847 / 1,268
第35話
(24)
しおりを挟む
確かに、部屋を解約し、携帯電話すらも繋がらなくなったため、残しておくべき情報はない。しかし、名すら残しておくことを許さないと、賢吾は行動で示した。
もしかすると、和彦の中にある鷹津の記憶すら、できることなら消去したいと考えているのかもしれない。
ため息をつきそうになった和彦だが、それは賢吾に対する背信行為のように思え、寸前のところで堪えた。
もう一台の携帯電話を取り上げると、メールが届いている。こちらの携帯電話は里見との連絡専用に使っているもので、そうなると当然、送り主は決まっている。
俊哉と電話で話して以来、里見からの連絡には一層神経質になっているのだが、今のところ、俊哉の話題が出ることはない。和彦と接触したことを、俊哉は里見に知らせていないのかもしれないが、こればかりは、機械を通した文面だけでは推測できない。だからといって、電話をかけてまで確認しようとは思わなかった。
自分のせいで、鷹津は職を失ったと和彦は思っている。同じような状況に、里見が陥らないとは限らないのだ。
里見の当たり障りのない内容のメールに、簡潔な返信をする。里見にとっては内容よりも、和彦から反応が返ってくること自体が、大事なのだそうだ。
周囲の男たちから注がれる配慮という名の優しさが、和彦の胸を苦しくさせる。
今夜も安定剤を飲んで休まなければいけないなと、ぼんやりと考える。そんな和彦の耳に、インターホンの音が届いた。
ありえないとわかっていながら、一瞬、鷹津ではないかと思ったが、即座にその可能性を否定する。このマンションの周囲を、長嶺組だけではなく、総和会が見張っているかもしれないのだ。あの男が迂闊に近づくはずがない。
もう一度、遠慮がちにインターホンが鳴らされる。和彦はほぼ相手を確信してインターホンに出た。
ベッドの上で、クッションにもたれかかって本を読んでいると、静かにドアが開き、人が部屋に入ってきた気配がした。和彦は視線を上げないまま問いかける。
「シャワーを浴びたか?」
「うん……」
「きちんと体と頭を洗ったんだろな。お前はいつもカラスの行水だからな」
千尋がもそもそとベッドに上がり、和彦の隣に遠慮がちに身を滑り込ませる。肩先に千尋の高い体温が伝わってきて、同時に、石けんの香りが鼻先を掠めた。ちらりと視線を向けると、シャワーを浴びて熱いのか、Tシャツに短パン姿だ。夜ともなると少し肌寒さを感じるようになったが、さすがに千尋には関係ないようだ。
千尋がこの部屋を訪れるのはいつ以来だろうかと、和彦は頭の片隅で計算する。
和彦が人を寄せ付けなくなり、仕事以外ではマンションにこもっていると知らされて、タイミングをうかがっていたのだろう。千尋は差し入れのケーキを携えてやってきた。
賢吾ですら部屋には入れていないため、当然のように千尋も追い返そうとしたのだ。だが、和彦の様子を知りたかっただけで、一緒にケーキを食べたらすぐに帰ると、らしくなく言葉を選びながら話す千尋を見ていると、とてもではないが邪険にはできなかった。こんなときでも、やはり千尋には甘くなる。
結局、ケーキを食べたあと、もう遅いから泊まって帰れと言ってしまい、和彦は本を読むふりをしつつ、なんとなく自己嫌悪に陥いる。
およそ半月の間、男たちとの接触を避けておきながら、こうして千尋が傍らにいると、自分が人寂しさを抱えていたのだと痛感したからだ。鷹津の心配をしながら、一方で他の男たちの存在を恋しがっている自分を、浅ましいと思う。その浅ましさを、誰にも知られたくないとも思う。
和彦の横顔から感じるものがあったのか、千尋が人懐こい犬のように、肩先に額をすり寄せてきた。
「はあ……、先生の感触と匂いだ……」
「大げさだな」
「……大げさじゃないよ。どれだけ先生の顔を見てなかったと思うんだよ」
恨みがましい声で言われた和彦は、前回、千尋と会ったときのことを思い返す。和彦が車で襲撃を受けた直後に、わざわざ心配してホテルの部屋まで駆けつけてくれたのだ。その前は、法要に託けた、ささやかな保養旅行だった。ただどちらも、人目を気にせず二人きりでゆっくりと、というわけにはいかなかった。
「忙しくて、お前とのんびりすることがなくなったな、そういえば……」
「俺も忙しいけど、先生はそれ以上だ。――先生を必要とする男が、それだけたくさんいる、ということだよね」
皮肉、という口ぶりではないが、千尋の言葉につい苦い顔となる。
「そういうのは……、もう疲れた。他人の事情を斟酌して、振り回されて、ビクビクして。……ぼくは、疲れたんだ」
「――俺とこうしていることも?」
もしかすると、和彦の中にある鷹津の記憶すら、できることなら消去したいと考えているのかもしれない。
ため息をつきそうになった和彦だが、それは賢吾に対する背信行為のように思え、寸前のところで堪えた。
もう一台の携帯電話を取り上げると、メールが届いている。こちらの携帯電話は里見との連絡専用に使っているもので、そうなると当然、送り主は決まっている。
俊哉と電話で話して以来、里見からの連絡には一層神経質になっているのだが、今のところ、俊哉の話題が出ることはない。和彦と接触したことを、俊哉は里見に知らせていないのかもしれないが、こればかりは、機械を通した文面だけでは推測できない。だからといって、電話をかけてまで確認しようとは思わなかった。
自分のせいで、鷹津は職を失ったと和彦は思っている。同じような状況に、里見が陥らないとは限らないのだ。
里見の当たり障りのない内容のメールに、簡潔な返信をする。里見にとっては内容よりも、和彦から反応が返ってくること自体が、大事なのだそうだ。
周囲の男たちから注がれる配慮という名の優しさが、和彦の胸を苦しくさせる。
今夜も安定剤を飲んで休まなければいけないなと、ぼんやりと考える。そんな和彦の耳に、インターホンの音が届いた。
ありえないとわかっていながら、一瞬、鷹津ではないかと思ったが、即座にその可能性を否定する。このマンションの周囲を、長嶺組だけではなく、総和会が見張っているかもしれないのだ。あの男が迂闊に近づくはずがない。
もう一度、遠慮がちにインターホンが鳴らされる。和彦はほぼ相手を確信してインターホンに出た。
ベッドの上で、クッションにもたれかかって本を読んでいると、静かにドアが開き、人が部屋に入ってきた気配がした。和彦は視線を上げないまま問いかける。
「シャワーを浴びたか?」
「うん……」
「きちんと体と頭を洗ったんだろな。お前はいつもカラスの行水だからな」
千尋がもそもそとベッドに上がり、和彦の隣に遠慮がちに身を滑り込ませる。肩先に千尋の高い体温が伝わってきて、同時に、石けんの香りが鼻先を掠めた。ちらりと視線を向けると、シャワーを浴びて熱いのか、Tシャツに短パン姿だ。夜ともなると少し肌寒さを感じるようになったが、さすがに千尋には関係ないようだ。
千尋がこの部屋を訪れるのはいつ以来だろうかと、和彦は頭の片隅で計算する。
和彦が人を寄せ付けなくなり、仕事以外ではマンションにこもっていると知らされて、タイミングをうかがっていたのだろう。千尋は差し入れのケーキを携えてやってきた。
賢吾ですら部屋には入れていないため、当然のように千尋も追い返そうとしたのだ。だが、和彦の様子を知りたかっただけで、一緒にケーキを食べたらすぐに帰ると、らしくなく言葉を選びながら話す千尋を見ていると、とてもではないが邪険にはできなかった。こんなときでも、やはり千尋には甘くなる。
結局、ケーキを食べたあと、もう遅いから泊まって帰れと言ってしまい、和彦は本を読むふりをしつつ、なんとなく自己嫌悪に陥いる。
およそ半月の間、男たちとの接触を避けておきながら、こうして千尋が傍らにいると、自分が人寂しさを抱えていたのだと痛感したからだ。鷹津の心配をしながら、一方で他の男たちの存在を恋しがっている自分を、浅ましいと思う。その浅ましさを、誰にも知られたくないとも思う。
和彦の横顔から感じるものがあったのか、千尋が人懐こい犬のように、肩先に額をすり寄せてきた。
「はあ……、先生の感触と匂いだ……」
「大げさだな」
「……大げさじゃないよ。どれだけ先生の顔を見てなかったと思うんだよ」
恨みがましい声で言われた和彦は、前回、千尋と会ったときのことを思い返す。和彦が車で襲撃を受けた直後に、わざわざ心配してホテルの部屋まで駆けつけてくれたのだ。その前は、法要に託けた、ささやかな保養旅行だった。ただどちらも、人目を気にせず二人きりでゆっくりと、というわけにはいかなかった。
「忙しくて、お前とのんびりすることがなくなったな、そういえば……」
「俺も忙しいけど、先生はそれ以上だ。――先生を必要とする男が、それだけたくさんいる、ということだよね」
皮肉、という口ぶりではないが、千尋の言葉につい苦い顔となる。
「そういうのは……、もう疲れた。他人の事情を斟酌して、振り回されて、ビクビクして。……ぼくは、疲れたんだ」
「――俺とこうしていることも?」
28
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる