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第36話
(18)
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和彦は辺りをきょろきょろと見回していたが、ふとあることを思い出す。休憩するにはちょうどいい場所が近くにあることを告げると、玲も頷いたので、さっそく移動する。
向かったのは、有料の植物園だった。
春だけではなく、紅葉が始まる秋になると、平日であろうが客でにぎわう場所なのだが、今はまだ時季としては少し早いうえに、有料ということもあり、比較的空いているだろうと読んだのだ。
チケット販売の窓口は、さすがに家族連れや子供たちのグループなどで混み合っていたが、中に入ってしまえば、敷地が広いため、すぐに人は分散して、あまり目につかなくなる。
のんびり過ごすには、ここはいい穴場なのだと、嬉しそうに教えてくれたのは誰だっただろうか――。
ふと懐かしい思い出に浸りかけた和彦だが、高校生の隣にいて、それがとてつもなく不埒なことに思え、慌てて頭から追い払う。
「すごいっすね。すぐ目の前を広い道路が通って、車が渋滞しているっていうのに、ここは静かだ」
土と緑の匂いもすると、玲が犬のように鼻を鳴らす。その姿を和彦が眺めていると、気づいた玲が言い訳めいたことを口にした。
「言っておきますけど、俺の地元、大自然に囲まれて、子供は野山を駆け回っているとか、そういうところじゃないですからね。そこそこ……、部分的には、都会です」
「……何も言ってないよ」
「でも今、すごく微笑ましい目をして、俺のこと見てました」
「可愛いなと思って」
思わず出た言葉に、和彦は頭を抱えたくなる。いろいろな意味でデリカシーに欠けた発言だったと、謝罪しようとしたが、玲の反応を目の当たりにして、何も言えなくなる。玲は、怒ったように唇をへの字に曲げたが、向けられた横顔が赤くなっていた。
なぜか二人の歩調は速くなる。
「ごめん……。君を子供扱いしているとかじゃなくて、高校生との会話ってこんな感じなのかって、すごく新鮮で、気が楽というか……」
「――佐伯さん、普段は組の人たちに囲まれて生活してるんですか?」
玲が質問をしてくれたことに内心でほっとしながら、和彦は頷く。
「そんなところだね。基本は、一人暮らしなんだけど。……君は、ぼくみたいな立場の意味を知っているようだから、すごいことをイメージしているんだろうな」
「まあ……、高校生の想像力をナメないでください」
玲の言い方がおもしろくて、和彦は、ふふっ、と声を洩らして笑っていた。
「きっと、本当のことを知ったら、引くよ、君は。一年半前までは、ぼくは普通の医者だったんだ。それが、厄介な男たちと知り合って、さんざん振り回されているけど、結局、逃げ出しもせずに、こうやって生活している。打算も事情もあるけど、大事にしてもらっている。こう感じるぼくは、変わっているんだろうな」
「一年半前って、けっこう最近ですね。……俺は、育ってきた環境が環境だから、物心ついたときからヤクザや、その周囲にいる人は見てきました。だから、どういう種類の人かなんとなく見分けられるんです。――佐伯さんは、特別ですね。御堂さんと近いようで、全然違う」
「どんなふうに?」
玲はその質問には答えず、施設内の地図が印刷されたパンフレットに視線を落とす。
「もうすぐ行くと、池があるそうですよ」
「あっ、うん」
歩きながら和彦は、さりげなく背後を振り返る。かなり距離を置いて、綾瀬の部下がついてきていた。ここは安全だと判断しての行動のようだ。
たどり着いたのは、こじんまりとした池だった。もっと公園の奥へ歩いて行くと、かなり大きな池があるのだが、そもそもここを訪れた目的は散策のためではなく、休憩のためだ。
池の周囲には背の高い草が生い茂り、頭上には、木々から伸びた枝が影を作り出している。おかげで陽射しが遮られ、吹く風がひんやりとして涼しい。
「はあ、気持ちいい……」
吐息を洩らした和彦は髪を掻き上げる。額に浮かんだ汗をハンカチで拭っていると、池にかかった橋の中央で玲が身を乗り出し、じっと何か見ている。気になったので、和彦も隣に並んで同じく身を乗り出す。亀がゆっくりと泳いでいた。
のどかな光景に笑みをこぼす。何げなく横を見ると、玲は池ではなく、じっと和彦を見つめていた。腕を取られ、軽く引っ張られる。
「池の向こう側に、ベンチがあるそうですよ」
玲に促されて池を周り込むように移動すると、ベンチが三脚並んでいた。しかし、和彦と玲以外に人の姿はない。
腰掛けた途端、玲が大きく息を吐き、持っているバッグからペットボトルを取り出して口をつける。
