血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
903 / 1,268
第37話

(15)

しおりを挟む




 エレベーターから降りて和彦の視界にまっさきに飛び込んできたのは、エントランスの隅に立つ、地味な色合いのスーツを着た男の姿だった。
 ごっそりと感情をどこかに置き忘れたような顔で、じっと外を見つめている。静かだが鋭い眼差しは、のんびりと景色を眺めているわけではない。怪しげな人物がうろついていないか、警戒しているのだ。
 和彦は気配を殺して近づいてみたが、とっくに気づいていたらしく、ふっと表情を和らげてこちらを見た。
「――今朝は風が少し冷たい」
 開口一番の三田村の言葉に、和彦はにっこりと笑む。久しぶりに間近で聞いたハスキーな声に、耳の奥がくすぐられる。
「もう十月だからな……。この間、海で泳いだような感覚なのに」
「先生がマフラーを巻くようになるまで、あっという間だろうな」
「……ぼくは別に巻かなくてもいいんだが、周りが言うから、巻いていたんだ。そんなに、寒々しそうに見えていたのかな」
「みんな、先生に風邪をひかせたら大変だと、気が気じゃなかったんだ。――俺も」
 囁くようにさりげなく、言葉が付け加えられる。和彦がじっと見つめると、三田村は居心地悪そうに肩をすくめ、顔を背けた。らしくないことを言ってしまった、と三田村の心の声が聞こえてきそうな仕種だ。
 和彦は必死に笑いを押し殺し、三田村の腕に手をかける。
「行こう、三田村。映画に間に合わない」
 土日を一緒に過ごしたいという電話越しの和彦のわがままに、三田村は即答した。先生の望み通りに、と。
 三田村と顔を合わせるまで、実は和彦は緊張していた。これまでのように、自分に対して三田村が、優しい眼差しを向けてくれるか心配だったからだ。しかし、杞憂に終わった。
 複雑な想いを抱えているはずの三田村は、それを表に出すようなことはしない。そんな男の誠実さに、和彦は二日間をかけて報いるつもりだった。
 三田村と並んで歩きながら駐車場に向かっていると、ジャケットのポケットの中で携帯電話が鳴る。映画館に入る前に電源を切っておかなければと思いながら、誰からの電話かと確認した瞬間、顔が強張っていた。
「先生?」
 足を止めた三田村が不審げに眉をひそめる。一気に顔色が変わったと、和彦自身、自覚はあった。
「……長嶺、会長からだ」
 そう呟いてから、短く息を吐いて電話に出た。
「もしもし――……」
『今、大丈夫かね、先生』
 挨拶もそこそこに、守光は本題を切り出した。
『今日と明日はクリニックは休みだろう。久しぶりに、こちらで過ごせないかと思ったんだ』
「こちらで、って……、本部でですか?」
『あんたに味わってもらいたいと、美味い店も見つけてある。昼は、そこに行こう』
 否という返事は聞かないとばかりに守光が、穏やかな口調ながら予定を話し始める。和彦は動揺しながら、半ば無意識に三田村の腕を掴んでいた。
「あの……、今日と明日はちょっと……」
『予定があるかね?』
「……はい」
『わしの誘いより優先するほどの予定とは――』
 賢吾によく似た太く艶のある声が、わずかに怖い響きを帯びる。
『あんたに会いたいのは、この間言った、相談したいことがあるからなんだが』
「本当に、申し訳ありません。休み明けに、必ずお伺いします。ですから……」
 見えない重圧に押し潰されそうになり、呼吸が速くなる。それでもなんとか断りの言葉を口にすると、電話の向こうから低い笑い声が聞こえてきた。
『年甲斐もなく、あんたに意地悪をしたな。すまなかった、先生。気にせず、楽しんでくれ。ただし――あんたと相談したいことがあるのは本当だ。それも、なるべく早く。休み明けは、わしのほうで予定があるから、また連絡すると思うが、かまわんかね?』
「はい、それはもちろん」
 なんとか電話を終え、ぎこちなく肩から力を抜く。気遣うような三田村の眼差しに、小さく笑いかけた。
「行こうか、三田村」
「先生……、今日は――」
「決めているんだ。今日と明日は、何があっても、ぼくの〈オトコ〉と一緒に過ごすって」
 三田村はもう何も言わず、肩にそっと手をかけてきた。その感触に気持ちが高ぶり、涙が滲んだ目を見られないよう、和彦は顔を伏せた。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

朝起きたら幼なじみと番になってた。

オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。 隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた 思いつきの書き殴り オメガバースの設定をお借りしてます

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...