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第35話
(11)
しおりを挟む日が落ち始めた頃には、二人はホテルの部屋に入っていた。
和彦は、着替えを入れた袋を手にしたまま、室内を見回す。落ち着いたブラウン系でまとめられた部屋は、単なるダブルルームではないようだ。宿泊料はけっこうするだろう。
当日に訪れて、シティホテルで部屋を取れるのだろうかと心配したのだが、鷹津は予約を入れていた。つまり、今日の行動は衝動的なものではなく、しっかり計画を立てていたのだ。
ここまで来て、鷹津の不可解な行動を問い詰めても、おそらく徒労感しか得られないだろう。鷹津はきっと教えてくれないし、強引に聞き出す腕っ節も勇気も、和彦にはない。
総和会も長嶺組も大騒ぎになっているだろうなと、心の中でそっと嘆息する。
クローゼットに袋を入れ、買ってもらったコートだけはハンガーにかけてから、さっそく靴からスリッパへと履き替える。
「足はどうだ?」
ベッドに腰掛けた和彦の前に屈み込み、鷹津が問いかけてくる。
「大したことない。靴擦れというほどのものでもないし、本当に歩き過ぎただけだ」
「あの程度で歩き過ぎたと言える感覚が、俺にはわからん」
「いいよ、わからなくて。明日は車での移動中心にして――」
和彦はふいに言葉を切り、鷹津が顔を上げる。
明日は一体どうするのかと問いたかったが、代わりに和彦は、鷹津の頬にてのひらを押し当てた。
「あんたさっき、きちんと食事をとっていたな。少し痩せたように見えるから、気になってたんだ」
「医者としてか?」
「……なんと答えたら満足なんだ」
鷹津はいきなり立ち上がり、和彦に向けて片手を差し出す。
「シャワーを浴びてこい」
ピクリと肩を揺らした和彦は、自分の顔が赤くなっていないことを願いながら、差し出された手を掴んで立った。
レストランでアルコールは一切飲んでいないのだが、頭が少しふわふわしている。しっかり歩いているつもりなのに、足元が覚束ない。鷹津に異変を悟られていないだろうかと気にかけながら、半ば逃げるようにバスルームに入ると、洗面台の鏡から不自然に視線を逸らして服を脱いだ。
温めの湯を仰向けた顔に浴びながら、和彦は目を閉じた。
気を抜くとすぐに、総和会と長嶺組の動向を考えてしまう。せめて、鷹津の隙をついて連絡を入れるべきなのだと頭ではわかっているが、結果として鷹津の身柄を差し出すことに繋がる。
今度ばかりは、鷹津に手を出すなという和彦の要求は、一蹴されるだろう。それどころか、鷹津と行動を共にしたうえに、庇う発言をすることで、二つの組織――というより、長嶺の男たちの不興を買うかもしれない。
どうすればいい、と自問したところで、浴室のガラス戸が開閉される音がする。背後に気配を感じたときにはきつく抱き締められ、ジンと胸の奥が疼く。
腰から脇腹にかけて撫で上げられながら、うなじをそっと吸い上げられる。背後から押し当てられた欲望は、すでにもう熱く高ぶっていた。
「――早く抱かせろ」
水音に紛れ込ませるように、鷹津が掠れた声で耳元に囁いてくる。再び和彦の胸の奥が疼く。
「まだ体を洗ってない……」
「俺が洗ってやる」
両てのひらが胸元や肩に這わされ、さらに両足の間をまさぐろうとしてきたため、声を洩らして小さく身を捩ったところで、いきなり体の向きを変えられる。シャワーの湯が降り注ぐ中、間近から鷹津の顔を見つめる。
ここで初めて、いつもはドロドロとした感情の澱が透けて見える目が、今日は皮肉を言いながらも、優しい光をずっと湛えていたことに気づく。もっとも今は、煮え滾るような欲情を湛えているが。
鷹津の手が頬にかかり、さらに顔が近づいてくる。急に息苦しさを覚えた和彦は顔を背けようとしたが、その前に唇が重なってきた。上唇を吸われて声を洩らす。下唇には軽く噛みつかれて、足元が乱れる。和彦は咄嗟に鷹津の腕に手をかけ、次の瞬間には激しい口づけを交わしていた。
唇を貪り合い、差し出した舌を浅ましく絡めていく。交わす唾液が、降り注ぐ湯であっという間に流されてしまう。それを疎ましく思ったのは和彦だけではなかったようで、鷹津が片手を伸ばし、シャワーヘッドの向きを変えた。
力強い両腕できつく抱き締められて、猛々しい抱擁の心地よさに眩暈がする。腰が密着し、よりはっきりと鷹津の欲望を感じることができる。
和彦は片手を取られて下肢へと導かれる。鷹津に言われる前に、自分から熱くなった欲望に手を這わせると、唇に鷹津の洩らした吐息がかかった。引き寄せられるように唇を吸い合い、口腔に鷹津の舌を受け入れる。歯列を舌先でくすぐられ、感じやすい粘膜をまさぐられながら、和彦は握り締めた欲望をゆっくりと扱き始める。
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