多い佐伯家を取り仕切り、母親や妻という役割を完璧に務めてきた。ただ和彦は昔から、母親と会話というものを交わした記憶はほとんどない。いつでも、一方的に用件を告げてくるだけだった。
 今顔を合わせても、その態度は変わらないだろう。
 ちなみに和泉は、母親の旧姓だ。
「誰がなんと言おうが、わたしはお前を手放す気はない。――お前は、わたしが唯一、自分の人生を犠牲にする覚悟で手に入れた〈もの〉だ。身内ですら、わたしにとってのお前の存在を安易に考えている。つまりそれほど、わたしは薄情な人間だと思われているということか?」
 最後の問いかけは、和彦に対するものではなく、自身に向けられたものだ。すでに俊哉は元のにこやかな表情を浮かべており、心の内を完璧に覆い隠していた。
 俊哉が腕時計に視線を落とす。
「総和会から、お前と話せるのは三十分だけだと言われた。今日はあくまで、お前の身の安全を確認するために設けられた機会というわけだ。どうやら長嶺守光は、交渉を長引かせて、わたしからより多くの利得を得たいらしい」
「利得?」
「わたしの審議官という肩書きは、いろいろと魅力的だ。これまで培ってきた人脈もあるしな。それに退官後の天下り先も、気になるところだろう。我欲に走る男ではないと思っていたが、数十年ぶりにその認識を改めるときがきたのかもな」
「……長嶺会長と話したんだろう?」
「電話越しで話していても疲れる相手だ。徹底して腹の底まで探ってこようとしてくる。――気にはなっているんだろう。総和会や長嶺組の内情や、お前を巡る人間関係を、わたしがどこまで把握しているか。把握しているとしたら、誰がわたしに伝えたのか」
 鷹津の存在を仄めかされていると感じ、和彦は思わず俊哉のほうに身を乗り出す。口を開きかけたが、すかさず釘を刺された。
「お前はまだ、鷹津くんのことを聞かないほうがいい。知ったところで、お前が長嶺守光の目を欺けるとも思えん。奴の息子も、なかなかの人物だと聞いた。その二人から問い詰められて、鷹津くんの役割と居場所を隠し通せるか?」
 鷹津のことは知りたいが、俊哉の判断の正しさを認めざるをえない。隠せないなら、知らないほうがいい。鷹津のためにも。
 そう自分に言い聞かせる和彦の気持ちを、俊哉はたやすく翻弄してきた。
「総和会を引っ掻き回せるなら、いくらでも憎まれ役をやってやると彼は言っていた。……まあ、これぐらいは教えておこう」
 唇を引き結んだ和彦を、俊哉はおもしろそうに眺めている。表面上とはいえ、俊哉は英俊よりよほど表情が豊かだ。どういう状況で、どんな表情をすれば、他人から共感や好印象を得られるか知り抜いており、そのための労力を惜しまない。
 そんな父親の計算高さを知っているからこそ、和彦にとっては不気味なのだが。
「鷹津に、危険なことをやらせるつもりじゃ……」
 これ以上話すつもりはないと、俊哉は唇の前で人さし指を立てた。
「――お前は愚かだ。情なんてものに振り回された挙げ句に雁字搦めになり、切り捨てることもできずに深みにハマる。それほど、何人もの男に大事にされる生活は、捨て難いか?」
「そんな言い方……、やめてほしい」

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...