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第36話
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何事もなかったように御堂が正面を向く。和彦は困惑しながら、たった今交わされた二人の会話を頭の中で反芻する。具体的なことは何一つわからないが、ただ、ぼんやりと湧き起こるものがあった。
伊勢崎玲という青年は、本当にただの高校生なのだろうかという疑問が。
ホテルのレストランでの朝食の味は、正直よくわからなかった。
同じテーブルについた玲と御堂、そして綾瀬との一見和やかな会話に加わりながら、和彦はさりげなく視線を周囲のテーブルへと向ける。一つのテーブルには、和彦たち三人の移動中からついていた護衛が。別のテーブルには、綾瀬の護衛が座っている。
いまさら、この状況について何か言うつもりはないのだが、護衛に囲まれている自分の立場については、あれこれと思いを巡らせる。
酸味の強いオレンジジュースを一口飲んだところで、吸い寄せられるように玲と目が合った。周囲を、特殊な立場にある大人たちに囲まれながらも、玲は落ち着いて見えた。
地元では護衛はついていないと言っていたが、本当なのだろうかと、今になって疑ってしまう。車内での御堂とのやり取りが、和彦は引っかかっていた。
玲とは、知り合ってほんの数日――数十時間しか経っていない。それで、玲のことを知った気になったのは、体を重ねたからだ。そんな自分のささやかな驕りを突き崩されたようで、知らず知らずのうちに和彦の頬は熱くなる。
自戒も込めて、自身に言い聞かせるのは、玲のことはもう知りたくないし、知ってはいけないということだ。
穏やかな表情で玲に話しかけていた綾瀬が、さりげなく腕時計に視線を落とす。すかさず御堂が声をかけた。
「仕事の時間が近いんでしょう? どうぞ、行ってください。みんな、ほぼ食事は終えていますから、誘っておきながら失礼だ、なんて言いません」
「そう言って、さっさと俺を追い払いたいんだろう」
「そんな薄情なことは思っていませんよ。ただ、気遣っているだけです。いろいろと、忙しいでのでしょう?」
いろいろと、という単語に微妙な含みを感じたのは、和彦だけではなかったようだ。綾瀬は目を眇め、物言いたげな様子で御堂を眺めていたが、ふっと口元を緩めた。
「では、お前の言葉に甘えることにしよう」
こう言ったあと、綾瀬は慌ただしく立ち上がり、次の瞬間には、護衛の男たちも倣う。綾瀬は、玲の肩に手をかけ、親しげに声をかけたあと、和彦の側までやってきた。思わず立ち上がろうとしたが、その前に、やはり肩に手をかけられた。力を込められたわけでもないのに、それだけで動けなくなる。
綾瀬が、スッと耳元に顔を寄せ、低くしわがれた声をさらに潜めて言った。
「君も大変だろうが、時間があるときでいい、今後も秋慈の話し相手になってくれ」
和彦が目を丸くすると、綾瀬は軽く一礼してテーブルを離れた。
「――あの人、なんだって?」
綾瀬の後ろ姿が見えなくなってから、御堂が微笑を浮かべて問いかけてくる。
「あー、いえ、今後もよろしく、というようなことを……」
「何を頼まれたにせよ、真剣に受け止めなくていいから。君自身が大変な状況で、他人のことまで気にかけていられないだろう」
どうやら御堂には、綾瀬が何を言ったのか察しはついているようだ。和彦は首を横に振る。
「大変なのは否定しませんが、だからこそ、御堂さんと話ができるのは、ありがたいです。ぼくのほうこそ、話し相手になってくださいと、お願いしたいぐらいです」
「綾瀬さん、そんなことを君に頼んだのか。わたしの話し相手になってほしいと」
しまったと、和彦は顔をしかめる。
「わたしのほうは、願ったり叶ったりだ。――まあ、〈誰か〉は確実にいい顔はしないだろうが、君が望めば、表立って嫌とは言えないはずだ」
咄嗟にある人物の顔が思い浮かんだが、あえて名を出すまでもないだろう。
実家にまで泊めてもらっておきながら、改めて、今後もよろしくお願いしますと挨拶をするのは、妙な感覚だった。
朝食を終え、そろそろ店を出ようかという雰囲気が漂い始めた頃、和彦は先に席を立ち、一人でレストルームへと向かう。護衛がついてこようとしたが、さすがに断った。
運よくレストルームには和彦以外、誰もいなかった。洗面台の前に立つと、おそるおそる鏡に映る自分の顔を見る。とりあえず、いつも通りの自分がそこにいると思った。神経を張り詰めてはいたが、気だるさや淫靡な雰囲気を漂わせていては、目も当てられない。目元などに残る疲労感については、仕方がないと思うしかない。
