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第36話
(36)
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「君が、ただの大学生として、ぼくの目の前に現れるなら、進学祝いぐらいはしたいけど――……」
和彦は、玲の両目を覗き込む。印象的な黒々とした瞳は、奥に潜む存在を一切うかがわせない。ごく普通の高校生である証明か、この年齢にして、巧みに本性を隠しているのか。
「……ぼくの信条があるんだ。今のような生活を送るようになってから、体に否応なく叩き込まれたものだけど」
「なんですか?」
「ヤクザの言うことは信用するな」
玲は目を丸くしたあと、清々しい笑顔を浮かべた。その笑顔の意味を、体を離したあとも和彦は尋ねることはできなかった。
玄関に荷物を運んだ和彦は、その足でダイニングに向かう。御堂がコーヒーを淹れてくれていたのだ。
「一人いなくなっただけで、ずいぶん寂しくなったね」
イスに腰掛けた和彦の前にカップを置き、御堂がそんなことを言う。一足先に出発した玲のことを指しているのだ。
わずかに心臓の鼓動が速くなるのを自覚しながら、和彦は頷く。
「そうですね。ずいぶん存在感のあった子ですから、余計、そう感じます」
「彼は君に懐いていたけど、連絡は取り合うのかい?」
「……いえ。彼はともかく、ぼくのほうはいろいろと複雑なので、もし迷惑をかけたら申し訳なくて。だから――」
不思議と和彦と玲の間では、携帯電話の番号やメールアドレスを交換しようという話題すら出なかった。
『春まで』と玲は言った。二人の関係が今日で途切れてしまったのかどうか、わかるのは約半年後だ。
「君まで帰ってしまったら、わたしは寂しくて堪らない。昔は、人の出入りが多すぎて、よくも悪くも落ち着かない家だったからね。まあ、今回で、最後の思い出は作れたと思うよ」
ここでなんとなく二人は顔を見合わせ、示し合せたように複雑な表情となっていた。和彦の脳裏に浮かんだのは、高校生である玲との大胆でふしだらな一連の行為だが、御堂は――。
「伊勢崎さんが、玲くんを連れて押しかけてきたときに、予感めいたものはあったから、いまさら驚きも怒りもしないんだけど、さすがに、君と玲くんに〈あれ〉を見られたのは、予想外だった」
御堂から、すべてを見通したような静かな眼差しを向けられ、和彦は慌ててカップに口をつける。鋭い御堂なら、さきほどまで和彦と玲が体を重ねていたことに、気づいているだろう。和彦としても、隠し通せるとは思っていなかった。
ここでふと、今この家にいるのは、過去にオンナだった男と、現在オンナである男の二人だけなのだなと実感する。
本来秘匿とすべき事柄すら、御堂にだけは打ち明けたい心境となっていた。
「御堂さん、ぼくは、玲くんと――」
「伊勢崎さんと初めて関係を持ったのは、わたしが高校生のときだった」
突然の御堂からの告白に、動揺した和彦はカップを置く。
「えっ……」
「二十年以上経って、その伊勢崎さんの高校生の息子が、君に惹かれて関係を持つというのも、不思議な縁のようなものを感じる。伊勢崎さんは今回、わたしと彼を引き合わせるのが目的のようだったけど、君もいると知って、何も企まないとは思えない。物件を探していた件といい、おとなしくはしていられない性分なんだよ、あの人は」
それを聞いた和彦は、よほど不安そうな顔をしていたらしく、御堂は口調を柔らかくする。
「玲くんが、すべて伊勢崎さんの意向を受けて動いたとは思えない。伊勢崎組がこちらで何か始めるつもりだとしても、君と彼の出会いはまったくの偶然だ。他人からは、連休中、同じ家で寝泊まりしただけの繋がりとしか思われない。実際、どんなものだったかは、当人たちしかわからないんだし。……高校三年生ともなれば、案外物事を深く考えているし、一方で、大人が戸惑うほど無鉄砲で情熱的だ。わたしも、彼ぐらいの年齢のときはそうだった。だから、伊勢崎さんを受け入れた」
機会があればじっくりと、御堂と伊勢崎の出会いから、関係を持つまで、そこに綾瀬が加わり、二人の男の〈オンナ〉になった経緯を聞いてみたかった。何より興味があるのは、現在に至るまでの御堂の心の変化だ。
和彦はまだ、男たちの事情に翻弄されている最中であるため、自身の状況も気持ちすらも、俯瞰して見ることはできない。いつかは、御堂のように達観した口調で語れる日が来るのか、ただ知りたかった。
「――……何年経とうが、男たちの事情に振り回される立場は変わらない。多少、力を持ったつもりになっても、わたしは、綾瀬さんや伊勢崎さんは拒めない。憎たらしくて堪らない時期もあったが、それも結局は情の一つだ。変わらないんじゃなく、変わりたくないのかもしれないな。打算もあったが、大事にされたから」
和彦は、玲の両目を覗き込む。印象的な黒々とした瞳は、奥に潜む存在を一切うかがわせない。ごく普通の高校生である証明か、この年齢にして、巧みに本性を隠しているのか。
「……ぼくの信条があるんだ。今のような生活を送るようになってから、体に否応なく叩き込まれたものだけど」
「なんですか?」
「ヤクザの言うことは信用するな」
玲は目を丸くしたあと、清々しい笑顔を浮かべた。その笑顔の意味を、体を離したあとも和彦は尋ねることはできなかった。
玄関に荷物を運んだ和彦は、その足でダイニングに向かう。御堂がコーヒーを淹れてくれていたのだ。
「一人いなくなっただけで、ずいぶん寂しくなったね」
イスに腰掛けた和彦の前にカップを置き、御堂がそんなことを言う。一足先に出発した玲のことを指しているのだ。
わずかに心臓の鼓動が速くなるのを自覚しながら、和彦は頷く。
「そうですね。ずいぶん存在感のあった子ですから、余計、そう感じます」
「彼は君に懐いていたけど、連絡は取り合うのかい?」
「……いえ。彼はともかく、ぼくのほうはいろいろと複雑なので、もし迷惑をかけたら申し訳なくて。だから――」
不思議と和彦と玲の間では、携帯電話の番号やメールアドレスを交換しようという話題すら出なかった。
『春まで』と玲は言った。二人の関係が今日で途切れてしまったのかどうか、わかるのは約半年後だ。
「君まで帰ってしまったら、わたしは寂しくて堪らない。昔は、人の出入りが多すぎて、よくも悪くも落ち着かない家だったからね。まあ、今回で、最後の思い出は作れたと思うよ」
ここでなんとなく二人は顔を見合わせ、示し合せたように複雑な表情となっていた。和彦の脳裏に浮かんだのは、高校生である玲との大胆でふしだらな一連の行為だが、御堂は――。
「伊勢崎さんが、玲くんを連れて押しかけてきたときに、予感めいたものはあったから、いまさら驚きも怒りもしないんだけど、さすがに、君と玲くんに〈あれ〉を見られたのは、予想外だった」
御堂から、すべてを見通したような静かな眼差しを向けられ、和彦は慌ててカップに口をつける。鋭い御堂なら、さきほどまで和彦と玲が体を重ねていたことに、気づいているだろう。和彦としても、隠し通せるとは思っていなかった。
ここでふと、今この家にいるのは、過去にオンナだった男と、現在オンナである男の二人だけなのだなと実感する。
本来秘匿とすべき事柄すら、御堂にだけは打ち明けたい心境となっていた。
「御堂さん、ぼくは、玲くんと――」
「伊勢崎さんと初めて関係を持ったのは、わたしが高校生のときだった」
突然の御堂からの告白に、動揺した和彦はカップを置く。
「えっ……」
「二十年以上経って、その伊勢崎さんの高校生の息子が、君に惹かれて関係を持つというのも、不思議な縁のようなものを感じる。伊勢崎さんは今回、わたしと彼を引き合わせるのが目的のようだったけど、君もいると知って、何も企まないとは思えない。物件を探していた件といい、おとなしくはしていられない性分なんだよ、あの人は」
それを聞いた和彦は、よほど不安そうな顔をしていたらしく、御堂は口調を柔らかくする。
「玲くんが、すべて伊勢崎さんの意向を受けて動いたとは思えない。伊勢崎組がこちらで何か始めるつもりだとしても、君と彼の出会いはまったくの偶然だ。他人からは、連休中、同じ家で寝泊まりしただけの繋がりとしか思われない。実際、どんなものだったかは、当人たちしかわからないんだし。……高校三年生ともなれば、案外物事を深く考えているし、一方で、大人が戸惑うほど無鉄砲で情熱的だ。わたしも、彼ぐらいの年齢のときはそうだった。だから、伊勢崎さんを受け入れた」
機会があればじっくりと、御堂と伊勢崎の出会いから、関係を持つまで、そこに綾瀬が加わり、二人の男の〈オンナ〉になった経緯を聞いてみたかった。何より興味があるのは、現在に至るまでの御堂の心の変化だ。
和彦はまだ、男たちの事情に翻弄されている最中であるため、自身の状況も気持ちすらも、俯瞰して見ることはできない。いつかは、御堂のように達観した口調で語れる日が来るのか、ただ知りたかった。
「――……何年経とうが、男たちの事情に振り回される立場は変わらない。多少、力を持ったつもりになっても、わたしは、綾瀬さんや伊勢崎さんは拒めない。憎たらしくて堪らない時期もあったが、それも結局は情の一つだ。変わらないんじゃなく、変わりたくないのかもしれないな。打算もあったが、大事にされたから」
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