867 / 1,268
第36話
(16)
しおりを挟むテーブルに広げた新聞の文字を漫然と目で追っていて、和彦はふと我に返る。さきほどから、内容がまったく頭に入っていないことに気づいたからだ。
ふっと息を吐くと、新聞を畳んで頬杖をつく。なんとなく落ち着かない気分でダイニングを見回す。整然すぎるほどに片付いているこの場にいるのは、今のところ和彦だけだ。
朝食は、御堂と二人でとったのだが、その後、御堂は、ゆっくりお茶でも飲んでいてくれと言い置いて、本人はダイニングを出て行った。
さきほど、ダイニングの前を通りかかった御堂は掃除機を持っていたので、部屋の掃除をしているようだ。和彦も手伝おうとイスから腰を浮かせかけたが、笑顔を浮かべた御堂に、しっかりと首を横に振られてしまった。
強い人だな、と思う。
昨日、不本意な形で龍造との行為を見られたあと、そんな必要はないのに和彦に謝罪してくれた。そのうえで、今朝は何事もなかったように接してくるのだ。もし和彦が当事者であったなら、感情がすべて表に出てしまい、とても落ち着いてはいられない。
経験や、背負った肩書き、精神力の強さまで、何から何まであまりに自分とは違いすぎると、和彦は危うくテーブルに突っ伏しそうになる。どうしても自分を卑下してしまうのは、昨夜の賢吾との電話も起因しているだろう。
和彦の胸の内すら見透かす男は、優しいのか残酷なのか、とんでもない〈冗談〉を言った。
そこまでしても、自分の中から鷹津の存在を追い出してしまいたいのだろうかと、電話を切ってから和彦は、賢吾の胸中を推し量らずにはいられなかった。
いまだに鷹津のことを考えると、胸苦しさに襲われる。こんなことすら、賢吾に対する背信行為に当たるのだろうかと問い質してみたいが、次の瞬間には、大蛇の体で締め上げられる自分の姿を想像する。
「――おはようございます」
ふいに傍らから声をかけられ、飛び上がるほど驚く。いつの間にか、Tシャツ姿の玲が立っていた。
「寝坊しました。昨夜、目覚ましをセットするの忘れて……」
決まり悪そうな顔でそう言った玲が、壁にかかった時計を見上げる。寝坊とはいっても、まだ九時になるかならないかだ。
心の中を読まれたわけでもないのに、和彦は妙な気恥ずかしさを覚えながら、ぎこちなく立ち上がる。
「休みなんだから、気にせずゆっくり寝ればいいのに」
「いえ、でも、今日も出かけるつもりだったし……」
「どこに行きたいか、考えた?」
「まあ……。移動にどれぐらい時間がかかるかわからないので、適当にピックアップしただけですけど」
「どうせ今日は一日フルで使えるんだから、気にしなくていいよ。――運転するの、ぼくじゃないし」
最後の言葉をぼそりと付け加えると、玲が目を丸くしたあと、ニヤリと笑った。その表情の一瞬ハッとするような鋭さは、どこか龍造を思わせる。
ただし――。和彦は片手を伸ばし、玲の少し硬い髪をくしゃくしゃと掻き乱した。
「寝癖ついてる」
半ば無意識の行動で、跳ねた髪先が可愛いなと思ったときには、手が動いていた。さすがに馴れ馴れしかったと、慌てて手を引こうとしたが、すかさずその手を玲に掴まれた。黒々とした瞳にまっすぐ見つめられ、さすがに怒らせたかと身構えたが、そうではなかった。
「昨日から思ってたんですが、佐伯さんて――」
「……何?」
「指、きれいですね」
玲の発言に和彦は、呆気に取られたあと、自分でもどうしようもない反応として顔を熱くする。完全に虚をつかれて、無防備な部分を抉られた気がした。
「えっ、と……、あり、がとう、かな?」
「男の人であまり見ないような指だから、つい目で追うんです」
玲に手を掴まれたまま、まじまじと指を見つめられる。和彦がどんな立場であるか知っていながら、玲に手を振り払われなかったのは、よかったというべきかもしれない。しかしそれでも、この流れは予想外だ。
玲は人懐こい性質ではないようだが、何かが好奇心を煽ったのかもしれない。それとも、十代特有の距離感なのだろうかと、とりあえず和彦は納得しておく。
「美容外科クリニックに勤め出したとき、世話好きの同僚からアドバイスされたんだ。美意識の高い女性の患者さんが多く来るから、身なりには気をつけろ。特に、手と指の手入れは念入りにしろ、って」
「佐伯さん、美容外科医なんですか」
そういえば玲には、医者としか言っていなかった。
「興味ある? 君は目鼻口元のバランスはいいし、顔の骨格もきれいだし、まだ成長途中だから、何もしなくていいだろ」
「……さすが、お医者さん。俺の骨格とか観察してたんですか」
「あー、引かないでくれ。君の顔を前に見たことがあるようで、なんか気になってたんだ」
31
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる