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第37話
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本当に元気だなと思いながら和彦は、いつもの癖で千尋の頭を手荒く撫でる。
「ぼくはまだ動けないから、お前だけ先にシャワーを浴びてこい……」
「二人でゆっくり入ろうよ。俺が全部やってあげるから」
「……それはちょっと、魅力的な提案だな」
「じゃあ、すぐにお湯溜めてくるっ」
締まりのない笑顔を見せた千尋がベッドを飛び出して行こうとしたので、慌てて腕を掴んで引き止める。
「下着ぐらい穿いていけっ」
「えー、どうせすぐ脱ぐじゃん……」
ぶつぶつ言いながらも、ベッドの端に腰掛けた千尋が、床に落ちた下着を拾い上げようとする。わずかに上体を起こして、まだ目に新鮮に映る刺青に見入っていた和彦だが、あることが気になり、何げなく尋ねた。
「なあ、刺青を入れたら、組か長嶺の家で、祝い事みたいなことはするのか?」
下着を掴んだまま、不思議そうな顔で千尋が振り返る。
「祝ってもらえるのかな?」
「……ぼくに聞くなよ。いや、お前の家は行事ごとはいろいろしっかりやっているから、これはどうなのかと気になっただけだ」
「うーん、大っぴらにはしないよね。組員同士ならさ、気安く話すかもしれないし、体を見せることもあるだろうけど。俺が知る限り、じいちゃんとオヤジが背中にあるものを披露したなんて話は聞いたことないかなー。そもそも、ごく限られた組員か、特別な相手以外は知らないと思うよ。俺たちの体にどんな刺青が入っているかなんて。それどころか、入っていること自体、どれぐらいの人間が知ってるか。俺も、特別な人にしか見せるつもりないし」
ここで千尋が意味ありげにニヤニヤと笑う。
「じいちゃんとオヤジの刺青って、それぞれの気質がよく出てるだろ? 日ごろ長嶺の男たちを、食えない古狐だとか、蛇みたいに陰湿な野郎だなんて、陰口叩いている奴らは、まさかそのまんまのものが、背中に堂々と彫ってあるなんて、思いもしないだろうね」
「――……よくまあ、そんな命知らずなことを楽しそうに口にできるな、お前」
苦笑を洩らしかけた和彦の脳裏を、鋭く刺すものがあった。反射的に起き上がると、半ば無意識のうちに千尋の腕に手をかける。
「先生?」
「お前にこんなことを聞かせると気を悪くするかもしれないが……、会長は、滅多に肌を見せないんだ」
和彦が言わんとしていることを察したらしく、ちらりと複雑な表情を見せて千尋が頷く。
「先生を抱くとき?」
「だから感じるんだ。会長にとって刺青を見せるということは、特別な行為なんだと」
「つまり先生が、『特別な相手』ってことだろ」
和彦はこのときには、一か月以上も自分の神経をチクチクと刺激し続けていたものの正体がわかっていた。
睡眠薬で朦朧とした意識で、電話越しに俊哉のその言葉を聞いたとき、まっさきに感じたのは、なぜ知っているのか、という率直な疑問だった。それが強烈な眠気で押し流され、記憶は霞みがかったように曖昧になった。
あのとき和彦が引っかかったのは、俊哉が放った『化け狐』という言葉だったのだ。
守光の背に棲む、九本の尾を持つ毒々しい黄金色の狐の姿は、和彦の目にしっかりと焼き付いている。あれを見て、ただの狐と表現する人間はいない。直接目にした者こそが、言える言葉だ。
俊哉はいつ、守光の背にあるものを見たのか――。
和彦は恐ろしい可能性に気づき、口元を手で覆っていた。
「ぼくはまだ動けないから、お前だけ先にシャワーを浴びてこい……」
「二人でゆっくり入ろうよ。俺が全部やってあげるから」
「……それはちょっと、魅力的な提案だな」
「じゃあ、すぐにお湯溜めてくるっ」
締まりのない笑顔を見せた千尋がベッドを飛び出して行こうとしたので、慌てて腕を掴んで引き止める。
「下着ぐらい穿いていけっ」
「えー、どうせすぐ脱ぐじゃん……」
ぶつぶつ言いながらも、ベッドの端に腰掛けた千尋が、床に落ちた下着を拾い上げようとする。わずかに上体を起こして、まだ目に新鮮に映る刺青に見入っていた和彦だが、あることが気になり、何げなく尋ねた。
「なあ、刺青を入れたら、組か長嶺の家で、祝い事みたいなことはするのか?」
下着を掴んだまま、不思議そうな顔で千尋が振り返る。
「祝ってもらえるのかな?」
「……ぼくに聞くなよ。いや、お前の家は行事ごとはいろいろしっかりやっているから、これはどうなのかと気になっただけだ」
「うーん、大っぴらにはしないよね。組員同士ならさ、気安く話すかもしれないし、体を見せることもあるだろうけど。俺が知る限り、じいちゃんとオヤジが背中にあるものを披露したなんて話は聞いたことないかなー。そもそも、ごく限られた組員か、特別な相手以外は知らないと思うよ。俺たちの体にどんな刺青が入っているかなんて。それどころか、入っていること自体、どれぐらいの人間が知ってるか。俺も、特別な人にしか見せるつもりないし」
ここで千尋が意味ありげにニヤニヤと笑う。
「じいちゃんとオヤジの刺青って、それぞれの気質がよく出てるだろ? 日ごろ長嶺の男たちを、食えない古狐だとか、蛇みたいに陰湿な野郎だなんて、陰口叩いている奴らは、まさかそのまんまのものが、背中に堂々と彫ってあるなんて、思いもしないだろうね」
「――……よくまあ、そんな命知らずなことを楽しそうに口にできるな、お前」
苦笑を洩らしかけた和彦の脳裏を、鋭く刺すものがあった。反射的に起き上がると、半ば無意識のうちに千尋の腕に手をかける。
「先生?」
「お前にこんなことを聞かせると気を悪くするかもしれないが……、会長は、滅多に肌を見せないんだ」
和彦が言わんとしていることを察したらしく、ちらりと複雑な表情を見せて千尋が頷く。
「先生を抱くとき?」
「だから感じるんだ。会長にとって刺青を見せるということは、特別な行為なんだと」
「つまり先生が、『特別な相手』ってことだろ」
和彦はこのときには、一か月以上も自分の神経をチクチクと刺激し続けていたものの正体がわかっていた。
睡眠薬で朦朧とした意識で、電話越しに俊哉のその言葉を聞いたとき、まっさきに感じたのは、なぜ知っているのか、という率直な疑問だった。それが強烈な眠気で押し流され、記憶は霞みがかったように曖昧になった。
あのとき和彦が引っかかったのは、俊哉が放った『化け狐』という言葉だったのだ。
守光の背に棲む、九本の尾を持つ毒々しい黄金色の狐の姿は、和彦の目にしっかりと焼き付いている。あれを見て、ただの狐と表現する人間はいない。直接目にした者こそが、言える言葉だ。
俊哉はいつ、守光の背にあるものを見たのか――。
和彦は恐ろしい可能性に気づき、口元を手で覆っていた。
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