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第35話
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和彦と中嶋は体の関係を持っており、そして秦とも、危うい行為に及んでいる。そんな関係にありながら、いまさら倫理観や貞操観念に言及するのは、あまりに偽善的だ。
ただ、秦を不安がらせたいわけではないが、ついこんなことを口にしていた。
「中嶋くんはモテるだろ。見た目はあの通り爽やかなハンサムだし、物腰も優しいし。今でも女性受けは抜群じゃないか」
「男受けもいいですよ」
秦から意味ありげな流し目を寄越され、和彦は返事に詰まる。当て擦り――ではなさそうだと判断し、恐る恐る確認してみた。
「やっぱり、心当たりでもあるんじゃないか?」
「わたしの口からはなんとも。今度、先生から中嶋に聞いてみてください」
「……なんだか面倒なことに巻き込まれそうな予感がするから、遠慮しておく」
「先生は慎重だ」
秦が顔を綻ばせ、少なくともその姿からは、中嶋との関係を深刻に悩んでいる様子はうかがえない。どうやら和彦が心配する事態ではないようだ。
「まあ、ぼくなんかが心配しなくても、君ら二人のほうがよほど、修羅場には慣れているか」
和彦の言葉に、秦が芝居がかった仕種であごに手をやり、深刻な表情を見せる。
「他の人ならともかく、先生にそう言われると、複雑な気持ちになりますね……」
「悪かったよっ。余計なことを言って」
失礼なことに秦は声を上げて笑い、自覚はあるだけに怒るに怒れない和彦は立ち上がると、雑貨で埋まっている棚へと歩み寄る。気晴らしのためにここを訪れたので、何か買って帰るつもりだ。
総和会本部の和彦のために準備したという新しい部屋は、必要なものはすべて揃ってはいるのだが、やはりまだ居心地が悪く、せめて自分が選んだ小物でも置いてみようと考えたのだ。それに、クリニックが休みの日にわざわざ外出しておきながら、手ぶらで帰るのも気が引ける。
「何かお探しのものでもありますか?」
「マグカップが。あっ、それと、温度計が欲しい。湿度もわかるものがいいな」
「マグカップなら、ちょうど入荷したばかりのものがいくつかありますから、今出しますね。温度計は、そこの棚に並んでいるものが全部です」
わざわざそこまでしなくてもと言おうとしたが、やけに様になるウィンクを残して秦の姿が店の奥へと消える。待っている間、突っ立っているのも手持ち無沙汰なので、和彦は棚を覗いて温度計を探し始める。
ついつい目移りしてしまい、あれこれと商品を手に取っていると、店のドアが開閉する音がした。ドアに貼ってあった臨時休業の紙に気づかないということはありえないので、店の手伝いに誰か来たのだろうかと思い、和彦は棚の隙間から様子をうかがう。
慌しさを感じさせる足音が、棚の向こう側を行き来する。顔がよく見えないので、腰を屈めようとしたとき、来訪者に気づいたらしく秦が声を発した。
「おや、意外なお客様ですね。もしかして、雑貨を買いに来られたんですか?」
「――……そんなわけあるか」
不機嫌に応じた声に、嫌になるほど聞き覚えがあった。和彦が棚から飛び出すと、スーツ姿の鷹津が、カウンター越しに秦と向き合っている。
鷹津を一目見てまず感じたのは、なんとなく荒んだ容貌になったなということだった。ひげはきちんと剃ってあるし、髪はオールバックに整えてあるものの、いくぶん頬のラインが鋭くなり、目元の辺りに険が宿っている。それでなくても彫りの深い顔立ちをしているだけに、尋常ではない迫力が漂っている。
鷹津はこちらを見るなり、秦の存在など忘れたように大股で歩み寄ってくる。一体何事かと、和彦がその場に立ち尽くしたまま動けないでいると、いきなり腕を掴まれた。
「行くぞ」
掴まれた腕を乱暴に引っ張られ、和彦はハッとする。
「えっ? あっ、行くって、どこに……」
「いいから、ついて来い」
有無を言わせず引きずられ、和彦は助けを求めて秦を見遣る。しかし、厄介な事態に巻き込まれたくはないのか、それとも何か意図があるのか、艶やかな笑顔で見送られた。
狭いエレベーターに押し込められた和彦は、鷹津の横顔をうかがい見る。
「一体どうしたんだ? あんたは今は、ぼくに近づかないほうがいいってわかってるだろ。しかも、こんな明るいうちに」
ここで和彦は、大事なことを思い出す。さすがに店まではついてこなかったが、ビルの前では護衛の男たちが待機していたはずなのだ。鷹津は総和会によって顔も正体も把握されており、ビルの中に入ることを許すとは思えない。
