887 / 1,268
第36話
(36)
しおりを挟む
「君が、ただの大学生として、ぼくの目の前に現れるなら、進学祝いぐらいはしたいけど――……」
和彦は、玲の両目を覗き込む。印象的な黒々とした瞳は、奥に潜む存在を一切うかがわせない。ごく普通の高校生である証明か、この年齢にして、巧みに本性を隠しているのか。
「……ぼくの信条があるんだ。今のような生活を送るようになってから、体に否応なく叩き込まれたものだけど」
「なんですか?」
「ヤクザの言うことは信用するな」
玲は目を丸くしたあと、清々しい笑顔を浮かべた。その笑顔の意味を、体を離したあとも和彦は尋ねることはできなかった。
玄関に荷物を運んだ和彦は、その足でダイニングに向かう。御堂がコーヒーを淹れてくれていたのだ。
「一人いなくなっただけで、ずいぶん寂しくなったね」
イスに腰掛けた和彦の前にカップを置き、御堂がそんなことを言う。一足先に出発した玲のことを指しているのだ。
わずかに心臓の鼓動が速くなるのを自覚しながら、和彦は頷く。
「そうですね。ずいぶん存在感のあった子ですから、余計、そう感じます」
「彼は君に懐いていたけど、連絡は取り合うのかい?」
「……いえ。彼はともかく、ぼくのほうはいろいろと複雑なので、もし迷惑をかけたら申し訳なくて。だから――」
不思議と和彦と玲の間では、携帯電話の番号やメールアドレスを交換しようという話題すら出なかった。
『春まで』と玲は言った。二人の関係が今日で途切れてしまったのかどうか、わかるのは約半年後だ。
「君まで帰ってしまったら、わたしは寂しくて堪らない。昔は、人の出入りが多すぎて、よくも悪くも落ち着かない家だったからね。まあ、今回で、最後の思い出は作れたと思うよ」
ここでなんとなく二人は顔を見合わせ、示し合せたように複雑な表情となっていた。和彦の脳裏に浮かんだのは、高校生である玲との大胆でふしだらな一連の行為だが、御堂は――。
「伊勢崎さんが、玲くんを連れて押しかけてきたときに、予感めいたものはあったから、いまさら驚きも怒りもしないんだけど、さすがに、君と玲くんに〈あれ〉を見られたのは、予想外だった」
御堂から、すべてを見通したような静かな眼差しを向けられ、和彦は慌ててカップに口をつける。鋭い御堂なら、さきほどまで和彦と玲が体を重ねていたことに、気づいているだろう。和彦としても、隠し通せるとは思っていなかった。
ここでふと、今この家にいるのは、過去にオンナだった男と、現在オンナである男の二人だけなのだなと実感する。
本来秘匿とすべき事柄すら、御堂にだけは打ち明けたい心境となっていた。
「御堂さん、ぼくは、玲くんと――」
「伊勢崎さんと初めて関係を持ったのは、わたしが高校生のときだった」
突然の御堂からの告白に、動揺した和彦はカップを置く。
「えっ……」
「二十年以上経って、その伊勢崎さんの高校生の息子が、君に惹かれて関係を持つというのも、不思議な縁のようなものを感じる。伊勢崎さんは今回、わたしと彼を引き合わせるのが目的のようだったけど、君もいると知って、何も企まないとは思えない。物件を探していた件といい、おとなしくはしていられない性分なんだよ、あの人は」
それを聞いた和彦は、よほど不安そうな顔をしていたらしく、御堂は口調を柔らかくする。
「玲くんが、すべて伊勢崎さんの意向を受けて動いたとは思えない。伊勢崎組がこちらで何か始めるつもりだとしても、君と彼の出会いはまったくの偶然だ。他人からは、連休中、同じ家で寝泊まりしただけの繋がりとしか思われない。実際、どんなものだったかは、当人たちしかわからないんだし。……高校三年生ともなれば、案外物事を深く考えているし、一方で、大人が戸惑うほど無鉄砲で情熱的だ。わたしも、彼ぐらいの年齢のときはそうだった。だから、伊勢崎さんを受け入れた」
機会があればじっくりと、御堂と伊勢崎の出会いから、関係を持つまで、そこに綾瀬が加わり、二人の男の〈オンナ〉になった経緯を聞いてみたかった。何より興味があるのは、現在に至るまでの御堂の心の変化だ。
和彦はまだ、男たちの事情に翻弄されている最中であるため、自身の状況も気持ちすらも、俯瞰して見ることはできない。いつかは、御堂のように達観した口調で語れる日が来るのか、ただ知りたかった。
「――……何年経とうが、男たちの事情に振り回される立場は変わらない。多少、力を持ったつもりになっても、わたしは、綾瀬さんや伊勢崎さんは拒めない。憎たらしくて堪らない時期もあったが、それも結局は情の一つだ。変わらないんじゃなく、変わりたくないのかもしれないな。打算もあったが、大事にされたから」
和彦は、玲の両目を覗き込む。印象的な黒々とした瞳は、奥に潜む存在を一切うかがわせない。ごく普通の高校生である証明か、この年齢にして、巧みに本性を隠しているのか。
「……ぼくの信条があるんだ。今のような生活を送るようになってから、体に否応なく叩き込まれたものだけど」
「なんですか?」
「ヤクザの言うことは信用するな」
玲は目を丸くしたあと、清々しい笑顔を浮かべた。その笑顔の意味を、体を離したあとも和彦は尋ねることはできなかった。
玄関に荷物を運んだ和彦は、その足でダイニングに向かう。御堂がコーヒーを淹れてくれていたのだ。
「一人いなくなっただけで、ずいぶん寂しくなったね」
イスに腰掛けた和彦の前にカップを置き、御堂がそんなことを言う。一足先に出発した玲のことを指しているのだ。
わずかに心臓の鼓動が速くなるのを自覚しながら、和彦は頷く。
「そうですね。ずいぶん存在感のあった子ですから、余計、そう感じます」
「彼は君に懐いていたけど、連絡は取り合うのかい?」
「……いえ。彼はともかく、ぼくのほうはいろいろと複雑なので、もし迷惑をかけたら申し訳なくて。だから――」
不思議と和彦と玲の間では、携帯電話の番号やメールアドレスを交換しようという話題すら出なかった。
『春まで』と玲は言った。二人の関係が今日で途切れてしまったのかどうか、わかるのは約半年後だ。
「君まで帰ってしまったら、わたしは寂しくて堪らない。昔は、人の出入りが多すぎて、よくも悪くも落ち着かない家だったからね。まあ、今回で、最後の思い出は作れたと思うよ」
ここでなんとなく二人は顔を見合わせ、示し合せたように複雑な表情となっていた。和彦の脳裏に浮かんだのは、高校生である玲との大胆でふしだらな一連の行為だが、御堂は――。
「伊勢崎さんが、玲くんを連れて押しかけてきたときに、予感めいたものはあったから、いまさら驚きも怒りもしないんだけど、さすがに、君と玲くんに〈あれ〉を見られたのは、予想外だった」
御堂から、すべてを見通したような静かな眼差しを向けられ、和彦は慌ててカップに口をつける。鋭い御堂なら、さきほどまで和彦と玲が体を重ねていたことに、気づいているだろう。和彦としても、隠し通せるとは思っていなかった。
ここでふと、今この家にいるのは、過去にオンナだった男と、現在オンナである男の二人だけなのだなと実感する。
本来秘匿とすべき事柄すら、御堂にだけは打ち明けたい心境となっていた。
「御堂さん、ぼくは、玲くんと――」
「伊勢崎さんと初めて関係を持ったのは、わたしが高校生のときだった」
突然の御堂からの告白に、動揺した和彦はカップを置く。
「えっ……」
「二十年以上経って、その伊勢崎さんの高校生の息子が、君に惹かれて関係を持つというのも、不思議な縁のようなものを感じる。伊勢崎さんは今回、わたしと彼を引き合わせるのが目的のようだったけど、君もいると知って、何も企まないとは思えない。物件を探していた件といい、おとなしくはしていられない性分なんだよ、あの人は」
それを聞いた和彦は、よほど不安そうな顔をしていたらしく、御堂は口調を柔らかくする。
「玲くんが、すべて伊勢崎さんの意向を受けて動いたとは思えない。伊勢崎組がこちらで何か始めるつもりだとしても、君と彼の出会いはまったくの偶然だ。他人からは、連休中、同じ家で寝泊まりしただけの繋がりとしか思われない。実際、どんなものだったかは、当人たちしかわからないんだし。……高校三年生ともなれば、案外物事を深く考えているし、一方で、大人が戸惑うほど無鉄砲で情熱的だ。わたしも、彼ぐらいの年齢のときはそうだった。だから、伊勢崎さんを受け入れた」
機会があればじっくりと、御堂と伊勢崎の出会いから、関係を持つまで、そこに綾瀬が加わり、二人の男の〈オンナ〉になった経緯を聞いてみたかった。何より興味があるのは、現在に至るまでの御堂の心の変化だ。
和彦はまだ、男たちの事情に翻弄されている最中であるため、自身の状況も気持ちすらも、俯瞰して見ることはできない。いつかは、御堂のように達観した口調で語れる日が来るのか、ただ知りたかった。
「――……何年経とうが、男たちの事情に振り回される立場は変わらない。多少、力を持ったつもりになっても、わたしは、綾瀬さんや伊勢崎さんは拒めない。憎たらしくて堪らない時期もあったが、それも結局は情の一つだ。変わらないんじゃなく、変わりたくないのかもしれないな。打算もあったが、大事にされたから」
32
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる