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第36話
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それだけではなく、俊哉と交わした会話も、和彦の胸を重く塞いでいる。他言するなと釘を刺されたことが、まるで遅効性の毒のようにじわじわと精神を侵食してくるのだ。
「一緒に行動していて、ときどきつらそうな顔をしていましたね、佐伯さん」
「いままで、べったりした関係でもなかったのに、何かの拍子に思い出して、ああ、これが、胸に穴が空いたという状態なのかなって。君と出歩きながら、その感覚を紛らわせようとしていた」
「……その特別な人間って、佐伯さんにとって、どういう意味で特別なんですか?」
難しい質問だなと、和彦は答えに困る。鷹津とは恋人同士ではなかったし、胸が苦しくなるような想いを寄せていたわけでもない。ただ、特殊な生活の中で、少なからず和彦の支えとなってくれ、情も交わした。
とにかく、特別な人間――男だったのだ。
「いざ言葉にしようとすると、困るな。どう表現すればいいのか……」
「だったら、好きということでいいんじゃないですか。特別嫌いな人間がいなくなっても、あんなふうにつらそうな顔はしないと思います」
「……なんだか今は、君のほうが年上みたいだ。すっかり人生相談をしている気分になった」
「なら、人生相談の締めとして、言っておきます。どんな理由があったとしても、俺は佐伯さんを嫌いになったりはしません。むしろ俺は、弱っている佐伯さんにつけ込んだと言えるのかも」
そんなことないよと、柔らかな口調で応じた和彦は、玲の背にてのひらを這わせる。ふと思いついたことを口にしていた。
「大学生になっても、君にはスポーツは続けてほしいな。せっかく、きれいな筋肉がついているんだし」
「もう、鈍りかけてますよ。陸上は続けないかもしれないけど、体は動かし続けたいと思っています。ジムに入ってみようかな」
「運動系のサークルに入ってみるのは?」
「そうですね……。時間があれば、入ってもいいかも――」
玲が大きくあくびをして、抱きついてくる。つられて和彦もあくびをすると、玲の頭に顔を寄せた。
性欲を満たしたあとに、即、睡眠欲を満たそうとする自分たちは、まるで動物そのものだなと思いながらも、不思議と罪悪感や嫌悪感とは無縁でいられた。
自分は、伊勢崎玲という存在に癒してもらったのだなと、ふっとそんな考えが和彦の脳裏を過った。
よく手入れされた庭と、生活感の象徴のような洗濯物が一体となった光景は、妙に心落ち着く。
そんなことを考えながら和彦は、縁側に腰掛けてぼんやりとしていた。
「――今日は天気がいいから、すぐに乾くよ」
前触れもなく背後から声をかけられ、慌てて振り返る。いつの間にか御堂が立っていた。
「すまなかったね、お客さんなのに、洗濯なんてさせてしまって」
「あっ、いえ、連休の間、お世話になったのに、こんなことしかできなくて……。見ていると、御堂さんのほうがなんでも手際がいいですから」
「わたしは、物の片付けだけが、いまいちなんだ。それ以外のことは、まあ一通りね。君もそういうタイプだろう?」
「ぼくは、必要最低限という感じです。今日でお暇するので、少しぐらいお役に立ちたかったんですけど……」
どぎまぎしながら答える和彦の隣に、御堂も腰掛ける。
「そうか、今日で、君も玲くんも帰るんだな。君とじっくり話すつもりだったのに、なんだかバタバタしてしまって、あまり込み入った話はできなかった。君ら二人が寛いでくれていたようだから、結果的によかったけど」
ふいに御堂が言葉を切る。和彦は庭を眺めながら、自分の横顔に向けられる視線に気づいていた。
庭に干した洗濯物は、シーツや浴衣だけではなく、和彦の服も混じっているのだが、それが小細工であることを、おそらく御堂は見抜いている。その証拠に、こんなことを言われた。
「さっき廊下で玲くんと出くわしたけど、朝のジョギングをして戻ってきたところだって言うんだ。なんと言うか、元気だね。君なんて、〈まだ〉ぐったりしているのに」
危うく、飛び上りそうになった。和彦は困惑しながら、御堂の反応をうかがう。
「あの……」
「彼は、知っていたんだろ。伊勢崎さんが言っていた。自分の武勇伝なんてものは話したことはないが、わたしの――オンナの話はよく聞かせていたと。迷惑な英才教育というべきか、洗脳というべきか。なんにしても、若い子には、毒だ」
御堂の口元に浮かぶのは、淡い苦笑だった。だが次の瞬間には、身が竦むような怜悧な眼差しを向けられ、和彦は反射的に背筋を伸ばす。
「君にとっても、毒になるかもしれない」
「……玲くんが、ですか?」
「長嶺父子も大概食えないが、伊勢崎父子も、かなりのものだよ」
「一緒に行動していて、ときどきつらそうな顔をしていましたね、佐伯さん」
「いままで、べったりした関係でもなかったのに、何かの拍子に思い出して、ああ、これが、胸に穴が空いたという状態なのかなって。君と出歩きながら、その感覚を紛らわせようとしていた」
「……その特別な人間って、佐伯さんにとって、どういう意味で特別なんですか?」
難しい質問だなと、和彦は答えに困る。鷹津とは恋人同士ではなかったし、胸が苦しくなるような想いを寄せていたわけでもない。ただ、特殊な生活の中で、少なからず和彦の支えとなってくれ、情も交わした。
とにかく、特別な人間――男だったのだ。
「いざ言葉にしようとすると、困るな。どう表現すればいいのか……」
「だったら、好きということでいいんじゃないですか。特別嫌いな人間がいなくなっても、あんなふうにつらそうな顔はしないと思います」
「……なんだか今は、君のほうが年上みたいだ。すっかり人生相談をしている気分になった」
「なら、人生相談の締めとして、言っておきます。どんな理由があったとしても、俺は佐伯さんを嫌いになったりはしません。むしろ俺は、弱っている佐伯さんにつけ込んだと言えるのかも」
そんなことないよと、柔らかな口調で応じた和彦は、玲の背にてのひらを這わせる。ふと思いついたことを口にしていた。
「大学生になっても、君にはスポーツは続けてほしいな。せっかく、きれいな筋肉がついているんだし」
「もう、鈍りかけてますよ。陸上は続けないかもしれないけど、体は動かし続けたいと思っています。ジムに入ってみようかな」
「運動系のサークルに入ってみるのは?」
「そうですね……。時間があれば、入ってもいいかも――」
玲が大きくあくびをして、抱きついてくる。つられて和彦もあくびをすると、玲の頭に顔を寄せた。
性欲を満たしたあとに、即、睡眠欲を満たそうとする自分たちは、まるで動物そのものだなと思いながらも、不思議と罪悪感や嫌悪感とは無縁でいられた。
自分は、伊勢崎玲という存在に癒してもらったのだなと、ふっとそんな考えが和彦の脳裏を過った。
よく手入れされた庭と、生活感の象徴のような洗濯物が一体となった光景は、妙に心落ち着く。
そんなことを考えながら和彦は、縁側に腰掛けてぼんやりとしていた。
「――今日は天気がいいから、すぐに乾くよ」
前触れもなく背後から声をかけられ、慌てて振り返る。いつの間にか御堂が立っていた。
「すまなかったね、お客さんなのに、洗濯なんてさせてしまって」
「あっ、いえ、連休の間、お世話になったのに、こんなことしかできなくて……。見ていると、御堂さんのほうがなんでも手際がいいですから」
「わたしは、物の片付けだけが、いまいちなんだ。それ以外のことは、まあ一通りね。君もそういうタイプだろう?」
「ぼくは、必要最低限という感じです。今日でお暇するので、少しぐらいお役に立ちたかったんですけど……」
どぎまぎしながら答える和彦の隣に、御堂も腰掛ける。
「そうか、今日で、君も玲くんも帰るんだな。君とじっくり話すつもりだったのに、なんだかバタバタしてしまって、あまり込み入った話はできなかった。君ら二人が寛いでくれていたようだから、結果的によかったけど」
ふいに御堂が言葉を切る。和彦は庭を眺めながら、自分の横顔に向けられる視線に気づいていた。
庭に干した洗濯物は、シーツや浴衣だけではなく、和彦の服も混じっているのだが、それが小細工であることを、おそらく御堂は見抜いている。その証拠に、こんなことを言われた。
「さっき廊下で玲くんと出くわしたけど、朝のジョギングをして戻ってきたところだって言うんだ。なんと言うか、元気だね。君なんて、〈まだ〉ぐったりしているのに」
危うく、飛び上りそうになった。和彦は困惑しながら、御堂の反応をうかがう。
「あの……」
「彼は、知っていたんだろ。伊勢崎さんが言っていた。自分の武勇伝なんてものは話したことはないが、わたしの――オンナの話はよく聞かせていたと。迷惑な英才教育というべきか、洗脳というべきか。なんにしても、若い子には、毒だ」
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