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第36話
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「俺、ずっと触れてみたかったんです。オンナに。あの父さんが臆面もなく、『惚れていた』と言い切っていたのは、御堂さんというオンナでした。俺は、俺の想像の中にいたオンナにずっと触れたかった――」
玲が本気で言っていることは、向けられる眼差しや表情を見ていればわかる。だからこそ和彦は、困惑する。
ため息をつくと、玲との間に一人分のスペースを空けて座り直し、苦々しい口調で諭した。
「やっぱり君は、毒されたんだ。ぼくも含めた、悪い男たちが放つ毒気に……。あと半年ちょっとで、楽しい大学生活を始めて、人間関係だってどんどん広がっていく。そうしたら、本当にキスしたいと思う相手にも出会える。そのときになって、血迷って三十男にあんなことするんじゃなかったと後悔するはずだ」
「しません」
この頑固さは子供特有のものなのだろうかと、和彦は腹が立つより、微笑ましさを感じる。つい口元が緩みそうになったが、それどころではないと、なんとか表情を引き締める。
「――……ぼくは、君の想像の中にいるオンナじゃない。現実に存在していて、怖い男たちと寝ているし、守ってもらっている。お互い厄介な立場にいるし、何より高校生の君と関わりを持つのは、面倒だ」
玲が顔を伏せたので、言い過ぎただろうかと内心気が気でなかったが、いかにも健やかに育ってきた玲の将来を思うと、これでいいのだと和彦は自分に言い聞かせる。
このとき脳裏を過ぎったのは、鷹津の存在だった。あの男は、健やかとは対極にいる存在ではあったが、和彦と深い関わりを持ったことで、結果として警察官という身分を失った。何もかも自分のせいだというのは傲慢な自惚れになるかもしれないが、それでも、高校生の将来を慮ることぐらいは許されるはずだ。
「……また、つらそうな顔していますね」
黙り込んだ和彦が気になったのか、顔を上げた玲に指摘される。和彦は眉間にシワを寄せると、玲の肩を軽く小突いた。
「気分がマシになったんなら、もう少しだけ奥に行ってみようか。せっかく入園料を払ったんだし」
頷いた玲とともに橋のほうへと戻ると、ずっと待っていたらしい、綾瀬の部下が所在なさげに池を覗き込んでいた。
並木道を歩きながら、和彦は表面上は冷静を装っていたが、心はずっと波立っている。知り合ったばかりの男子高校生の言動に、完全に翻弄されていた。
さきほどの出来事はなかったことにならないだろうかと、懸命に願っている和彦の隣で、玲がさらりと切り出した。
「佐伯さん、もう一度キスさせてください」
かろうじて無表情を保ち、淡々と和彦は応じる。
「……君は下手だから、嫌だ」
「下手だったのは、勘弁してください。――初めてだったんで」
ぎょっとした和彦は、ムキになって説教をしていた。
「大事にしないかっ。思い出だろ? 一生記憶に残るものじゃないかっ。……今の高校生はそんな考え方はしないなんて、言うなよ」
「大事にします。それに思い出にしたいから、もう一度させてください」
「頭を冷やせ。ぼくは、君に深入りするつもりはないし、責任も持てない。そういう話がしたいなら、ぼくはもう帰る」
玲の顔を見ることなく早口に告げると、来た道を引き返す。背後から玲がついてくる気配を感じ、最初は無視していたが、結局、歩調を緩めて並んで歩くことになる。
「――……次は、どこに行きたいんだ?」
和彦がぼそりと問いかけると、玲はいくぶんほっとしたように表情を和らげた。
戻ってきた和彦の顔を見るなり、御堂は破顔した。
「疲れ果てた、という顔だね。二人でたっぷり楽しんできたかい?」
他意はないのだろうが、なんとも複雑な心境に陥る問いかけに、曖昧に返事をしながら和彦は振り返る。土産が詰まった紙袋を両手に持った玲が立っていた。そんな玲の姿を見て、御堂は声を上げる。
「たくさん買ったなあ。それ全部、お土産?」
「少しだけ自分のものもありますが。……父さんが、あちこちに面倒かけているんで。そういうことに気が回る性格じゃないから、俺が買っておかないと」
「一人息子がそれだけしっかりしてるんだから、伊勢崎さんも期待するはずだ」
いろいろと、と意味ありげに洩らした御堂に、和彦は首を傾げる。
三人は一旦ダイニングへと移動したが、玲は自分が使っている部屋に荷物を置きに向かい、その後ろ姿を見送ってから和彦はイスに腰掛けた。
思わずため息をつくと、再び御堂に言われた。
「今日は疲れただろう。君らがどこにいるかは、清道会経由でわたしにもときどき報告が入っていたんだが、今日一日で、精力的にあちこち観光したようだね」
「まあ……、今日はよく歩いたというか。観光地巡りなんて、かえってぼくも新鮮で、楽しかったですけど」
玲が本気で言っていることは、向けられる眼差しや表情を見ていればわかる。だからこそ和彦は、困惑する。
ため息をつくと、玲との間に一人分のスペースを空けて座り直し、苦々しい口調で諭した。
「やっぱり君は、毒されたんだ。ぼくも含めた、悪い男たちが放つ毒気に……。あと半年ちょっとで、楽しい大学生活を始めて、人間関係だってどんどん広がっていく。そうしたら、本当にキスしたいと思う相手にも出会える。そのときになって、血迷って三十男にあんなことするんじゃなかったと後悔するはずだ」
「しません」
この頑固さは子供特有のものなのだろうかと、和彦は腹が立つより、微笑ましさを感じる。つい口元が緩みそうになったが、それどころではないと、なんとか表情を引き締める。
「――……ぼくは、君の想像の中にいるオンナじゃない。現実に存在していて、怖い男たちと寝ているし、守ってもらっている。お互い厄介な立場にいるし、何より高校生の君と関わりを持つのは、面倒だ」
玲が顔を伏せたので、言い過ぎただろうかと内心気が気でなかったが、いかにも健やかに育ってきた玲の将来を思うと、これでいいのだと和彦は自分に言い聞かせる。
このとき脳裏を過ぎったのは、鷹津の存在だった。あの男は、健やかとは対極にいる存在ではあったが、和彦と深い関わりを持ったことで、結果として警察官という身分を失った。何もかも自分のせいだというのは傲慢な自惚れになるかもしれないが、それでも、高校生の将来を慮ることぐらいは許されるはずだ。
「……また、つらそうな顔していますね」
黙り込んだ和彦が気になったのか、顔を上げた玲に指摘される。和彦は眉間にシワを寄せると、玲の肩を軽く小突いた。
「気分がマシになったんなら、もう少しだけ奥に行ってみようか。せっかく入園料を払ったんだし」
頷いた玲とともに橋のほうへと戻ると、ずっと待っていたらしい、綾瀬の部下が所在なさげに池を覗き込んでいた。
並木道を歩きながら、和彦は表面上は冷静を装っていたが、心はずっと波立っている。知り合ったばかりの男子高校生の言動に、完全に翻弄されていた。
さきほどの出来事はなかったことにならないだろうかと、懸命に願っている和彦の隣で、玲がさらりと切り出した。
「佐伯さん、もう一度キスさせてください」
かろうじて無表情を保ち、淡々と和彦は応じる。
「……君は下手だから、嫌だ」
「下手だったのは、勘弁してください。――初めてだったんで」
ぎょっとした和彦は、ムキになって説教をしていた。
「大事にしないかっ。思い出だろ? 一生記憶に残るものじゃないかっ。……今の高校生はそんな考え方はしないなんて、言うなよ」
「大事にします。それに思い出にしたいから、もう一度させてください」
「頭を冷やせ。ぼくは、君に深入りするつもりはないし、責任も持てない。そういう話がしたいなら、ぼくはもう帰る」
玲の顔を見ることなく早口に告げると、来た道を引き返す。背後から玲がついてくる気配を感じ、最初は無視していたが、結局、歩調を緩めて並んで歩くことになる。
「――……次は、どこに行きたいんだ?」
和彦がぼそりと問いかけると、玲はいくぶんほっとしたように表情を和らげた。
戻ってきた和彦の顔を見るなり、御堂は破顔した。
「疲れ果てた、という顔だね。二人でたっぷり楽しんできたかい?」
他意はないのだろうが、なんとも複雑な心境に陥る問いかけに、曖昧に返事をしながら和彦は振り返る。土産が詰まった紙袋を両手に持った玲が立っていた。そんな玲の姿を見て、御堂は声を上げる。
「たくさん買ったなあ。それ全部、お土産?」
「少しだけ自分のものもありますが。……父さんが、あちこちに面倒かけているんで。そういうことに気が回る性格じゃないから、俺が買っておかないと」
「一人息子がそれだけしっかりしてるんだから、伊勢崎さんも期待するはずだ」
いろいろと、と意味ありげに洩らした御堂に、和彦は首を傾げる。
三人は一旦ダイニングへと移動したが、玲は自分が使っている部屋に荷物を置きに向かい、その後ろ姿を見送ってから和彦はイスに腰掛けた。
思わずため息をつくと、再び御堂に言われた。
「今日は疲れただろう。君らがどこにいるかは、清道会経由でわたしにもときどき報告が入っていたんだが、今日一日で、精力的にあちこち観光したようだね」
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