血と束縛と

北川とも

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第36話

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 綾瀬が側についてくれていたおかげで、特に問題もなく時間を過ごした和彦は、昼を過ぎてから暇を告げる。しっかりと手土産を持たされて、敷地内にある駐車場へと案内されていると、途中で玲を見かけた。
 手にしたスマートフォンと周囲を交互に見ており、何かを捜している様子だ。咄嗟に声をかけようとした和彦だが、どう呼びかけるべきなのか逡巡した。
「――玲、くん」
 大きな組織の幹部と同じ姓を、気安く呼ぶのに気後れしていた。玲は、訝しげにこちらを見て、居心地悪そうな表情を浮かべる。
「すげー、呼びにくそうですね、俺の名前」
 小走りで駆け寄ってきた玲の開口一番の言葉に、和彦は乾いた笑いを洩らす。
「なんと呼んでいいのか、ちょっと迷ったんだ。君のお父さんと区別するために、名前のほうがいいかなって」
「うちの地元じゃ、礼儀正しく『くん』や『さん』付けで呼んでくれる人間なんていませんから、一瞬誰のことかと思いました」
 ふと和彦はあることに気づき、軽い周囲を見回す。玲が、組長の息子であることを思い出したのだ。
「君、護衛はついてないのか?」
 何を言い出すのかという顔をして、玲が肩を竦める。
「ただの高校生に、護衛はつかないでしょう。父さんならともかく。その父さんも、護衛を嫌がって、滅多なことじゃ連れ歩きませんけど」
「そういう、ものなのか……。それで君は、何をしてるんだ?」
「用も済んだし、これから大学の見学に行こうかと思って。進学を希望している大学が、こっちにあるんです。こんな機会でもないと、どんなところか見ることできませんから」
 玲が見せてくれたスマートフォンには地図が表示されている。どうやら最寄りのバス停留所か駅を探していたらしい。
 本当に高校生なのだと、妙に微笑ましい気持ちになった和彦は、深く考えずについこう口にしていた。
「ぼくも一緒に行こうか」
「えっ……」
「どこの大学を見たいんだ?」
 戸惑いながらも玲が口にした大学名を聞いて、懐かしい気持ちになる。高校生の頃の和彦が、一時進学を望んでいた大学だったからだ。もっとも希望を口にする前に、俊哉によって医大行きが命じられ、和彦は黙々と努力し、従うだけだった。
「ここからだったら、やっぱり電車かな。あっ、学部は? 学部によって、キャンパスがまったく違うところにあるんだよ、確か」
「……本当に一緒に行く気みたいですね」
「ぼくはもう用事は済んだし、このまま御堂さんの家に戻るだけだから。君には、昨夜助けてもらった恩もある」
 大げさですよとぼそりと呟き、玲が短く刈られた髪に指を差し込む。
「大学の周りを眺めるだけですよ。あと、適当にぶらぶらしようかと」
「いいね。じゃあ、駅までは車で――」
 和彦は、駐車場で待機している一台の車に目を向ける。移動には、用意した車を使うよう御堂から言われていた。運転手を務めているのは綾瀬の部下だそうで、信頼がおけ、護衛としても優秀なのだという。和彦の身の安全を考慮してのことだとわかっているが、電車で移動というのはあまりに魅力的過ぎた。
 自分の携帯電話を取り出すと、御堂にかけてみる。忙しくて電源を切っているかと思ったが、予想に反して御堂はすぐに電話に出た。
 傍らに立つ玲の反応をうかがいつつ、これから二人で電車で移動したい旨を伝えたが、当然のように却下された。あくまで柔らかな口調で。
 電話を切ってため息をついた和彦に、玲が声をかけてきた。
「――俺も、車に乗せてもらっていいですか?」
「えっ、ああ、うん。もちろん。御堂さんも、どこに行ってもいいけど、車で移動してくれって言ってたんだ。むしろ、二人一緒にいてくれたほうが、心配が減っていい……とも、言われた」
 話しながら歩いていると、素早く車から降りた男が後部座席のドアを開ける。玲は目を丸くしたあと、幾分呆れたようにちらりと和彦を見た。
「……薄々感じてましたけど、佐伯さん、すげー過保護にされてますよね。一体何者? 名代で来たけど、組員じゃないって、さっき言ってたし」
「そこのところは、車の中で説明するよ。――興味あるなら」
「もちろん、あります」
 肝心な部分は教えられないけど、と心の中で付け加えつつ、車に乗り込む。
 目的地に向かう道中、和彦は自分の立場について端的に説明する。もちろん、オンナ云々という単語は一切口にしない。どうせ連休の間、同じ家で過ごすだけの間柄なのだ。余計なことまで教えて、高校生の青少年を複雑な気持ちにさせる必要はない。
「へえ、お医者さんなんですか。じゃあ、俺ぐらいのときは、すごく勉強できたんですね」
「医大しか認めない、って父親から言われてたから、勉強はできたというより、するしかなかったんだ」
「医大しか?」
「医学部のある大学は他にもあったけど、医学以外に興味を持つ可能性は少ないほうがいい、という理由で、医大になったんだよ」
 一度口を噤んだ玲だったが、苦笑を浮かべつつ洩らした。

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