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第38話
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これまで南郷にされてきたことが一気に蘇り、和彦は怒りで我を忘れそうになる。こうして同じテーブルについていることも、精一杯の自制心を費やしてのことなのだ。
和彦は、本能的に南郷を恐れている。近づいてはいけないと、頭の中でずっと警報が鳴り続いているような状態だ。そんな和彦に対して南郷の要求は、あまりに酷だと言えた。
顔を強張らせると、南郷に鼻先で笑われた。
「そう、露骨に嫌そうな顔をしないでくれ。さすがに傷つく」
言い訳もできずに和彦が口ごもっている間に、言葉とは裏腹に平然とした様子で、南郷はステーキを平らげ、スープもあっという間に飲み干してしまう。そして、テーブルに置かれた伝票を手に立ち上がった。
「外で待っている。あんたはゆっくり食べればいい」
そう言われても、優雅にランチを楽しめるはずもなく、和彦はどうにかパスタを半分ほど胃に収めて、急いで店を出る。途端に、物陰に身を潜めていた護衛の男たちにさりげなく囲まれた。少し大げさではないかと感じているが、鷹津に連れ去られた件が尾を引いているのかもしれない。
駐車場では、車の傍らに立った南郷が煙草を吸っていた。そんな南郷に、携帯灰皿を差し出すのは――。
「あっ……」
和彦が洩らした声が聞こえたのか、南郷はほとんど吸っていない煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
「早いな、先生。慌てなくてよかったのに」
「そういうわけには……。それより――」
南郷の傍らで、頭を下げ気味にして控えている青年を見遣る。やはり、間違いなかった。何日か前に、中嶋と一緒にいるところを見かけた青年だ。
Tシャツがぴったりと張り付いた体つきは精悍で、全身から若さが漲っているなと半ば感心して眺めていた和彦だが、逞しい左腕に黒々とした影が差しているのを見て、一瞬ドキリとする。目を凝らしてやっと、肌に彫ってあるものだとわかる。袖で絵柄の大半が隠れているが、瑞々しいともいえる黒の鮮やかさから、かつて千尋が入れていたタトゥーを思い出した。
和彦の視線を追うようにして、南郷も青年に目を向ける。
「こいつが気になるか、先生?」
「えっ、ええ……」
南郷は素っ気ない手つきで、青年のあごを掴み上げる。見ていてヒヤリとするような行動だが、おかげで、青年の顔をよく見ることができた。
これまで和彦は、長嶺組で下働きをしている二十歳そこそこの青年たちを何人も見てきたが、彼もまた、同じだった。どこか荒んで、ふてぶてしい雰囲気を漂わせながら、それでいて大人になりきれていない純朴さのようなものがある。
切れ長の目と、高い位置にある頬骨が印象的で、人によっては惹きつけられそうな容貌をしており、和彦の記憶にもよく残っていた。
「前に、中嶋くんと一緒にいるときに、彼に会ったことがあるなと思って。たくさんの若い子たちの面倒を見ているそうですね、第二遊撃隊で」
「雑用を任せて、寝床と小遣いをやっている。もちろん、善意からじゃない。有能な奴を見つけて、囲い込むためだ。こいつ――加藤は、その囲い込んでいたうちの一人で、最近、正式にうちの隊員になった」
説明を受けた和彦は改めて、紹介された加藤という青年を眺める。よかったねと、言葉をかけるのは違う気がした。総和会の中で居場所を確保できたことは、野心を持つ者にとっては喜ばしいのかもしれないが、それはあくまで、内側にいる人間の理屈だ。社会的には、とうてい容認されたものではない。
こんなことを考えてしまうのは、やはり自分は偽善的なのだろうなと、ほろ苦い気持ちになった和彦だが、加藤と目が合い、反射的に笑いかける。
秦は、この青年が中嶋と『寝ている』と言っていた。どういう理由からそうなったのか、あれこれ推測したい衝動に駆られるが、これは下衆の勘繰りの類だと自戒する。
「――今日、あんたにつき合ってもらったのは、こいつらを紹介したかったというのもある。総本部の中を闊歩させるには早いから、外で。できることなら祝いも兼ねて、いい店で、高いメシも食わせてやりたかったんだがな……」
南郷から意味ありげな流し目を寄こされる。その目は、和彦の〈わがまま〉のせいで、美味い食事を食わせる機会を失ったと言っている。
こちらに相談なく、勝手に物事を決めるからだと心の中で反論した和彦だが、口にしたのはまったく別のことだった。
「こいつら?」
「もう一人とも、前に会ったことがあるはずだ。――おい」
和彦は、本能的に南郷を恐れている。近づいてはいけないと、頭の中でずっと警報が鳴り続いているような状態だ。そんな和彦に対して南郷の要求は、あまりに酷だと言えた。
顔を強張らせると、南郷に鼻先で笑われた。
「そう、露骨に嫌そうな顔をしないでくれ。さすがに傷つく」
言い訳もできずに和彦が口ごもっている間に、言葉とは裏腹に平然とした様子で、南郷はステーキを平らげ、スープもあっという間に飲み干してしまう。そして、テーブルに置かれた伝票を手に立ち上がった。
「外で待っている。あんたはゆっくり食べればいい」
そう言われても、優雅にランチを楽しめるはずもなく、和彦はどうにかパスタを半分ほど胃に収めて、急いで店を出る。途端に、物陰に身を潜めていた護衛の男たちにさりげなく囲まれた。少し大げさではないかと感じているが、鷹津に連れ去られた件が尾を引いているのかもしれない。
駐車場では、車の傍らに立った南郷が煙草を吸っていた。そんな南郷に、携帯灰皿を差し出すのは――。
「あっ……」
和彦が洩らした声が聞こえたのか、南郷はほとんど吸っていない煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
「早いな、先生。慌てなくてよかったのに」
「そういうわけには……。それより――」
南郷の傍らで、頭を下げ気味にして控えている青年を見遣る。やはり、間違いなかった。何日か前に、中嶋と一緒にいるところを見かけた青年だ。
Tシャツがぴったりと張り付いた体つきは精悍で、全身から若さが漲っているなと半ば感心して眺めていた和彦だが、逞しい左腕に黒々とした影が差しているのを見て、一瞬ドキリとする。目を凝らしてやっと、肌に彫ってあるものだとわかる。袖で絵柄の大半が隠れているが、瑞々しいともいえる黒の鮮やかさから、かつて千尋が入れていたタトゥーを思い出した。
和彦の視線を追うようにして、南郷も青年に目を向ける。
「こいつが気になるか、先生?」
「えっ、ええ……」
南郷は素っ気ない手つきで、青年のあごを掴み上げる。見ていてヒヤリとするような行動だが、おかげで、青年の顔をよく見ることができた。
これまで和彦は、長嶺組で下働きをしている二十歳そこそこの青年たちを何人も見てきたが、彼もまた、同じだった。どこか荒んで、ふてぶてしい雰囲気を漂わせながら、それでいて大人になりきれていない純朴さのようなものがある。
切れ長の目と、高い位置にある頬骨が印象的で、人によっては惹きつけられそうな容貌をしており、和彦の記憶にもよく残っていた。
「前に、中嶋くんと一緒にいるときに、彼に会ったことがあるなと思って。たくさんの若い子たちの面倒を見ているそうですね、第二遊撃隊で」
「雑用を任せて、寝床と小遣いをやっている。もちろん、善意からじゃない。有能な奴を見つけて、囲い込むためだ。こいつ――加藤は、その囲い込んでいたうちの一人で、最近、正式にうちの隊員になった」
説明を受けた和彦は改めて、紹介された加藤という青年を眺める。よかったねと、言葉をかけるのは違う気がした。総和会の中で居場所を確保できたことは、野心を持つ者にとっては喜ばしいのかもしれないが、それはあくまで、内側にいる人間の理屈だ。社会的には、とうてい容認されたものではない。
こんなことを考えてしまうのは、やはり自分は偽善的なのだろうなと、ほろ苦い気持ちになった和彦だが、加藤と目が合い、反射的に笑いかける。
秦は、この青年が中嶋と『寝ている』と言っていた。どういう理由からそうなったのか、あれこれ推測したい衝動に駆られるが、これは下衆の勘繰りの類だと自戒する。
「――今日、あんたにつき合ってもらったのは、こいつらを紹介したかったというのもある。総本部の中を闊歩させるには早いから、外で。できることなら祝いも兼ねて、いい店で、高いメシも食わせてやりたかったんだがな……」
南郷から意味ありげな流し目を寄こされる。その目は、和彦の〈わがまま〉のせいで、美味い食事を食わせる機会を失ったと言っている。
こちらに相談なく、勝手に物事を決めるからだと心の中で反論した和彦だが、口にしたのはまったく別のことだった。
「こいつら?」
「もう一人とも、前に会ったことがあるはずだ。――おい」
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