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第36話
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「それはどういう……。玲くんは、普通の高校生ですよね?」
「今は、かな」
意味ありげに呟いた御堂が、ポンッと和彦の肩を軽く叩いて立ち上がる。
「さて、玲くんも戻ってきたことだし、朝食にしよう。といっても今朝は、外で食べるつもりなんだけど。――綾瀬さんが、お礼も兼ねて、君たちを誘いたいと言ってね」
和彦が目を丸くすると、諦めてくれと言いたげに御堂は首を横に振った。
「あの人も忙しい人だし、玲くんも今日の昼にはここを出るから、一緒に食事するとなると、朝食ぐらいしかないんだ。……自分と伊勢崎さんの再会が、殺伐としたものにならなかったのは、君らがいてくれたおかげ、と言いたいんだろう、綾瀬さんは」
一瞬、複雑そうな表情を見せた御堂に対して、どういう意味かとは問えなかった。
せっかくの綾瀬からの誘いを断ることもできず、慌ただしく身支度を整えて玄関に向かうと、困惑顔で玲が待っており、和彦と目が合うなり、こうぼやいた。
「俺……、走って戻ってきて、シャワーも浴びてないんですよ。一応着替えて、制汗剤も使ったけど、多分まだ、汗臭いです……」
笑いかけようとした和彦だが、失敗した。明け方まで包まれていた玲の汗の匂いを思い出し、胸の奥が妖しく疼く。いまさらながら、目の前の〈高校生〉と体を重ねたのだという現実に、戦いていた。
「大丈夫だよ。この距離でも気にならないんだから。それに、煙草臭いとか、酒臭いとかじゃないんだから、健康的だ」
「……男子高校生の醸す男臭さを甘く見ないでくださいね、佐伯さん。体育の後なんて、更衣室の臭さは半端じゃないんですから」
「想像はつくよ。ぼくだって高校生だったときはある」
砕けた口調で会話を交わしながらも、互いが相手を意識しているのは、強く感じていた。和彦のほうは微妙に視線を逸らそうとするのだが、対照的に玲は、強い眼差しをまっすぐこちらに向けてくる。
夜が明けたら夢は終わり、何もなかったふりをする――。その約束自体が無理だったのではないかと、すでに和彦は危機感を抱きつつあった。
もう一度釘を刺しておくべきなのかと逡巡している間に、御堂もやってきて、三人は玄関を出る。
家の前には、二台の車が待機していた。驚いた和彦と玲は、同じタイミングで御堂を見る。
「あの、これ――」
「綾瀬さんの気遣いだと思って、何も言わず乗ってくれ」
澄ました顔で言った御堂に追い立てられるようにして、和彦と玲は車の後部座席に乗り込む。御堂は、もう一台の車に乗るのかと思ったが、同じ車の助手席に乗った。
車が走り出してすぐ、御堂が説明してくれた。
「君らが、厳重な護衛を嫌がっているのはわかっているんだが、さすがに、清道会の組長補佐である綾瀬さんが招待しておきながら、君らに護衛をつけなかったというのは、外聞が悪い。まあ、組の事情だと思って、我慢してほしい。行き帰りのことだけだから」
「神経を使って大変ですね。護衛のこととか、組の事情とか……」
溜息交じりに玲が言うと、助手席から振り返った御堂が口元を緩める。
「君も、高校を出たら他人事ではなくなるんじゃないか」
「俺ですか……?」
「大学に通いながら、伊勢崎さんの跡を継ぐために、組の仕事を学ぶ予定はないのかい。高校生の間は、地元だから目立つこともできないだろうが、進学でこっちに来るなら、そういう意味では自由にできるだろう」
このとき和彦は、自分だけが取り残される形で、玲と御堂が共通の言語で唐突に話し始めたような、奇妙な感覚に襲われていた。
わずかに目を見開き、二人を交互に見遣る。寸前まで、自分の汗臭さを気にしている様子だった玲は、今はひどく大人びた横顔を見せており、御堂は、色素の薄い瞳に冴え冴えとした光を湛えている。
短く息を吸った玲が、横目で和彦を一瞥したあと、落ち着いた口調で答える。
「――俺は、古臭いヤクザにはなりたくありません。組の仕事にも興味はないですし」
でも、と玲は言葉を続ける。
「新しい環境で心境の変化があれば、もしかすると、高校生の立場ではできなかったことに、挑戦してみるかもしれません」
「それは、君のお父さんが今、こっちで準備していることと関係がある?」
「あの人、何かしているんですか。てっきり、ホテルの部屋に女の人を連れ込むか、あちこちの店を飲み歩いているのかと思ってました」
「……そうだとしたら、こちらも安心できるけどね。わたしが報告を受けた内容は、ちょっと――、いや、かなり違う」
