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第37話
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南郷が、御堂の過去を露骨に口にするのは、そうすることで辱めているつもりなのだろうか。ふと、そんなことを考えたあと、嫌な男だと、和彦は心の中で呟いておく。
「――……伊勢崎さんには、お会いしました」
「今は伊勢崎組を率いているんだったな。俺自身は、本人と顔を合わせたことはないんだが。なかなかのやり手だそうだ。組自体はそう大きくはないが、何しろシンパが多いらしい。今じゃ、北辰連合会では欠かせない男だとまで言われている」
「詳しいんですね」
和彦の言葉に、南郷が派手な笑い声を上げる。
「総和会で隊を任されている身だからな。情報収集も仕事の一つだ」
「だったら、全国の組の情報をすべて把握しているんですか?」
「いや、そこまでは。気になるところだけ、だな」
和彦は昨日知ったばかりの、伊勢崎組――というより龍造の動向が頭に浮かんだが、南郷に報告するつもりは一切なかった。情報収集が仕事だというのなら、いずれ南郷の耳に入るだろうし、もしかするとすでに把握しているのかもしれない。
心情としては、御堂の立場が悪くなるようなことはしたくなかったのだ。
余計なことは言うまいと心に誓った次の瞬間、南郷に問われた。
「先生の、伊勢崎龍造の印象を聞いてみたいな」
「印象ですか……。気さくな方でした」
「他には?」
「……いい父親という感じでした。息子さんをずいぶん可愛がっている様子で」
どういう意味か、南郷は軽く鼻を鳴らした。
「南郷さん?」
「極道も人の子。やっぱり血の繋がった我が子は、何より可愛くてたまらないんだろうな。……今のところ、これはあんたの子だと訴えてくる女もいない、独り者の俺には到底わからない感覚だ」
南郷の脳裏に浮かんでいるのは、伊勢崎父子のことだけではないだろう。
踏み込んではいけない南郷の闇に触れてしまったような気がして、和彦はブルッと身を震わせた。
湯から上がり、浴衣に袖を通した和彦は鏡の前に立つ。後ろめたさと羞恥を噛み締めながら、鏡に映る自分の体を凝視する。
約一週間前、玲によってつけられた無数の愛撫の跡は、目に見える範囲ではすでに消えている。和彦は胸元に軽く指先を這わせてから、浴衣の前を合わせた。
帯を締め、濡れた髪を掻き上げてから、もう一度だけ鏡の中の自分を一瞥して、脱衣所をあとにする。向かうのは、賢吾の部屋だ。
障子を開けると、いつもなら座卓で悠然と待ち構えているはずの男の姿はなく、一瞬困惑した和彦だが、すぐに隣の寝室に電気がついていることに気づく。おそるおそる歩み寄ると、思った通り、賢吾はいた。
すでに床が延べられており、その傍らに胡坐をかいて座っている姿を見て、和彦の心臓の鼓動は大きく跳ねる。
今晩は、なんのために本宅に呼ばれたのか、十分に理解している。久しぶりに〈オンナ〉としての務めを果たすためだ。
賢吾としては、これ以上ない寛容さと忍耐力を持って、和彦の精神が安定するのを待っていたのだろう。それとも、〈あの男〉の面影が和彦の中から薄れるのを待っていたのか――。
湯上がりのせいばかりではなく、ますます熱くなっていく頬の熱を意識したくなくて、取り留めなくあれこれと考え、立ち尽くす。そんな和彦に、賢吾は薄い笑みを向けてくる。この瞬間、意識のすべてが、目の前の男に奪われる。
手招きされ、側に歩み寄る。促されるまま傍らに腰を下ろすと、すかさず肩を抱かれた。間近からじっと見つめられて、最初は落ち着きなく視線をさまよわせていた和彦だが、眼差しの威力には逆らえない。おずおずと見つめ返した。
心の奥底まで浚ってくるような賢吾の目に、ちらちらと大蛇の影が見える。ずいぶん久しぶりに、この目を直視した気がした。
執着心と独占欲の塊のような男に、どれだけの我慢を強いたのだろうかと想像した次の瞬間、己の自惚れぶりに和彦はひどくうろたえる。
ここで賢吾が、ふっと表情を和らげた。
「お前は意外に、表情がころころと変わる」
いきなり『お前』と呼ばれて、それだけで胸の奥がジンと疼いた。
「ほら、また変わった。……艶っぽい、いやらしい顔になった」
囁きながら賢吾の唇がそっと重なり、和彦は細い声を洩らす。もっと触れてほしい、と率直に感じた。
濡れた後ろ髪を手荒くまさぐられながら、二度、三度と賢吾と唇を啄み合う。穏やかな口づけの合間に賢吾に問われた。
「――浮気しただろう、和彦」
ピクリと体を震わせた和彦は、咄嗟に怯えの表情を浮かべる。正直すぎる和彦の反応に、賢吾は苦笑した。
