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第38話
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「んっ? ああ、あいつらに、あんたの身の回りの世話をさせるという話か。それは、まだ先のことだ。今から渋い顔をしないでくれ」
正面を向いた南郷に、和彦の表情が見えるはずもない。それでもズバリと言い当てられ、思わず眉間を指の腹で押さえる。南郷が短く笑い声を洩らしたように思えたが、多分、気のせいだろう。
捲り上げていたシャツの袖を下した和彦は、ふっと息を吐き出す。すかさず長嶺組の組員が歩み寄ってきた。
「お疲れ様です、先生。……申し訳ありません。せっかくのお休みなのに、来てもらうことになって」
「いつものことだから、気にしないでくれ。それに今日は、思っていたより軽い怪我ばかりだったから、いつもの仕事に比べたら――」
仕事を終えた気楽さもあり、和彦が口元に淡い笑みを浮かべると、それを受けた組員が大仰にしかめっ面を作った。
「まったく。ガキってのは、ときどきとんでもないことをしでかすもんですよ」
二人の視線は自然と、傍らで正座している青年へと向けられる。頬に大きな絆創膏を貼ってはいるものの、目立った怪我といえばそれぐらいだ。なかなかいい体つきをしており、坊主頭もあいまって、道ですれ違いたくないタイプに見える。だが今は、叱られた犬のように項垂れ、肩を落としていた。
昨日、南郷から紹介された、加藤や小野寺と同年齢ぐらいだろう。長嶺組の正式な組員というわけではなく、いわゆる組員見習いのようなものだ。組員から小遣いをもらいながら、仕事の手伝いをしているそうだが、ただの雑用もあれば、危険な橋を渡ることもある。
若いのだから、今からでもまっとうな仕事に就くことは十分に可能だろうが、食えないヤクザたちは、その辺りは巧みだ。彼らの居場所は組が作ってやるといわんばかりに、程々に世話を焼き、程々に厳しく躾をする。まるで、親代わりのように。そうやって囲い込み、組から抜け出せなくするのだ。
長嶺組だろうが総和会だろうが、人材を集めるためにやることは、基本的に変わらない。
和彦は視線を上げると、広めの室内をゆっくりと見回す。やけに窮屈に感じるのは、部屋にいる人間の数が多いせいだ。和彦や組員たちを含めて、男ばかり十人いる。
二人ほど床に敷いたマットの上に横たわり、他の青年たちは、つらそうではあるものの、とりあえず床の上に座っている。普段はふてぶてしい面構えで、肩をいからせて歩いているであろう彼らは、一様に神妙な表情を浮かべていた。当然、和彦を恐れてのものではなく、部屋にいる組員たちが睨みを効かせているからだ。
「いちゃもんをつけられてからの、殴り合いのケンカなんて、笑い話にもなりゃしない。相手が、イキがってるだけのチンピラ崩れだったから、組の名前が出る事態にはならなかったんですけどね。……ガキとバカのケンカの後始末に、先生の手を借りることになって、こいつらの面倒を見ている身としては、なんとお詫びをすればいいのか」
「まあ、一番の重傷が少し縫合する程度の怪我で、骨折や内臓が傷つくとかの大事にならなくてよかったよ。あっ、万が一のこともあるから、あとで気分が悪くなったとか、頭が痛いとか言い出したら、さすがに病院に連れて行ってくれ」
「だったら、こいつらに対する仕置きは、一日ぐらい様子を見たほうがいいってことですね」
人の悪い笑みを浮かべての組員の言葉に、項垂れた坊主頭がますます位置を低くする。和彦は曖昧な返事をして部屋を出た。
キッチンで手を洗ってから、ジャケットに袖を通していると、組員に問われる。
「先生、夕飯はどうされますか?」
「あー、もうそんな時間か。そういえば、お腹が空いたな」
「食べたいものがあるなら、おっしゃってください。すぐに最寄の店を調べます」
「……あれこれ考えるの面倒だから、てっとり早くコンビニで――」
「先生に、休みの日にはできる限りコンビニ弁当は食べさせるなと、うちの笠野から言われているんです。それをさせるぐらいなら、本宅に連れて来てくれとも言われています」
厳しいなと、口中で呟いた和彦は苦笑を洩らす。
「じゃあ、焼き肉がいいな。一人だと寂しいから、ここにいる組員たちだけじゃなく、部屋にいる子たちも、動けるようなら誘っていいか?」
「肉が食えると聞いたら、這ってでもついて来ますよ。……明日は一日中説教で、メシも食えなくなるでしょうから、今のうちに」
傷に障らない程度にしてやってくれと、医者として和彦は控えめに忠告はしておいた。
正面を向いた南郷に、和彦の表情が見えるはずもない。それでもズバリと言い当てられ、思わず眉間を指の腹で押さえる。南郷が短く笑い声を洩らしたように思えたが、多分、気のせいだろう。
捲り上げていたシャツの袖を下した和彦は、ふっと息を吐き出す。すかさず長嶺組の組員が歩み寄ってきた。
「お疲れ様です、先生。……申し訳ありません。せっかくのお休みなのに、来てもらうことになって」
「いつものことだから、気にしないでくれ。それに今日は、思っていたより軽い怪我ばかりだったから、いつもの仕事に比べたら――」
仕事を終えた気楽さもあり、和彦が口元に淡い笑みを浮かべると、それを受けた組員が大仰にしかめっ面を作った。
「まったく。ガキってのは、ときどきとんでもないことをしでかすもんですよ」
二人の視線は自然と、傍らで正座している青年へと向けられる。頬に大きな絆創膏を貼ってはいるものの、目立った怪我といえばそれぐらいだ。なかなかいい体つきをしており、坊主頭もあいまって、道ですれ違いたくないタイプに見える。だが今は、叱られた犬のように項垂れ、肩を落としていた。
昨日、南郷から紹介された、加藤や小野寺と同年齢ぐらいだろう。長嶺組の正式な組員というわけではなく、いわゆる組員見習いのようなものだ。組員から小遣いをもらいながら、仕事の手伝いをしているそうだが、ただの雑用もあれば、危険な橋を渡ることもある。
若いのだから、今からでもまっとうな仕事に就くことは十分に可能だろうが、食えないヤクザたちは、その辺りは巧みだ。彼らの居場所は組が作ってやるといわんばかりに、程々に世話を焼き、程々に厳しく躾をする。まるで、親代わりのように。そうやって囲い込み、組から抜け出せなくするのだ。
長嶺組だろうが総和会だろうが、人材を集めるためにやることは、基本的に変わらない。
和彦は視線を上げると、広めの室内をゆっくりと見回す。やけに窮屈に感じるのは、部屋にいる人間の数が多いせいだ。和彦や組員たちを含めて、男ばかり十人いる。
二人ほど床に敷いたマットの上に横たわり、他の青年たちは、つらそうではあるものの、とりあえず床の上に座っている。普段はふてぶてしい面構えで、肩をいからせて歩いているであろう彼らは、一様に神妙な表情を浮かべていた。当然、和彦を恐れてのものではなく、部屋にいる組員たちが睨みを効かせているからだ。
「いちゃもんをつけられてからの、殴り合いのケンカなんて、笑い話にもなりゃしない。相手が、イキがってるだけのチンピラ崩れだったから、組の名前が出る事態にはならなかったんですけどね。……ガキとバカのケンカの後始末に、先生の手を借りることになって、こいつらの面倒を見ている身としては、なんとお詫びをすればいいのか」
「まあ、一番の重傷が少し縫合する程度の怪我で、骨折や内臓が傷つくとかの大事にならなくてよかったよ。あっ、万が一のこともあるから、あとで気分が悪くなったとか、頭が痛いとか言い出したら、さすがに病院に連れて行ってくれ」
「だったら、こいつらに対する仕置きは、一日ぐらい様子を見たほうがいいってことですね」
人の悪い笑みを浮かべての組員の言葉に、項垂れた坊主頭がますます位置を低くする。和彦は曖昧な返事をして部屋を出た。
キッチンで手を洗ってから、ジャケットに袖を通していると、組員に問われる。
「先生、夕飯はどうされますか?」
「あー、もうそんな時間か。そういえば、お腹が空いたな」
「食べたいものがあるなら、おっしゃってください。すぐに最寄の店を調べます」
「……あれこれ考えるの面倒だから、てっとり早くコンビニで――」
「先生に、休みの日にはできる限りコンビニ弁当は食べさせるなと、うちの笠野から言われているんです。それをさせるぐらいなら、本宅に連れて来てくれとも言われています」
厳しいなと、口中で呟いた和彦は苦笑を洩らす。
「じゃあ、焼き肉がいいな。一人だと寂しいから、ここにいる組員たちだけじゃなく、部屋にいる子たちも、動けるようなら誘っていいか?」
「肉が食えると聞いたら、這ってでもついて来ますよ。……明日は一日中説教で、メシも食えなくなるでしょうから、今のうちに」
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