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第35話
(22)
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「別にぼくは、今も悲しんではない。ただ、いろいろあって、疲れてるんだ。感情の箍が外れて……。今は、誰にも会いたくないし、話したくもない……」
あとで安定剤を持ってきてやると言われ、和彦は素直に頷く。そんな和彦のこめかみに、賢吾がそっと唇を押し当てた。
「すまないが、もう少しだけ嫉妬に狂った男の戯言につき合ってくれ。昨日、お前が鷹津に連れ去られたと報告を受けてから、ずっと総和会――オヤジと連絡を取り合っていて、さすがの俺も少し疲れた」
ああ、と和彦は深い吐息を洩らす。賢吾も怖いが、それ以上に怖い存在が、総和会本部で待っているのだ。
「一日だ。たった一日、お前の行方がわからなくなっただけで、組も総和会も大騒ぎだ。……俺の想定を超えて、お前の存在は特別になっちまった」
「それは……」
自分が望んだことではないと言いたかったが、今となっては無駄な抗弁だろう。現実に和彦は、二つの組織と深く関わりを持っており、その二つの組織の頂点に立つ男たちと、深い仲になっている。
「それは俺たちだけじゃなく、鷹津にとっても同じだ。人でなしが、人を想うようになると、簡単に狂う。嫌な縁のせいで、俺はそれなりに、あの男を知っているつもりで、ある程度は飼い慣らせると思った。実際、最初はそこそこ上手くいっていたしな。お前が鷹津を、情で飼い慣らした。……想定が狂ったのは、総和会のせいだ」
和彦は濡れた目でじっと賢吾を見つめる。賢吾は誰を思ったのか、一瞬不快そうに眉をひそめた。
「――ツテを頼って探ってもらったが、どうやら県警のほうに、鷹津について密告があったらしい。総和会と不適切な関わりを持っている、とな。あいつは前科持ちだ。そういう噂が流れただけで、身動きが取りづらくなる。事実、関わりを持っているわけだし。ただ、組織犯罪を取り締まる側にいる鷹津という男は、取り締まられる側にとっては使い勝手がいい。持ちつ持たれつという関係だからな。好きこのんでその関係を壊す利点がない。少なくとも、俺には」
「密告したのは、もしかして……」
「オヤジか南郷の指示だろう。鷹津はお前にとっては番犬だが、それ以外の者にとっては狂犬だ。しかも公権力を持ったな。だからこそ、総和会としてはなんとかしたかったはずだ。だが、どうにも腑に落ちないことがある」
「……何がだ」
「警察にいられなくなったにしても、鷹津が姿を消す道理がわからねーんだ。肩書きを失って、総和会からの本格的な攻撃を恐れたか? いや、あの男はそんなに柔じゃない。なんといっても、蛇蝎の片割れだ。恐ろしく執念深くて、毒を持つ、嫌な生き物だ」
何か知っているだろうと、まるで威嚇するように賢吾が見据えてくる。
和彦はゆっくりと瞬きを繰り返したあと、もう一度手の甲で涙を拭う。急速に心が強張っていくようだった。気持ちが高ぶり、乱れることに、和彦自身の心が疲弊し、自衛手段を取ったようだ。
さすがに異変に気づいたらしく、賢吾がさらに目元を険しくして頬に触れてこようとした。
「和彦?」
普段なら考えられないような素っ気なさで、和彦は賢吾の手を払い除ける。次の瞬間には、大蛇の憤怒を覚悟して身を竦めたが、賢吾は静かに息を吐き出した。
「飼い犬に手を噛まれるとは、今みたいな心境を言うんだろうな。……鷹津は、お前をたっぷり愛してくれたか?」
この状況で言うべきことではないと、よく理解していながら、和彦は打ち明けずにはいられなかった。
「……少し前に鷹津に、自分のオンナになれと言われた。それでぼくは、承諾した。あんたとぼくのような関係じゃなく、あくまで言葉遊びのようなものだとわかっていたけど、でも、楽しんだし、興奮した。多分、鷹津も」
絶対に悟られてはいけない秘密を抱えているからこそ、もう一つの鷹津との秘密を打ち明ける。これは明らかに保身ゆえの行動だが、自分を卑怯だとか最低だとか卑下するつもりはなかった。
和彦の、実家に対する想いは複雑だ。〈佐伯家〉から自由になりたいという気持ちの一方で、〈俊哉〉の支配下から逃れられないという気持ちがある。和彦と俊哉の父子関係は実に特殊なのだ。だからこそ俊哉は、和彦が裏の世界で身を潜め、物騒な男たちに守られている状況を知ったところで、容易に諦めはしないだろう。
心のどこかでささやかな希望を持ってはいたが、昨日の電話で聞いて、その希望は砕けてしまった。
「鷹津に心を許したぼくを責めたいなら、そうすればいい。だけど、今日は勘弁してくれ。とても、疲れてるんだ。何も考えたくない……」
「そうだな。顔色が最悪だ」
賢吾が頬に触れてこようとしたが、途中で手を止める。和彦は顔を伏せた。
あとで安定剤を持ってきてやると言われ、和彦は素直に頷く。そんな和彦のこめかみに、賢吾がそっと唇を押し当てた。
「すまないが、もう少しだけ嫉妬に狂った男の戯言につき合ってくれ。昨日、お前が鷹津に連れ去られたと報告を受けてから、ずっと総和会――オヤジと連絡を取り合っていて、さすがの俺も少し疲れた」
ああ、と和彦は深い吐息を洩らす。賢吾も怖いが、それ以上に怖い存在が、総和会本部で待っているのだ。
「一日だ。たった一日、お前の行方がわからなくなっただけで、組も総和会も大騒ぎだ。……俺の想定を超えて、お前の存在は特別になっちまった」
「それは……」
自分が望んだことではないと言いたかったが、今となっては無駄な抗弁だろう。現実に和彦は、二つの組織と深く関わりを持っており、その二つの組織の頂点に立つ男たちと、深い仲になっている。
「それは俺たちだけじゃなく、鷹津にとっても同じだ。人でなしが、人を想うようになると、簡単に狂う。嫌な縁のせいで、俺はそれなりに、あの男を知っているつもりで、ある程度は飼い慣らせると思った。実際、最初はそこそこ上手くいっていたしな。お前が鷹津を、情で飼い慣らした。……想定が狂ったのは、総和会のせいだ」
和彦は濡れた目でじっと賢吾を見つめる。賢吾は誰を思ったのか、一瞬不快そうに眉をひそめた。
「――ツテを頼って探ってもらったが、どうやら県警のほうに、鷹津について密告があったらしい。総和会と不適切な関わりを持っている、とな。あいつは前科持ちだ。そういう噂が流れただけで、身動きが取りづらくなる。事実、関わりを持っているわけだし。ただ、組織犯罪を取り締まる側にいる鷹津という男は、取り締まられる側にとっては使い勝手がいい。持ちつ持たれつという関係だからな。好きこのんでその関係を壊す利点がない。少なくとも、俺には」
「密告したのは、もしかして……」
「オヤジか南郷の指示だろう。鷹津はお前にとっては番犬だが、それ以外の者にとっては狂犬だ。しかも公権力を持ったな。だからこそ、総和会としてはなんとかしたかったはずだ。だが、どうにも腑に落ちないことがある」
「……何がだ」
「警察にいられなくなったにしても、鷹津が姿を消す道理がわからねーんだ。肩書きを失って、総和会からの本格的な攻撃を恐れたか? いや、あの男はそんなに柔じゃない。なんといっても、蛇蝎の片割れだ。恐ろしく執念深くて、毒を持つ、嫌な生き物だ」
何か知っているだろうと、まるで威嚇するように賢吾が見据えてくる。
和彦はゆっくりと瞬きを繰り返したあと、もう一度手の甲で涙を拭う。急速に心が強張っていくようだった。気持ちが高ぶり、乱れることに、和彦自身の心が疲弊し、自衛手段を取ったようだ。
さすがに異変に気づいたらしく、賢吾がさらに目元を険しくして頬に触れてこようとした。
「和彦?」
普段なら考えられないような素っ気なさで、和彦は賢吾の手を払い除ける。次の瞬間には、大蛇の憤怒を覚悟して身を竦めたが、賢吾は静かに息を吐き出した。
「飼い犬に手を噛まれるとは、今みたいな心境を言うんだろうな。……鷹津は、お前をたっぷり愛してくれたか?」
この状況で言うべきことではないと、よく理解していながら、和彦は打ち明けずにはいられなかった。
「……少し前に鷹津に、自分のオンナになれと言われた。それでぼくは、承諾した。あんたとぼくのような関係じゃなく、あくまで言葉遊びのようなものだとわかっていたけど、でも、楽しんだし、興奮した。多分、鷹津も」
絶対に悟られてはいけない秘密を抱えているからこそ、もう一つの鷹津との秘密を打ち明ける。これは明らかに保身ゆえの行動だが、自分を卑怯だとか最低だとか卑下するつもりはなかった。
和彦の、実家に対する想いは複雑だ。〈佐伯家〉から自由になりたいという気持ちの一方で、〈俊哉〉の支配下から逃れられないという気持ちがある。和彦と俊哉の父子関係は実に特殊なのだ。だからこそ俊哉は、和彦が裏の世界で身を潜め、物騒な男たちに守られている状況を知ったところで、容易に諦めはしないだろう。
心のどこかでささやかな希望を持ってはいたが、昨日の電話で聞いて、その希望は砕けてしまった。
「鷹津に心を許したぼくを責めたいなら、そうすればいい。だけど、今日は勘弁してくれ。とても、疲れてるんだ。何も考えたくない……」
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