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第36話
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「賢吾を招待するというのは清道会の発案で、そのことについて意見を求められたわたしは、賛同してしまったわけだが、ちょっと意地が悪かったかもしれないな。あの男も、なかなかつらい立場にあるとわかっているのに。父親は総和会会長。一方で、長嶺組と清道会とは昔からつき合いがあって、今も仲は悪くはない。そして、敵にも回したくない。そこで賢吾なりの返事が、君というわけだ」
苦笑いを浮かべた和彦はパンを齧る。守光と御堂の誘いを天秤にかけた結果だというのは、あえて言わなくてもいいだろう。御堂の打算によるものだとしても、そのおかげで、和彦は守光の誘いを無難に断る理由を得られたのだ。
「君も、連休中は予定を入れたがっていたようだから、わたしとしても、心の痛みを感じなくて済む。……この家に、人の気配があるというのは、思っていた以上にいいものだし」
ここで和彦はあることが気になり、自分の前に並ぶ朝食を眺める。見事な手際で御堂が作ってくれたのだが、和彦が何より気になるのは、広い食卓についているのは二人だけで、当然、並んだ朝食も二人分ということだ。つまり、今この家にいるのは二人ということになる。
今朝、目が覚めてから、和彦はずっと不思議な感覚に陥っていた。とてつもなくリアルな夢を見たと思いながら枕元を見たら、水の入ったペットボトルが置いてあったのだ。つまり、夜更けに自分を助けてくれた青年は、確かに存在していたことになる。
しかし、御堂はその青年について何も語らず、実際、この場にはいない。
「……やっぱり幽霊……?」
無意識に声に出して呟き、ありえないと否定しつつも和彦は、おそるおそる御堂を見遣る。青年のことを聞いてみたいが、なんのことかと聞き返されるのが怖い。なんといっても和彦は、この家にあと二泊する予定なのだ。
「まだ時間があるから、着替える前に今日の流れを説明しておこう。とは言っても、仰々しい挨拶をするわけでもないし、祝いの席の間、君の世話をしてくれるよう、ある人にも頼んであるから。君は気楽に飲み食いして、誰か話しかけてきたら、長嶺組長の名代だと正直に答えておけばいい」
「ご面倒をかけます……」
「言っただろう。わたしも、君とゆっくり話したかったんだと。――君もだろうが、わたしも日ごろは忙しいから、こういう機会でもないとね。それに君が相手だと、面子だなんだと取り繕わなくて済む分、楽だ」
柔らかく微笑む御堂につられて、和彦も笑みを返す。こんな表情を浮かべながら、総和会の第一遊撃隊隊長という肩書きを持っていることに、いまさらながら驚嘆する。
危うく我が身を振り返りそうになり、寸前のところで堪えた。これから大事な場に赴くというのに、辛気臭い顔はしたくなかった。
朝食のあと、片付けを手伝った和彦は、再びテーブルにつくと、今日の互いの予定について確認する。
和彦自身は、祝いの席に出席したあとは特に予定もなく、それこそ連休らしくのびのびと過ごせるのだが、御堂はそうもいかない。清道会の人間ではないとはいえ、清道会と深い関わりがあり、本日の主役である清道会会長とは親戚でもある。おそらく夕方までは拘束されるだろうということで、御堂が家の合鍵を差し出した。
「先に戻ったときのために、これを使ってくれ」
「えっ、あの――」
和彦が何を言おうとしたのか察したらしく、御堂は緩く首を横に振る。
「大事なお客さんを、外で待たせておくなんてできないからね。それに、何があるかわからない――」
ため息交じりに御堂が洩らし、なんとなくその様子が気になった和彦は、ついでに謎の青年のことも聞いてしまおうと口を開きかけたが、タイミング悪く携帯電話が鳴る。御堂の携帯電話だ。
結局、きっかけを失ってしまい、和彦は着替えるために席を立った。
清道会会長の傘寿の祝いの席が設けられたのは、かつては名士の邸宅だったという立派な日本家屋だった。現在は高級料亭として営業しているそうで、今日は貸切となっている。
招待客は、鋭い目つきの男たちが多かった。名札をつけているわけではないので、名も肩書きもわからないのだが、さすがに和彦でも勘が働くようになり、堅気かそうでないかぐらいは判別がつく。それでも、清道会会長個人の祝い事ということで、ちらほらと幼い子供や女性の姿もある。おかげで、いくらかアットホームな空気を感じ取れる。
一階は立食形式となっており、思い思いに飲食できるようになっているが、和彦は行き交う人たちをついつい目で追いかけてしまい、さきほどから何も口にできていない。
常に自分に言い聞かせているわけではないが、人の顔や、交わされる会話を記憶に留めておこうと意識が働くのだ。
苦笑いを浮かべた和彦はパンを齧る。守光と御堂の誘いを天秤にかけた結果だというのは、あえて言わなくてもいいだろう。御堂の打算によるものだとしても、そのおかげで、和彦は守光の誘いを無難に断る理由を得られたのだ。
「君も、連休中は予定を入れたがっていたようだから、わたしとしても、心の痛みを感じなくて済む。……この家に、人の気配があるというのは、思っていた以上にいいものだし」
ここで和彦はあることが気になり、自分の前に並ぶ朝食を眺める。見事な手際で御堂が作ってくれたのだが、和彦が何より気になるのは、広い食卓についているのは二人だけで、当然、並んだ朝食も二人分ということだ。つまり、今この家にいるのは二人ということになる。
今朝、目が覚めてから、和彦はずっと不思議な感覚に陥っていた。とてつもなくリアルな夢を見たと思いながら枕元を見たら、水の入ったペットボトルが置いてあったのだ。つまり、夜更けに自分を助けてくれた青年は、確かに存在していたことになる。
しかし、御堂はその青年について何も語らず、実際、この場にはいない。
「……やっぱり幽霊……?」
無意識に声に出して呟き、ありえないと否定しつつも和彦は、おそるおそる御堂を見遣る。青年のことを聞いてみたいが、なんのことかと聞き返されるのが怖い。なんといっても和彦は、この家にあと二泊する予定なのだ。
「まだ時間があるから、着替える前に今日の流れを説明しておこう。とは言っても、仰々しい挨拶をするわけでもないし、祝いの席の間、君の世話をしてくれるよう、ある人にも頼んであるから。君は気楽に飲み食いして、誰か話しかけてきたら、長嶺組長の名代だと正直に答えておけばいい」
「ご面倒をかけます……」
「言っただろう。わたしも、君とゆっくり話したかったんだと。――君もだろうが、わたしも日ごろは忙しいから、こういう機会でもないとね。それに君が相手だと、面子だなんだと取り繕わなくて済む分、楽だ」
柔らかく微笑む御堂につられて、和彦も笑みを返す。こんな表情を浮かべながら、総和会の第一遊撃隊隊長という肩書きを持っていることに、いまさらながら驚嘆する。
危うく我が身を振り返りそうになり、寸前のところで堪えた。これから大事な場に赴くというのに、辛気臭い顔はしたくなかった。
朝食のあと、片付けを手伝った和彦は、再びテーブルにつくと、今日の互いの予定について確認する。
和彦自身は、祝いの席に出席したあとは特に予定もなく、それこそ連休らしくのびのびと過ごせるのだが、御堂はそうもいかない。清道会の人間ではないとはいえ、清道会と深い関わりがあり、本日の主役である清道会会長とは親戚でもある。おそらく夕方までは拘束されるだろうということで、御堂が家の合鍵を差し出した。
「先に戻ったときのために、これを使ってくれ」
「えっ、あの――」
和彦が何を言おうとしたのか察したらしく、御堂は緩く首を横に振る。
「大事なお客さんを、外で待たせておくなんてできないからね。それに、何があるかわからない――」
ため息交じりに御堂が洩らし、なんとなくその様子が気になった和彦は、ついでに謎の青年のことも聞いてしまおうと口を開きかけたが、タイミング悪く携帯電話が鳴る。御堂の携帯電話だ。
結局、きっかけを失ってしまい、和彦は着替えるために席を立った。
清道会会長の傘寿の祝いの席が設けられたのは、かつては名士の邸宅だったという立派な日本家屋だった。現在は高級料亭として営業しているそうで、今日は貸切となっている。
招待客は、鋭い目つきの男たちが多かった。名札をつけているわけではないので、名も肩書きもわからないのだが、さすがに和彦でも勘が働くようになり、堅気かそうでないかぐらいは判別がつく。それでも、清道会会長個人の祝い事ということで、ちらほらと幼い子供や女性の姿もある。おかげで、いくらかアットホームな空気を感じ取れる。
一階は立食形式となっており、思い思いに飲食できるようになっているが、和彦は行き交う人たちをついつい目で追いかけてしまい、さきほどから何も口にできていない。
常に自分に言い聞かせているわけではないが、人の顔や、交わされる会話を記憶に留めておこうと意識が働くのだ。
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