嫌な予感がして、ブルリと身震いをする。掴んだ腕からそれが伝わったらしく、鷹津がちらりと和彦を一瞥した。
「俺が、俺のオンナに会いに来て、何が悪い」
クリニックの仮眠室でのやり取りが蘇り、頬が熱くなる。
ただ、秦を不安がらせたいわけではないが、ついこんなことを口にしていた。
「中嶋くんはモテるだろ。見た目はあの通り爽やかなハンサムだし、物腰も優しいし。今でも女性受けは抜群じゃないか」
「男受けもいいですよ」
秦から意味ありげな流し目を寄越され、和彦は返事に詰まる。当て擦り――ではなさそうだと判断し、恐る恐る確認してみた。
「やっぱり、心当たりでもあるんじゃないか?」
「わたしの口からはなんとも。今度、先生から中嶋に聞いてみてください」
「……なんだか面倒なことに巻き込まれそうな予感がするから、遠慮しておく」
「先生は慎重だ」
秦が顔を綻ばせ、少なくともその姿からは、中嶋との関係を深刻に悩んでいる様子はうかがえない。どうやら和彦が心配する事態ではないようだ。
「まあ、ぼくなんかが心配しなくても、君ら二人のほうがよほど、修羅場には慣れているか」
和彦の言葉に、秦が芝居がかった仕種であごに手をやり、深刻な表情を見せる。
「他の人ならともかく、先生にそう言われると、複雑な気持ちになりますね……」
「悪かったよっ。余計なことを言って」
失礼なことに秦は声を上げて笑い、自覚はあるだけに怒るに怒れない和彦は立ち上がると、雑貨で埋まっている棚へと歩み寄る。気晴らしのためにここを訪れたので、何か買って帰るつもりだ。
総和会本部の和彦のために準備したという新しい部屋は、必要なものはすべて揃ってはいるのだが、やはりまだ居心地が悪く、せめて自分が選んだ小物でも置いてみようと考えたのだ。それに、クリニックが休みの日にわざわざ外出しておきながら、手ぶらで帰るのも気が引ける。
「何かお探しのものでもありますか?」
「マグカップが。あっ、それと、温度計が欲しい。湿度もわかるものがいいな」
「マグカップなら、ちょうど入荷したばかりのものがいくつかありますから、今出しますね。温度計は、そこの棚に並んでいるものが全部です」
わざわざそこまでしなくてもと言おうとしたが、やけに様になるウィンクを残して秦の姿が店の奥へと消える。待っている間、突っ立っているのも手持ち無沙汰なので、和彦は棚を覗いて温度計を探し始める。
ついつい目移りしてしまい、あれこれと商品を手に取っていると、店のドアが開閉する音がした。ドアに貼ってあった臨時休業の紙に気づかないということはありえないので、店の手伝いに誰か来たのだろうかと思い、和彦は棚の隙間から様子をうかがう。
慌しさを感じさせる足音が、棚の向こう側を行き来する。顔がよく見えないので、腰を屈めようとしたとき、来訪者に気づいたらしく秦が声を発した。
「おや、意外なお客様ですね。もしかして、雑貨を買いに来られたんですか?」
「――……そんなわけあるか」
不機嫌に応じた声に、嫌になるほど聞き覚えがあった。和彦が棚から飛び出すと、スーツ姿の鷹津が、カウンター越しに秦と向き合っている。
鷹津を一目見てまず感じたのは、なんとなく荒んだ容貌になったなということだった。ひげはきちんと剃ってあるし、髪はオールバックに整えてあるものの、いくぶん頬のラインが鋭くなり、目元の辺りに険が宿っている。それでなくても彫りの深い顔立ちをしているだけに、尋常ではない迫力が漂っている。
鷹津はこちらを見るなり、秦の存在など忘れたように大股で歩み寄ってくる。一体何事かと、和彦がその場に立ち尽くしたまま動けないでいると、いきなり腕を掴まれた。
「行くぞ」
掴まれた腕を乱暴に引っ張られ、和彦はハッとする。
「えっ? あっ、行くって、どこに……」
「いいから、ついて来い」
有無を言わせず引きずられ、和彦は助けを求めて秦を見遣る。しかし、厄介な事態に巻き込まれたくはないのか、それとも何か意図があるのか、艶やかな笑顔で見送られた。
狭いエレベーターに押し込められた和彦は、鷹津の横顔をうかがい見る。
「一体どうしたんだ? あんたは今は、ぼくに近づかないほうがいいってわかってるだろ。しかも、こんな明るいうちに」
ここで和彦は、大事なことを思い出す。さすがに店まではついてこなかったが、ビルの前では護衛の男たちが待機していたはずなのだ。鷹津は総和会によって顔も正体も把握されており、ビルの中に入ることを許すとは思えない。
嫌な予感がして、ブルリと身震いをする。掴んだ腕からそれが伝わったらしく、鷹津がちらりと和彦を一瞥した。
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