そこまで言って御堂が、ようやく和彦を見る。ふっと眼差しが和らぎ、この瞬間、自分だけが取り残されていたような感覚が消え去った。
「今は、かな」
意味ありげに呟いた御堂が、ポンッと和彦の肩を軽く叩いて立ち上がる。
「さて、玲くんも戻ってきたことだし、朝食にしよう。といっても今朝は、外で食べるつもりなんだけど。――綾瀬さんが、お礼も兼ねて、君たちを誘いたいと言ってね」
和彦が目を丸くすると、諦めてくれと言いたげに御堂は首を横に振った。
「あの人も忙しい人だし、玲くんも今日の昼にはここを出るから、一緒に食事するとなると、朝食ぐらいしかないんだ。……自分と伊勢崎さんの再会が、殺伐としたものにならなかったのは、君らがいてくれたおかげ、と言いたいんだろう、綾瀬さんは」
一瞬、複雑そうな表情を見せた御堂に対して、どういう意味かとは問えなかった。
せっかくの綾瀬からの誘いを断ることもできず、慌ただしく身支度を整えて玄関に向かうと、困惑顔で玲が待っており、和彦と目が合うなり、こうぼやいた。
「俺……、走って戻ってきて、シャワーも浴びてないんですよ。一応着替えて、制汗剤も使ったけど、多分まだ、汗臭いです……」
笑いかけようとした和彦だが、失敗した。明け方まで包まれていた玲の汗の匂いを思い出し、胸の奥が妖しく疼く。いまさらながら、目の前の〈高校生〉と体を重ねたのだという現実に、戦いていた。
「大丈夫だよ。この距離でも気にならないんだから。それに、煙草臭いとか、酒臭いとかじゃないんだから、健康的だ」
「……男子高校生の醸す男臭さを甘く見ないでくださいね、佐伯さん。体育の後なんて、更衣室の臭さは半端じゃないんですから」
「想像はつくよ。ぼくだって高校生だったときはある」
砕けた口調で会話を交わしながらも、互いが相手を意識しているのは、強く感じていた。和彦のほうは微妙に視線を逸らそうとするのだが、対照的に玲は、強い眼差しをまっすぐこちらに向けてくる。
夜が明けたら夢は終わり、何もなかったふりをする――。その約束自体が無理だったのではないかと、すでに和彦は危機感を抱きつつあった。
もう一度釘を刺しておくべきなのかと逡巡している間に、御堂もやってきて、三人は玄関を出る。
家の前には、二台の車が待機していた。驚いた和彦と玲は、同じタイミングで御堂を見る。
「あの、これ――」
「綾瀬さんの気遣いだと思って、何も言わず乗ってくれ」
澄ました顔で言った御堂に追い立てられるようにして、和彦と玲は車の後部座席に乗り込む。御堂は、もう一台の車に乗るのかと思ったが、同じ車の助手席に乗った。
車が走り出してすぐ、御堂が説明してくれた。
「君らが、厳重な護衛を嫌がっているのはわかっているんだが、さすがに、清道会の組長補佐である綾瀬さんが招待しておきながら、君らに護衛をつけなかったというのは、外聞が悪い。まあ、組の事情だと思って、我慢してほしい。行き帰りのことだけだから」
「神経を使って大変ですね。護衛のこととか、組の事情とか……」
溜息交じりに玲が言うと、助手席から振り返った御堂が口元を緩める。
「君も、高校を出たら他人事ではなくなるんじゃないか」
「俺ですか……?」
「大学に通いながら、伊勢崎さんの跡を継ぐために、組の仕事を学ぶ予定はないのかい。高校生の間は、地元だから目立つこともできないだろうが、進学でこっちに来るなら、そういう意味では自由にできるだろう」
このとき和彦は、自分だけが取り残される形で、玲と御堂が共通の言語で唐突に話し始めたような、奇妙な感覚に襲われていた。
わずかに目を見開き、二人を交互に見遣る。寸前まで、自分の汗臭さを気にしている様子だった玲は、今はひどく大人びた横顔を見せており、御堂は、色素の薄い瞳に冴え冴えとした光を湛えている。
短く息を吸った玲が、横目で和彦を一瞥したあと、落ち着いた口調で答える。
「――俺は、古臭いヤクザにはなりたくありません。組の仕事にも興味はないですし」
でも、と玲は言葉を続ける。
「新しい環境で心境の変化があれば、もしかすると、高校生の立場ではできなかったことに、挑戦してみるかもしれません」
「それは、君のお父さんが今、こっちで準備していることと関係がある?」
「あの人、何かしているんですか。てっきり、ホテルの部屋に女の人を連れ込むか、あちこちの店を飲み歩いているのかと思ってました」
「……そうだとしたら、こちらも安心できるけどね。わたしが報告を受けた内容は、ちょっと――、いや、かなり違う」
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