和彦はため息をつくと、汗ばんだ手を洗う。すると、誰かがレストルームに入ってきた気配がした。何げなく顔を上げて、ドキリとする。鏡越しに、洗面台に歩み寄ってくる玲が見えた。
伊勢崎玲という青年は、本当にただの高校生なのだろうかという疑問が。
ホテルのレストランでの朝食の味は、正直よくわからなかった。
同じテーブルについた玲と御堂、そして綾瀬との一見和やかな会話に加わりながら、和彦はさりげなく視線を周囲のテーブルへと向ける。一つのテーブルには、和彦たち三人の移動中からついていた護衛が。別のテーブルには、綾瀬の護衛が座っている。
いまさら、この状況について何か言うつもりはないのだが、護衛に囲まれている自分の立場については、あれこれと思いを巡らせる。
酸味の強いオレンジジュースを一口飲んだところで、吸い寄せられるように玲と目が合った。周囲を、特殊な立場にある大人たちに囲まれながらも、玲は落ち着いて見えた。
地元では護衛はついていないと言っていたが、本当なのだろうかと、今になって疑ってしまう。車内での御堂とのやり取りが、和彦は引っかかっていた。
玲とは、知り合ってほんの数日――数十時間しか経っていない。それで、玲のことを知った気になったのは、体を重ねたからだ。そんな自分のささやかな驕りを突き崩されたようで、知らず知らずのうちに和彦の頬は熱くなる。
自戒も込めて、自身に言い聞かせるのは、玲のことはもう知りたくないし、知ってはいけないということだ。
穏やかな表情で玲に話しかけていた綾瀬が、さりげなく腕時計に視線を落とす。すかさず御堂が声をかけた。
「仕事の時間が近いんでしょう? どうぞ、行ってください。みんな、ほぼ食事は終えていますから、誘っておきながら失礼だ、なんて言いません」
「そう言って、さっさと俺を追い払いたいんだろう」
「そんな薄情なことは思っていませんよ。ただ、気遣っているだけです。いろいろと、忙しいでのでしょう?」
いろいろと、という単語に微妙な含みを感じたのは、和彦だけではなかったようだ。綾瀬は目を眇め、物言いたげな様子で御堂を眺めていたが、ふっと口元を緩めた。
「では、お前の言葉に甘えることにしよう」
こう言ったあと、綾瀬は慌ただしく立ち上がり、次の瞬間には、護衛の男たちも倣う。綾瀬は、玲の肩に手をかけ、親しげに声をかけたあと、和彦の側までやってきた。思わず立ち上がろうとしたが、その前に、やはり肩に手をかけられた。力を込められたわけでもないのに、それだけで動けなくなる。
綾瀬が、スッと耳元に顔を寄せ、低くしわがれた声をさらに潜めて言った。
「君も大変だろうが、時間があるときでいい、今後も秋慈の話し相手になってくれ」
和彦が目を丸くすると、綾瀬は軽く一礼してテーブルを離れた。
「――あの人、なんだって?」
綾瀬の後ろ姿が見えなくなってから、御堂が微笑を浮かべて問いかけてくる。
「あー、いえ、今後もよろしく、というようなことを……」
「何を頼まれたにせよ、真剣に受け止めなくていいから。君自身が大変な状況で、他人のことまで気にかけていられないだろう」
どうやら御堂には、綾瀬が何を言ったのか察しはついているようだ。和彦は首を横に振る。
「大変なのは否定しませんが、だからこそ、御堂さんと話ができるのは、ありがたいです。ぼくのほうこそ、話し相手になってくださいと、お願いしたいぐらいです」
「綾瀬さん、そんなことを君に頼んだのか。わたしの話し相手になってほしいと」
しまったと、和彦は顔をしかめる。
「わたしのほうは、願ったり叶ったりだ。――まあ、〈誰か〉は確実にいい顔はしないだろうが、君が望めば、表立って嫌とは言えないはずだ」
咄嗟にある人物の顔が思い浮かんだが、あえて名を出すまでもないだろう。
実家にまで泊めてもらっておきながら、改めて、今後もよろしくお願いしますと挨拶をするのは、妙な感覚だった。
朝食を終え、そろそろ店を出ようかという雰囲気が漂い始めた頃、和彦は先に席を立ち、一人でレストルームへと向かう。護衛がついてこようとしたが、さすがに断った。
運よくレストルームには和彦以外、誰もいなかった。洗面台の前に立つと、おそるおそる鏡に映る自分の顔を見る。とりあえず、いつも通りの自分がそこにいると思った。神経を張り詰めてはいたが、気だるさや淫靡な雰囲気を漂わせていては、目も当てられない。目元などに残る疲労感については、仕方がないと思うしかない。
和彦はため息をつくと、汗ばんだ手を洗う。すると、誰かがレストルームに入ってきた気配がした。何げなく顔を上げて、ドキリとする。鏡越しに、洗面台に歩み寄ってくる玲が見えた。
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