「――俺、子供の頃から、父さんに聞かされていたんです。オンナの話を」
唐突に玲が話し始めて驚いた和彦だが、さきほどの会話の続きなのだと気づき、小さく頷く。
向かったのは、有料の植物園だった。
春だけではなく、紅葉が始まる秋になると、平日であろうが客でにぎわう場所なのだが、今はまだ時季としては少し早いうえに、有料ということもあり、比較的空いているだろうと読んだのだ。
チケット販売の窓口は、さすがに家族連れや子供たちのグループなどで混み合っていたが、中に入ってしまえば、敷地が広いため、すぐに人は分散して、あまり目につかなくなる。
のんびり過ごすには、ここはいい穴場なのだと、嬉しそうに教えてくれたのは誰だっただろうか――。
ふと懐かしい思い出に浸りかけた和彦だが、高校生の隣にいて、それがとてつもなく不埒なことに思え、慌てて頭から追い払う。
「すごいっすね。すぐ目の前を広い道路が通って、車が渋滞しているっていうのに、ここは静かだ」
土と緑の匂いもすると、玲が犬のように鼻を鳴らす。その姿を和彦が眺めていると、気づいた玲が言い訳めいたことを口にした。
「言っておきますけど、俺の地元、大自然に囲まれて、子供は野山を駆け回っているとか、そういうところじゃないですからね。そこそこ……、部分的には、都会です」
「……何も言ってないよ」
「でも今、すごく微笑ましい目をして、俺のこと見てました」
「可愛いなと思って」
思わず出た言葉に、和彦は頭を抱えたくなる。いろいろな意味でデリカシーに欠けた発言だったと、謝罪しようとしたが、玲の反応を目の当たりにして、何も言えなくなる。玲は、怒ったように唇をへの字に曲げたが、向けられた横顔が赤くなっていた。
なぜか二人の歩調は速くなる。
「ごめん……。君を子供扱いしているとかじゃなくて、高校生との会話ってこんな感じなのかって、すごく新鮮で、気が楽というか……」
「――佐伯さん、普段は組の人たちに囲まれて生活してるんですか?」
玲が質問をしてくれたことに内心でほっとしながら、和彦は頷く。
「そんなところだね。基本は、一人暮らしなんだけど。……君は、ぼくみたいな立場の意味を知っているようだから、すごいことをイメージしているんだろうな」
「まあ……、高校生の想像力をナメないでください」
玲の言い方がおもしろくて、和彦は、ふふっ、と声を洩らして笑っていた。
「きっと、本当のことを知ったら、引くよ、君は。一年半前までは、ぼくは普通の医者だったんだ。それが、厄介な男たちと知り合って、さんざん振り回されているけど、結局、逃げ出しもせずに、こうやって生活している。打算も事情もあるけど、大事にしてもらっている。こう感じるぼくは、変わっているんだろうな」
「一年半前って、けっこう最近ですね。……俺は、育ってきた環境が環境だから、物心ついたときからヤクザや、その周囲にいる人は見てきました。だから、どういう種類の人かなんとなく見分けられるんです。――佐伯さんは、特別ですね。御堂さんと近いようで、全然違う」
「どんなふうに?」
玲はその質問には答えず、施設内の地図が印刷されたパンフレットに視線を落とす。
「もうすぐ行くと、池があるそうですよ」
「あっ、うん」
歩きながら和彦は、さりげなく背後を振り返る。かなり距離を置いて、綾瀬の部下がついてきていた。ここは安全だと判断しての行動のようだ。
たどり着いたのは、こじんまりとした池だった。もっと公園の奥へ歩いて行くと、かなり大きな池があるのだが、そもそもここを訪れた目的は散策のためではなく、休憩のためだ。
池の周囲には背の高い草が生い茂り、頭上には、木々から伸びた枝が影を作り出している。おかげで陽射しが遮られ、吹く風がひんやりとして涼しい。
「はあ、気持ちいい……」
吐息を洩らした和彦は髪を掻き上げる。額に浮かんだ汗をハンカチで拭っていると、池にかかった橋の中央で玲が身を乗り出し、じっと何か見ている。気になったので、和彦も隣に並んで同じく身を乗り出す。亀がゆっくりと泳いでいた。
のどかな光景に笑みをこぼす。何げなく横を見ると、玲は池ではなく、じっと和彦を見つめていた。腕を取られ、軽く引っ張られる。
「池の向こう側に、ベンチがあるそうですよ」
玲に促されて池を周り込むように移動すると、ベンチが三脚並んでいた。しかし、和彦と玲以外に人の姿はない。
腰掛けた途端、玲が大きく息を吐き、持っているバッグからペットボトルを取り出して口をつける。
「――俺、子供の頃から、父さんに聞かされていたんです。オンナの話を」
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