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第35話
(9)
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「……その理屈が、総和会に通じるはずがないだろ」
「連中の理屈なんてどうでもいい。俺とお前の仲の話だ。誰も――総和会も長嶺組も関係ない」
すぐにエレベーターが一階に到着し、鷹津は警戒することなく外に出る。和彦はその豪胆さに怯んだが、腕を引かれて仕方なく従う。
エントランスからビルの外をうかがうが、やはり護衛の姿はなかった。和彦は、鷹津が何をやったのかすぐに察した。
「あんた、またやったんだな……」
ビルを出て、辺りを見回してから和彦が詰る口調で言うと、鷹津は軽く鼻を鳴らした。肩を小突かれ、一緒に歩き出す。
「俺は刑事だぞ。いかにも筋者な男たちがうろついていたら、職質をかけるのが仕事だ。だけど今日の俺は非番で、仕方なく、他の奴に任せた」
「……突っ立っていただけなら、なんの罪にも問えないだろ」
「お前の護衛たちは、こんなところで何をしていた、と聞かれても、答えられやしない。まさか、長嶺会長のオンナを待っていると、バカ正直に答えるわけにはいかないからな。迂闊に適当な誤魔化しを口にしたら、暴力団担当の刑事たちは、それこそ重箱の隅を突くようにして矛盾を探り当てる。それを避けるためには黙秘するしかない。事態はますます、ややこしくなるな」
鷹津がこの手を使うのは、これが初めてではなかった。前にも一度、和彦と護衛を引き離すために、同じことをしている。
しかし、そのときと今では、自分たちの関係はずいぶん変化した。和彦は歩きながら横目で鷹津をうかがう。あのとき、和彦は本当に鷹津が嫌いで、不気味だとすら思っていた。
それが今では――。
風で乱れた髪を掻き上げて、和彦は背後を振り返る。鷹津は、和彦が逃げ出すとでも思ったのか、再び腕を掴んできた。背後には、護衛の男たちの姿は見えない。鷹津が言ったとおり、黙秘を貫いているのだとしたら、そう易々と解放はされないだろう。
「――……これから、どうするんだ?」
今後の展開を想像して、意識しないまま声は暗く沈む。一方、大それた行動に出た当事者は、珍しく冗談めかして言った。
「可愛いオンナとデートするに決まってるだろ」
やはり鷹津の様子がおかしいと思いながらも、逃げ出すという手段を和彦は取れない。すでに総和会にケンカを売った状態にある鷹津を一人にするのは、あらゆる意味で危険だ。
「……ぼくは、金がかかるからな」
和彦の腹が決まったと、口調から感じ取ったらしい。鷹津は唇の端を動かすだけの笑みを浮かべたあと、片手を突き出して無遠慮に要求してきた。
「携帯を出せ。しばらく預かっておく」
鷹津の要求が至極当然であることを認め、和彦はジャケットのポケットから取り出した携帯電話を渡す。鷹津は、和彦が見ている前で電源を切った。
「あとで返してくれ」
「はっ、総和会会長と長嶺組組長直通の番号が入った携帯なんて、誰も盗りゃしねーよ」
その二人の〈オンナ〉である和彦を連れ歩こうとしているのだから、矛盾もいいところだ。
和彦が胡乱な眼差しを向けると、鷹津自身、自覚はあるらしく、皮肉げな表情であごをしゃくった。
「車はそこの駐車場だ」
鷹津が歩調を速めたので、和彦は小走りで追いかけた。
イスに腰掛けた和彦は、両足を伸ばして爪先を動かしてみる。さきほどから少し足が痛かった。歩き回ったせいもあるだろうが、一番の原因は、買ったばかりの靴がまだ足に馴染んでいないからだ。
カジュアルな服装に合わせたスエードのモカシンは、これからの季節にぴったりの渋いチョコレート色で、一目見て気に入った。和彦だけではなく、鷹津も。
甲高いはしゃぎ声が聞こえて、和彦は顔を上げる。幼い子供二人が、大きな水槽に張り付くようにして魚を見ていた。今日は土曜日だけあって、水族館には家族連れが多い。もちろん、カップルも目につき、いい歳をした男二人で歩いていると、居たたまれない気持ちになるのだ。
「……ちょっとした嫌がらせだ」
小さな声でぼやくと、前触れもなく缶コーヒーが目の前に突き出された。驚いた和彦は目を丸くしながらも、素直に受け取る。鷹津が隣に腰掛け、黙々と缶に口をつける。
感じる違和感が尋常ではなかった。何年ぶりかに訪れた水族館の同行者が、よりによって鷹津なのだ。しかも、和彦から言い出したわけではない。
「――やっぱり、あんたはおかしい」
沈黙に耐え切れず和彦がぽつりと洩らすと、短く声を洩らして鷹津は笑う。
「服を一揃え買ってやったのに、その言い方はないだろ」
「それが、おかしいと言うんだ」
「連中の理屈なんてどうでもいい。俺とお前の仲の話だ。誰も――総和会も長嶺組も関係ない」
すぐにエレベーターが一階に到着し、鷹津は警戒することなく外に出る。和彦はその豪胆さに怯んだが、腕を引かれて仕方なく従う。
エントランスからビルの外をうかがうが、やはり護衛の姿はなかった。和彦は、鷹津が何をやったのかすぐに察した。
「あんた、またやったんだな……」
ビルを出て、辺りを見回してから和彦が詰る口調で言うと、鷹津は軽く鼻を鳴らした。肩を小突かれ、一緒に歩き出す。
「俺は刑事だぞ。いかにも筋者な男たちがうろついていたら、職質をかけるのが仕事だ。だけど今日の俺は非番で、仕方なく、他の奴に任せた」
「……突っ立っていただけなら、なんの罪にも問えないだろ」
「お前の護衛たちは、こんなところで何をしていた、と聞かれても、答えられやしない。まさか、長嶺会長のオンナを待っていると、バカ正直に答えるわけにはいかないからな。迂闊に適当な誤魔化しを口にしたら、暴力団担当の刑事たちは、それこそ重箱の隅を突くようにして矛盾を探り当てる。それを避けるためには黙秘するしかない。事態はますます、ややこしくなるな」
鷹津がこの手を使うのは、これが初めてではなかった。前にも一度、和彦と護衛を引き離すために、同じことをしている。
しかし、そのときと今では、自分たちの関係はずいぶん変化した。和彦は歩きながら横目で鷹津をうかがう。あのとき、和彦は本当に鷹津が嫌いで、不気味だとすら思っていた。
それが今では――。
風で乱れた髪を掻き上げて、和彦は背後を振り返る。鷹津は、和彦が逃げ出すとでも思ったのか、再び腕を掴んできた。背後には、護衛の男たちの姿は見えない。鷹津が言ったとおり、黙秘を貫いているのだとしたら、そう易々と解放はされないだろう。
「――……これから、どうするんだ?」
今後の展開を想像して、意識しないまま声は暗く沈む。一方、大それた行動に出た当事者は、珍しく冗談めかして言った。
「可愛いオンナとデートするに決まってるだろ」
やはり鷹津の様子がおかしいと思いながらも、逃げ出すという手段を和彦は取れない。すでに総和会にケンカを売った状態にある鷹津を一人にするのは、あらゆる意味で危険だ。
「……ぼくは、金がかかるからな」
和彦の腹が決まったと、口調から感じ取ったらしい。鷹津は唇の端を動かすだけの笑みを浮かべたあと、片手を突き出して無遠慮に要求してきた。
「携帯を出せ。しばらく預かっておく」
鷹津の要求が至極当然であることを認め、和彦はジャケットのポケットから取り出した携帯電話を渡す。鷹津は、和彦が見ている前で電源を切った。
「あとで返してくれ」
「はっ、総和会会長と長嶺組組長直通の番号が入った携帯なんて、誰も盗りゃしねーよ」
その二人の〈オンナ〉である和彦を連れ歩こうとしているのだから、矛盾もいいところだ。
和彦が胡乱な眼差しを向けると、鷹津自身、自覚はあるらしく、皮肉げな表情であごをしゃくった。
「車はそこの駐車場だ」
鷹津が歩調を速めたので、和彦は小走りで追いかけた。
イスに腰掛けた和彦は、両足を伸ばして爪先を動かしてみる。さきほどから少し足が痛かった。歩き回ったせいもあるだろうが、一番の原因は、買ったばかりの靴がまだ足に馴染んでいないからだ。
カジュアルな服装に合わせたスエードのモカシンは、これからの季節にぴったりの渋いチョコレート色で、一目見て気に入った。和彦だけではなく、鷹津も。
甲高いはしゃぎ声が聞こえて、和彦は顔を上げる。幼い子供二人が、大きな水槽に張り付くようにして魚を見ていた。今日は土曜日だけあって、水族館には家族連れが多い。もちろん、カップルも目につき、いい歳をした男二人で歩いていると、居たたまれない気持ちになるのだ。
「……ちょっとした嫌がらせだ」
小さな声でぼやくと、前触れもなく缶コーヒーが目の前に突き出された。驚いた和彦は目を丸くしながらも、素直に受け取る。鷹津が隣に腰掛け、黙々と缶に口をつける。
感じる違和感が尋常ではなかった。何年ぶりかに訪れた水族館の同行者が、よりによって鷹津なのだ。しかも、和彦から言い出したわけではない。
「――やっぱり、あんたはおかしい」
沈黙に耐え切れず和彦がぽつりと洩らすと、短く声を洩らして鷹津は笑う。
「服を一揃え買ってやったのに、その言い方はないだろ」
「それが、おかしいと言うんだ」
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