「秋慈か?」
「違うっ」
和彦はムキになって断言したあと、ぼそぼそと付け加えた。
「それは……、御堂さんに失礼だ」
「――……伊勢崎さんには、お会いしました」
「今は伊勢崎組を率いているんだったな。俺自身は、本人と顔を合わせたことはないんだが。なかなかのやり手だそうだ。組自体はそう大きくはないが、何しろシンパが多いらしい。今じゃ、北辰連合会では欠かせない男だとまで言われている」
「詳しいんですね」
和彦の言葉に、南郷が派手な笑い声を上げる。
「総和会で隊を任されている身だからな。情報収集も仕事の一つだ」
「だったら、全国の組の情報をすべて把握しているんですか?」
「いや、そこまでは。気になるところだけ、だな」
和彦は昨日知ったばかりの、伊勢崎組――というより龍造の動向が頭に浮かんだが、南郷に報告するつもりは一切なかった。情報収集が仕事だというのなら、いずれ南郷の耳に入るだろうし、もしかするとすでに把握しているのかもしれない。
心情としては、御堂の立場が悪くなるようなことはしたくなかったのだ。
余計なことは言うまいと心に誓った次の瞬間、南郷に問われた。
「先生の、伊勢崎龍造の印象を聞いてみたいな」
「印象ですか……。気さくな方でした」
「他には?」
「……いい父親という感じでした。息子さんをずいぶん可愛がっている様子で」
どういう意味か、南郷は軽く鼻を鳴らした。
「南郷さん?」
「極道も人の子。やっぱり血の繋がった我が子は、何より可愛くてたまらないんだろうな。……今のところ、これはあんたの子だと訴えてくる女もいない、独り者の俺には到底わからない感覚だ」
南郷の脳裏に浮かんでいるのは、伊勢崎父子のことだけではないだろう。
踏み込んではいけない南郷の闇に触れてしまったような気がして、和彦はブルッと身を震わせた。
湯から上がり、浴衣に袖を通した和彦は鏡の前に立つ。後ろめたさと羞恥を噛み締めながら、鏡に映る自分の体を凝視する。
約一週間前、玲によってつけられた無数の愛撫の跡は、目に見える範囲ではすでに消えている。和彦は胸元に軽く指先を這わせてから、浴衣の前を合わせた。
帯を締め、濡れた髪を掻き上げてから、もう一度だけ鏡の中の自分を一瞥して、脱衣所をあとにする。向かうのは、賢吾の部屋だ。
障子を開けると、いつもなら座卓で悠然と待ち構えているはずの男の姿はなく、一瞬困惑した和彦だが、すぐに隣の寝室に電気がついていることに気づく。おそるおそる歩み寄ると、思った通り、賢吾はいた。
すでに床が延べられており、その傍らに胡坐をかいて座っている姿を見て、和彦の心臓の鼓動は大きく跳ねる。
今晩は、なんのために本宅に呼ばれたのか、十分に理解している。久しぶりに〈オンナ〉としての務めを果たすためだ。
賢吾としては、これ以上ない寛容さと忍耐力を持って、和彦の精神が安定するのを待っていたのだろう。それとも、〈あの男〉の面影が和彦の中から薄れるのを待っていたのか――。
湯上がりのせいばかりではなく、ますます熱くなっていく頬の熱を意識したくなくて、取り留めなくあれこれと考え、立ち尽くす。そんな和彦に、賢吾は薄い笑みを向けてくる。この瞬間、意識のすべてが、目の前の男に奪われる。
手招きされ、側に歩み寄る。促されるまま傍らに腰を下ろすと、すかさず肩を抱かれた。間近からじっと見つめられて、最初は落ち着きなく視線をさまよわせていた和彦だが、眼差しの威力には逆らえない。おずおずと見つめ返した。
心の奥底まで浚ってくるような賢吾の目に、ちらちらと大蛇の影が見える。ずいぶん久しぶりに、この目を直視した気がした。
執着心と独占欲の塊のような男に、どれだけの我慢を強いたのだろうかと想像した次の瞬間、己の自惚れぶりに和彦はひどくうろたえる。
ここで賢吾が、ふっと表情を和らげた。
「お前は意外に、表情がころころと変わる」
いきなり『お前』と呼ばれて、それだけで胸の奥がジンと疼いた。
「ほら、また変わった。……艶っぽい、いやらしい顔になった」
囁きながら賢吾の唇がそっと重なり、和彦は細い声を洩らす。もっと触れてほしい、と率直に感じた。
濡れた後ろ髪を手荒くまさぐられながら、二度、三度と賢吾と唇を啄み合う。穏やかな口づけの合間に賢吾に問われた。
「――浮気しただろう、和彦」
ピクリと体を震わせた和彦は、咄嗟に怯えの表情を浮かべる。正直すぎる和彦の反応に、賢吾は苦笑した。
「秋慈か?」
「違うっ」
和彦はムキになって断言したあと、ぼそぼそと付け加えた。
「それは……、御堂さんに失礼だ」
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