930 / 1,267
第38話
(11)
しおりを挟む
これまで南郷にされてきたことが一気に蘇り、和彦は怒りで我を忘れそうになる。こうして同じテーブルについていることも、精一杯の自制心を費やしてのことなのだ。
和彦は、本能的に南郷を恐れている。近づいてはいけないと、頭の中でずっと警報が鳴り続いているような状態だ。そんな和彦に対して南郷の要求は、あまりに酷だと言えた。
顔を強張らせると、南郷に鼻先で笑われた。
「そう、露骨に嫌そうな顔をしないでくれ。さすがに傷つく」
言い訳もできずに和彦が口ごもっている間に、言葉とは裏腹に平然とした様子で、南郷はステーキを平らげ、スープもあっという間に飲み干してしまう。そして、テーブルに置かれた伝票を手に立ち上がった。
「外で待っている。あんたはゆっくり食べればいい」
そう言われても、優雅にランチを楽しめるはずもなく、和彦はどうにかパスタを半分ほど胃に収めて、急いで店を出る。途端に、物陰に身を潜めていた護衛の男たちにさりげなく囲まれた。少し大げさではないかと感じているが、鷹津に連れ去られた件が尾を引いているのかもしれない。
駐車場では、車の傍らに立った南郷が煙草を吸っていた。そんな南郷に、携帯灰皿を差し出すのは――。
「あっ……」
和彦が洩らした声が聞こえたのか、南郷はほとんど吸っていない煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
「早いな、先生。慌てなくてよかったのに」
「そういうわけには……。それより――」
南郷の傍らで、頭を下げ気味にして控えている青年を見遣る。やはり、間違いなかった。何日か前に、中嶋と一緒にいるところを見かけた青年だ。
Tシャツがぴったりと張り付いた体つきは精悍で、全身から若さが漲っているなと半ば感心して眺めていた和彦だが、逞しい左腕に黒々とした影が差しているのを見て、一瞬ドキリとする。目を凝らしてやっと、肌に彫ってあるものだとわかる。袖で絵柄の大半が隠れているが、瑞々しいともいえる黒の鮮やかさから、かつて千尋が入れていたタトゥーを思い出した。
和彦の視線を追うようにして、南郷も青年に目を向ける。
「こいつが気になるか、先生?」
「えっ、ええ……」
南郷は素っ気ない手つきで、青年のあごを掴み上げる。見ていてヒヤリとするような行動だが、おかげで、青年の顔をよく見ることができた。
これまで和彦は、長嶺組で下働きをしている二十歳そこそこの青年たちを何人も見てきたが、彼もまた、同じだった。どこか荒んで、ふてぶてしい雰囲気を漂わせながら、それでいて大人になりきれていない純朴さのようなものがある。
切れ長の目と、高い位置にある頬骨が印象的で、人によっては惹きつけられそうな容貌をしており、和彦の記憶にもよく残っていた。
「前に、中嶋くんと一緒にいるときに、彼に会ったことがあるなと思って。たくさんの若い子たちの面倒を見ているそうですね、第二遊撃隊で」
「雑用を任せて、寝床と小遣いをやっている。もちろん、善意からじゃない。有能な奴を見つけて、囲い込むためだ。こいつ――加藤は、その囲い込んでいたうちの一人で、最近、正式にうちの隊員になった」
説明を受けた和彦は改めて、紹介された加藤という青年を眺める。よかったねと、言葉をかけるのは違う気がした。総和会の中で居場所を確保できたことは、野心を持つ者にとっては喜ばしいのかもしれないが、それはあくまで、内側にいる人間の理屈だ。社会的には、とうてい容認されたものではない。
こんなことを考えてしまうのは、やはり自分は偽善的なのだろうなと、ほろ苦い気持ちになった和彦だが、加藤と目が合い、反射的に笑いかける。
秦は、この青年が中嶋と『寝ている』と言っていた。どういう理由からそうなったのか、あれこれ推測したい衝動に駆られるが、これは下衆の勘繰りの類だと自戒する。
「――今日、あんたにつき合ってもらったのは、こいつらを紹介したかったというのもある。総本部の中を闊歩させるには早いから、外で。できることなら祝いも兼ねて、いい店で、高いメシも食わせてやりたかったんだがな……」
南郷から意味ありげな流し目を寄こされる。その目は、和彦の〈わがまま〉のせいで、美味い食事を食わせる機会を失ったと言っている。
こちらに相談なく、勝手に物事を決めるからだと心の中で反論した和彦だが、口にしたのはまったく別のことだった。
「こいつら?」
「もう一人とも、前に会ったことがあるはずだ。――おい」
