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第37話
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「――先生さえよければ、一緒に来ないか? その分、少し時間を取られるかもしれないが」
「一緒に、って……、城東会の事務所に?」
「応接室で、お茶でも飲んで待ってもらえると、ありがたい」
どうだろう、と問われ、和彦は視線をさまよわせる。短時間で済む用事のために護衛の組員を呼び出すことを思えば、三田村の提案は合理的だし、何より和彦自身も安全だ。
「ぼくが行って大丈夫なのか……」
つい不安を口にしたのには、理由がある。和彦は三田村と関係を持ってから、城東会の事務所に顔を出したことはなかった。あくまで賢吾のオンナとして立ち寄ったときは、どの組員もよそよそしくはあったが、丁寧に接してくれたのだ。
しかし今はどうだろうか――。
和彦の表情から、何を心配しているか察したらしく、三田村の手がそっと肩にかかる。
「先生は、もっと図太くなってもいいのかもしれない。ときどき、自分の無神経さが、どれだけ先生を傷つけているのか考えて、ぞっとするときがある」
車の助手席のドアを開けてもらい、和彦は乗り込む。これから事務所に向かうということで、後部座席に座るよう促されるのではないかと思ったが、あくまで三田村は、今は和彦と二人の時間を過ごそうとしているのだ。
三田村が車を発進させてから、和彦はぼそぼそと洩らす。
「……ぼくが今以上に図太くなったら、きっと誰の手にも負えなくなるだろうな。それで呆れられたら、もう少し静かに過ごせるんだろうか」
「先生は、自分の周囲にいる男たちのことを、まだ甘く見てるな」
数十秒ほどかけて、三田村の言葉の意味をじっくりと考えたあと、顔をしかめる。和彦が呆れた視線を向けた先で、三田村は口元を緩めていた。
和彦の前に恭しくお茶を出して、まだ若そうな組員が大仰に頭を下げて応接室を出て行く。顔見知りがいる長嶺組の事務所では、誰かしら話し相手になってくれるのだが、そこまで求めるのは図々しいだろう。
ふっとため息をついた和彦は、背筋を伸ばしてソファに腰掛けたまま、なんとなく耳を澄ませていた。応接室が静か過ぎて、壁の向こうから微かな物音が聞こえてくるのだ。誰かが廊下を歩きながら、何事か話しているようだが、さすがに会話の内容まではわからない。
落ち着きなくソファに座り直した和彦は、一人でただ座っているのも間がもたず、外から差し込む陽射しに誘われるように、窓に歩み寄っていた。
車の通りが少ない裏通りの一角に立つ、三階建ての雑居ビルが、城東会の事務所となっている。和彦が今いる応接室は二階にある。組員たちの一部は一階に詰めているが、主な業務は三階で行われており、三田村も普段は、三階で若頭補佐としての仕事に励んでいる。
和彦はなんとなく天井を見上げてから、狭い通りに目を向けた。裏の世界に引きずり込まれたばかりで、まだ何もわかっていなかった頃のほうが、堂々と振る舞えていたような気がすると、自虐的に唇を歪める。
事務所を訪れて三田村と別れてから、応接室に案内されながら、自分に向けられる組員たちの視線を意識していた。
軽蔑されているか、敵意を向けられているか、あるいは悪意か――。
城東会の大事な若頭補佐の道を誤らせてしまったという後ろめたさが、事務所に足を踏み入れたことで、いままでになく肩にのしかかってくるようだ。長嶺組や総和会のさまざまな行事に参加しているときは、襲われなかった感覚だ。
こんなにも弱気になるということは、まだ精神的に安定していないということだろうかと、和彦は自分のてのひらを見つめる。緊張のため、指先が少し冷たくなっていた。
そんなはずはないと自分に言い聞かせていると、壁の向こうでまた足音がした。少し特徴のある歩き方をしている人だなと思っていると、応接室のドアがノックされた。
「はいっ……」
反射的に声を上げると、一人の男がゆっくりとした足取りで応接室に入ってきた。
一目見て、ただの組員ではないだろうと感じた。色の濃いサングラスで顔半分はよくわからないが、年齢はおそらく五十代前半、印象的な禿頭に、小太りとも言える体つきをしている。チノパンツにポロシャツというラフな格好をしてはいるが、そんなことに関係なく、貫禄ある佇まいだ。
戸惑う和彦が、なんと声をかけようかと口ごもっていると、男のほうから口火を切った。
「こっちの事務所に顔を出したら、佐伯先生が来ていると聞いたもので、挨拶をしておこうと思ったんだが。かまわないだろうか?」
「もちろんです。……すみません、応接室を使わせていただいて」
「気にしないでくれ。俺は別に客というわけじゃない」
やはりゆっくりとした足取りで、男は正面のソファに腰掛けた。一拍遅れて、和彦も倣う。
「一緒に、って……、城東会の事務所に?」
「応接室で、お茶でも飲んで待ってもらえると、ありがたい」
どうだろう、と問われ、和彦は視線をさまよわせる。短時間で済む用事のために護衛の組員を呼び出すことを思えば、三田村の提案は合理的だし、何より和彦自身も安全だ。
「ぼくが行って大丈夫なのか……」
つい不安を口にしたのには、理由がある。和彦は三田村と関係を持ってから、城東会の事務所に顔を出したことはなかった。あくまで賢吾のオンナとして立ち寄ったときは、どの組員もよそよそしくはあったが、丁寧に接してくれたのだ。
しかし今はどうだろうか――。
和彦の表情から、何を心配しているか察したらしく、三田村の手がそっと肩にかかる。
「先生は、もっと図太くなってもいいのかもしれない。ときどき、自分の無神経さが、どれだけ先生を傷つけているのか考えて、ぞっとするときがある」
車の助手席のドアを開けてもらい、和彦は乗り込む。これから事務所に向かうということで、後部座席に座るよう促されるのではないかと思ったが、あくまで三田村は、今は和彦と二人の時間を過ごそうとしているのだ。
三田村が車を発進させてから、和彦はぼそぼそと洩らす。
「……ぼくが今以上に図太くなったら、きっと誰の手にも負えなくなるだろうな。それで呆れられたら、もう少し静かに過ごせるんだろうか」
「先生は、自分の周囲にいる男たちのことを、まだ甘く見てるな」
数十秒ほどかけて、三田村の言葉の意味をじっくりと考えたあと、顔をしかめる。和彦が呆れた視線を向けた先で、三田村は口元を緩めていた。
和彦の前に恭しくお茶を出して、まだ若そうな組員が大仰に頭を下げて応接室を出て行く。顔見知りがいる長嶺組の事務所では、誰かしら話し相手になってくれるのだが、そこまで求めるのは図々しいだろう。
ふっとため息をついた和彦は、背筋を伸ばしてソファに腰掛けたまま、なんとなく耳を澄ませていた。応接室が静か過ぎて、壁の向こうから微かな物音が聞こえてくるのだ。誰かが廊下を歩きながら、何事か話しているようだが、さすがに会話の内容まではわからない。
落ち着きなくソファに座り直した和彦は、一人でただ座っているのも間がもたず、外から差し込む陽射しに誘われるように、窓に歩み寄っていた。
車の通りが少ない裏通りの一角に立つ、三階建ての雑居ビルが、城東会の事務所となっている。和彦が今いる応接室は二階にある。組員たちの一部は一階に詰めているが、主な業務は三階で行われており、三田村も普段は、三階で若頭補佐としての仕事に励んでいる。
和彦はなんとなく天井を見上げてから、狭い通りに目を向けた。裏の世界に引きずり込まれたばかりで、まだ何もわかっていなかった頃のほうが、堂々と振る舞えていたような気がすると、自虐的に唇を歪める。
事務所を訪れて三田村と別れてから、応接室に案内されながら、自分に向けられる組員たちの視線を意識していた。
軽蔑されているか、敵意を向けられているか、あるいは悪意か――。
城東会の大事な若頭補佐の道を誤らせてしまったという後ろめたさが、事務所に足を踏み入れたことで、いままでになく肩にのしかかってくるようだ。長嶺組や総和会のさまざまな行事に参加しているときは、襲われなかった感覚だ。
こんなにも弱気になるということは、まだ精神的に安定していないということだろうかと、和彦は自分のてのひらを見つめる。緊張のため、指先が少し冷たくなっていた。
そんなはずはないと自分に言い聞かせていると、壁の向こうでまた足音がした。少し特徴のある歩き方をしている人だなと思っていると、応接室のドアがノックされた。
「はいっ……」
反射的に声を上げると、一人の男がゆっくりとした足取りで応接室に入ってきた。
一目見て、ただの組員ではないだろうと感じた。色の濃いサングラスで顔半分はよくわからないが、年齢はおそらく五十代前半、印象的な禿頭に、小太りとも言える体つきをしている。チノパンツにポロシャツというラフな格好をしてはいるが、そんなことに関係なく、貫禄ある佇まいだ。
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「もちろんです。……すみません、応接室を使わせていただいて」
「気にしないでくれ。俺は別に客というわけじゃない」
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