血と束縛と

北川とも

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第35話

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 和彦は自分の格好を見下ろす。秦の店が入るビルから連れ出されたあと、まずは速やかにその場を離れて、車は別の駐車場に停めてから、今度はタクシーで移動した。向かった先はデパートで、鷹津が選び、購入した、薄手のニットとパンツ、コートと靴に着替えたのだ。
 鷹津らしからぬ散財ぶりは、総和会にケンカを売るような行動もあいまって、和彦をひたすら困惑させる。それゆえの『おかしい』という発言なのだが、鷹津は自分の行動を説明する気はさらさらないようだった。
 鷹津という男に何かが起こったのは確かだが、和彦には推測することすらできない。もどかしいし、水族館に引っ張り込まれるまでは、腹立たしさすら覚えていたが、それはもう消え失せた。
 鷹津と〈デート〉をしているという現実に、気恥ずかしさのほうが上回ったのだ。
「なあ、どうして水族館なんだ」
「遊園地のほうがよかったか?」
 和彦は動かしていた爪先をピタリと止めて、思わず隣を見る。鷹津は、到底楽しんでいるとは思えない顔で、水槽を眺めていた。
「そうだと言ったら、連れて行ってくれたのか?」
「俺と一緒で楽しめるならな」
「……今は、楽しんでいるように見えるか?」
 横目で和彦を一瞥した鷹津が、ようやく唇を緩める。
「あまり深く考えるな。晩メシまでの時間潰しだ」
「服を買ってくれたのも?」
「俺と一緒にいるのに、総和会の匂いが染み付いているものを身につけているのが、気に食わなかったんだ」
 そのせいで、着替えた服はコインロッカーに押し込まれてしまった。
 鷹津の言葉に、和彦は表情を曇らせる。
「なあ……、あんた本当に――」
 これからどうするつもりかと言いかけたが、言葉は口中で消える。代わりに、別の質問をぶつけていた。
「水族館を出たら、次はどこに行くんだ」
「希望はあるか?」
「あんたなりのデートプランがあるんじゃないのか」
「……ねーよ、そんなもの」
 吐き捨てるように答える鷹津がおもしろくて、和彦は顔を伏せて必死に笑いを噛み殺す。本来であれば切迫した状況なのだが、自分でもどうしてこんなにのんびりしていられるのか不思議だった。
 缶コーヒーを飲み干してから、二人は再び水槽で泳ぐ魚を見て歩く。
「そういえば、いままであんたの趣味を聞いたことがなかった。なんなら、あんたの趣味に関係するような場所に行ってもいいけど」
 こじんまりとした水槽の底で、砂に埋もれるようにして身を潜めている魚を眺めながら、和彦は問いかける。ガラスには、背後に立つ鷹津の姿が反射して映っていた。自分から水族館に入っておきながら、魚にはまったく興味がない様子の鷹津は、むしろ、魚を眺める和彦のことを興味深そうに観察している。今も、ガラス越しに和彦を見つめていた。
「会えば、陰険な会話を交わすか、セックスしかしてないからな、俺たちは」
 明け透けな鷹津の発言に、後ろ足で蹴りつけてやろうかと本気で思う。そうしなかったのは、すぐ側を家族連れが通り過ぎたからだ。
「悪かった。変なことを聞いて。いい歳をして趣味の一つもないからといって、別に引け目は感じなくていいから――」
「若い頃は、登山をしていた」
 鷹津からの意外な答えに、和彦は振り返る。
「誰が?」
「……お前、俺の趣味を聞いたんじゃないのか」
 さっさと行くぞと言いたげに鷹津が背を向けたので、再び歩き始める。
「今は登らないのか?」
「そんな暇はない。もう何年も前に道具も全部処分したしな。今はせいぜい、登山地図を眺めるぐらいだ」
 和彦は、殺風景な鷹津の部屋の光景を思い出し、そこで一人、地図を眺める男の姿を想像して、少しだけ胸が苦しくなった。
「けっこう健全な趣味を持ってたんだな……。それがどうして、悪徳刑事になんてなったんだ」
「余計なお世話だ。お前のほうこそ、どうして、ってやつだろ」
 確かに、と和彦は苦笑を洩らす。水族館の出口へと向かいながら、和彦は足元に視線を落とす。
「足、痛い。今日は歩きすぎた」
「総和会も長嶺組も、お前をちやほやして、歩かせやしないんだろ。まだそんなに歩いてないぞ」
「靴がまだ、足に馴染んでないんだ」
 唐突に鷹津が黙り込み、和彦もあえて話しかけなかった。鷹津が再び口を開いたのは、水族館を出てからだった。
「――……少し早いが、晩メシを食いに行くぞ」
 それからどうするかという説明を、あえて鷹津が呑み込んだ気がした。察した和彦は、心臓の鼓動がわずかに速くなるのを感じながら、ああ、と囁くような声音で応じた。

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