和彦は、本能的に南郷を恐れている。近づいてはいけないと、頭の中でずっと警報が鳴り続いているような状態だ。そんな和彦に対して南郷の要求は、あまりに酷だと言えた。
顔を強張らせると、南郷に鼻先で笑われた。
「そう、露骨に嫌そうな顔をしないでくれ。さすがに傷つく」
言い訳もできずに和彦が口ごもっている間に、言葉とは裏腹に平然とした様子で、南郷はステーキを平らげ、スープもあっという間に飲み干してしまう。そして、テーブルに置かれた伝票を手に立ち上がった。
「外で待っている。あんたはゆっくり食べればいい」
そう言われても、優雅にランチを楽しめるはずもなく、和彦はどうにかパスタを半分ほど胃に収めて、急いで店を出る。途端に、物陰に身を潜めていた護衛の男たちにさりげなく囲まれた。少し大げさではないかと感じているが、鷹津に連れ去られた件が尾を引いているのかもしれない。
駐車場では、車の傍らに立った南郷が煙草を吸っていた。そんな南郷に、携帯灰皿を差し出すのは――。
「あっ……」
和彦が洩らした声が聞こえたのか、南郷はほとんど吸っていない煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
「早いな、先生。慌てなくてよかったのに」
「そういうわけには……。それより――」
南郷の傍らで、頭を下げ気味にして控えている青年を見遣る。やはり、間違いなかった。何日か前に、中嶋と一緒にいるところを見かけた青年だ。
Tシャツがぴったりと張り付いた体つきは精悍で、全身から若さが漲っているなと半ば感心して眺めていた和彦だが、逞しい左腕に黒々とした影が差しているのを見て、一瞬ドキリとする。目を凝らしてやっと、肌に彫ってあるものだとわかる。袖で絵柄の大半が隠れているが、瑞々しいともいえる黒の鮮やかさから、かつて千尋が入れていたタトゥーを思い出した。
和彦の視線を追うようにして、南郷も青年に目を向ける。
「こいつが気になるか、先生?」
「えっ、ええ……」
南郷は素っ気ない手つきで、青年のあごを掴み上げる。見ていてヒヤリとするような行動だが、おかげで、青年の顔をよく見ることができた。
これまで和彦は、長嶺組で下働きをしている二十歳そこそこの青年たちを何人も見てきたが、彼もまた、同じだった。どこか荒んで、ふてぶてしい雰囲気を漂わせながら、それでいて大人になりきれていない純朴さのようなものがある。
切れ長の目と、高い位置にある頬骨が印象的で、人によっては惹きつけられそうな容貌をしており、和彦の記憶にもよく残っていた。
「前に、中嶋くんと一緒にいるときに、彼に会ったことがあるなと思って。たくさんの若い子たちの面倒を見ているそうですね、第二遊撃隊で」
「雑用を任せて、寝床と小遣いをやっている。もちろん、善意からじゃない。有能な奴を見つけて、囲い込むためだ。こいつ――加藤は、その囲い込んでいたうちの一人で、最近、正式にうちの隊員になった」
説明を受けた和彦は改めて、紹介された加藤という青年を眺める。よかったねと、言葉をかけるのは違う気がした。総和会の中で居場所を確保できたことは、野心を持つ者にとっては喜ばしいのかもしれないが、それはあくまで、内側にいる人間の理屈だ。社会的には、とうてい容認されたものではない。
こんなことを考えてしまうのは、やはり自分は偽善的なのだろうなと、ほろ苦い気持ちになった和彦だが、加藤と目が合い、反射的に笑いかける。
秦は、この青年が中嶋と『寝ている』と言っていた。どういう理由からそうなったのか、あれこれ推測したい衝動に駆られるが、これは下衆の勘繰りの類だと自戒する。
「――今日、あんたにつき合ってもらったのは、こいつらを紹介したかったというのもある。総本部の中を闊歩させるには早いから、外で。できることなら祝いも兼ねて、いい店で、高いメシも食わせてやりたかったんだがな……」
南郷から意味ありげな流し目を寄こされる。その目は、和彦の〈わがまま〉のせいで、美味い食事を食わせる機会を失ったと言っている。
こちらに相談なく、勝手に物事を決めるからだと心の中で反論した和彦だが、口にしたのはまったく別のことだった。
「こいつら?」
「もう一人とも、前に会ったことがあるはずだ。――おい」
24
お気に入りに追加
1,359
あなたにおすすめの小説
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる