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第38話
(16)
しおりを挟むどこかで事故でもあったのか、珍しい場所で渋滞が起きており、車は遅々として進まない。
口に出しては言えないが、クリニックでの仕事を終えたばかりである和彦としてはいくら時間がかかってもかまわないのだが、前列に座っている総和会の護衛の男たちはそうではない。なかなか進まない車列に、明らかに苛立っていた。
すっかり暗くなった外の景色を見遣って、和彦が重苦しいため息をそっとついたとき、ジャケットのポケットの中で携帯電話が鳴った。
表示された名を見て、慌てて電話に出る。ようやく、待ちかねていた相手からの電話だったのだ。
「加藤くんはどうなった?」
勢い込んで問いかけると、数秒の間を置いてから苦笑交じりの声が返ってきた。
『その様子だと、先生はずいぶん気にされていたようですね』
「まあ……、目の前で起こったことだから。隊に入ったばかりで張り切っていたのに、あれでつまずくことになったら可哀想だ」
本音の半分はまた別のところにあるのだが、どうやら上手くオブラートに包めなかったようだ。抑えた声音で中嶋に指摘された。
『単なる新入りとしてじゃなく、俺と加藤の関係を知ったうえで、気になっているんでしょう? いや、心配してくれているのかな、先生は』
前列に座る男たちが聞き耳を立てていると思うと、迂闊なことが言えない。和彦が沈黙で返すと、それでも中嶋にはしっかりと意図が伝わった。
『寝た相手っていうのは、なんだか勝手が違いますね。普段、若い連中をあごで使い慣れているつもりだったのに、あいつは――加藤は、どうも俺の思惑を外れた行動を取る』
中嶋の愚痴の中に、わずかながらノロケも含まれているような気がして、和彦は意識しないまま微妙な表情を浮かべる。なんと答えようかと逡巡していると、電話の向こうで微かに笑い声がした。
『一体なんのことかと驚かないということは、秦さんから聞いたんですね。加藤のこと』
「……君も承知のうえで、教えてくれたのかと思っていた」
『〈浮気〉した俺への、牽制のつもりだったんでしょう。――加藤とは、そういうのじゃないと説明はしたんですけど、信用されてないのかな』
他人のことはいえないが、中嶋と秦の関係も不思議だ。打算含みで割り切っているようでありながら、それだけではない。少なくとも中嶋が、葛藤のうえで秦との関係を進めたことを和彦は間近で見ており、そこに情があることも知っている。
だからといって、恋人同士といえるほど甘い結びつきではなくて――。
和彦自身、いろいろと思い当たることが多すぎて、あえて意見を口にするのはやめておく。
「それで、加藤くんは大丈夫なのか? もちろん、君も」
『ええ。加藤のほうは、ぶん殴られはしていましたが、今回は大目に見てもらえました。南郷さんが目をかけているというのもあって、しばらく隊の仕事から外されはしますが、戻れますよ。どなたかのおかげで、長嶺組からは大事にしないと言っていただけましたし。俺のほうも、軽い注意で済みました』
「そうか……。よかった」
そう呟いた和彦の脳裏に浮かんだのは、苦々しい思いを噛み締めながら南郷に電話をかけた自分の姿だ。頼みたいことがあると告げると、南郷はなんとも楽しげに低い笑い声を洩らしたのだ。二人の処分が軽くて済んだのなら、行動した甲斐はあったというわけだ。
『純粋に心配してくれていた先生に、こんなことを言うのは気が引けるのですが――……』
「なんだ?」
『加藤の奴、護衛のシミュレーションだなんてもっともらしいことを言ってましたけど、本当のところは、ただ先生に興味があったそうです』
「興味って……」
『俺に抱かれて、俺を抱いている人を、間近で観察したかった、と』
考えもしなかったことを言われて和彦が絶句すると、こちらの様子を探るように助手席の男がちらりと振り返る。慌てて表情を取り繕った。
『それを聞いて、妙に納得したんです。先生と秦さんの仲をあれこれ邪推していたときの俺も、こんな感じで暴走していたなと思って。嫌なもんです。いろいろと満たされると、人はあっという間に傲慢になる。恥ずかしい出来事を、都合よく思い出にして』
自分で言って思うところがあったのか、中嶋は笑い声を洩らした。もしかすると、急に気恥かしさに襲われたのかもしれない。つられて和彦も口元を緩める。
『なんだか、先生と二人で飲みながら、じっくり話したくなりましたよ。今晩は、もう自宅に戻られているんですか?』
「いや……、仕事は終わったんだが、今日はこれから――」
和彦が口ごもると、察しのいい中嶋はそれだけで事情を解してくれた。
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