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第35話
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「いえ……。心配しなくていいとだけ」
「犯人について、調べているかどうかすらも教えられていないというわけか」
目線を伏せて肯定すると、どういう意味か御堂が唇の端を動かす。なんとなく嘲りの表情に見えた。
襲撃された件で、和彦に一番情報をもたらしてくれたのは、千尋だ。全体の状況が見えない和彦に、総和会内部の者による犯行の可能性を示唆したのだ。そのとき千尋の口から名が出たのは、今目の前にいる御堂だった。
もちろん、御堂の犯行だと決めつけていたのではなく、御堂を利用したがっている勢力があると言っていたのだ。その勢力の筆頭が、御堂とは浅からぬ縁のある組織、清道会だ。
「そのうち……というか、さすがに誰かが君に教えるかもしれないが、君を襲った主犯格として、清道会の名が挙がっている。綾瀬さんがいる組だ」
和彦が驚かなかったことに、御堂は納得したように頷き、艶やかな笑みを見せた。
「そうか。もう知っているようだね」
「すみません……」
「どうして君が謝る。総和会にいれば、誰もが薄々考えることだ。わたしが復帰して、血気に逸った誰かが独断で暴走した結果だとしても、責めを負うのは組そのものだ。実際、早いうちから長嶺会長は、檄文を出した。自分の〈オンナ〉であり、長嶺組長からの大事な預かりものでもある君が命の危険に晒されて、憤激していることを。そこに、まるで、特定の組織を想起させるような文章もつけてね」
えっ、と声を洩らした和彦は、そのまま絶句する。和彦が知る守光と、あまりに様子が違うと感じたからだ。守光はむしろ、和彦が襲撃されたということを最大限に利用した。総和会という組織深くに、和彦を取り込んだのだ。
ある可能性がちらりと頭を掠めた瞬間、総毛立つような感覚に襲われる。ブルリと身震いした和彦を、御堂は冷静な――冷徹ともいえる目で見つめていた。
「君はやっぱり頭がいい。ある可能性に、気づいたんだね」
和彦は頷かなかった。認めてしまえば、守光とこれまでのように向き合えないと思ったからだ。聡い守光は、和彦の些細な機微すら見抜いてしまい、総和会という組織の奥にさらに取り込もうとしてくるかもしれない。
「君が襲われたという事実は、こういってはなんだが、使い勝手がいいんだ。肝心の君は怪我がなく、襲ったほうも、車を停めることに成功しておきながら、なぜか君に一切手出しはしなかった。あとに残ったのは、総和会の外部ではなく、内部の者による犯行の可能性が高い、という不確実な話だけだ。そこで長嶺会長はどう動くか――」
守光は、対外的には総和会を磐石の組織へと育て上げたが、内部に限っては、すべてが安泰というわけではない。敵すらも呑み込んでいる巨大な組織は、ある意味、不安定ともいえた。だからこそ守光はさらに完璧を目指し、精力的に動き続けている。
「今回の件で、得をした人間がいる。もちろん、君ではない。綾瀬さん――清道会でも、それ以外の、長嶺会長の抵抗勢力でもない。そう。組織改革のさらなる口実を得た、長嶺会長自身だよ」
御堂の言う〈毒〉とは、猜疑心のことだ。
和彦は自分でも顔が青ざめていくのがわかった。
「これまでの総和会は、十一の組が名を連ねているということもあって、一応は合議制的な部分が強かったんだ。だけどそれは、長嶺会長の代になってから、少しずつ変わってきている。あの人が目指しているのは……、会長権限による独裁かもしれない」
ここまで話して、御堂は優雅な動作でお茶を啜る。和彦が箸を置いたのを見て、怜悧な微笑を浮かべた。見惚れるほど美しい表情だが、よく研がれた刃のような鋭さがある。
「親切なふりをして、わたしは君に毒を吹き込んだ。君はきっと、長嶺会長に対して怯えを抱くだろう。そして、長嶺会長は気づく。君に余計なことを吹き込んだ人間がいて、それは、今日食事をともにしたわたしだ、と。気に障って仕方ないだろうね。復帰を認めたばかりだというのに、もう動き出したかと」
自分は男たちの思惑と力に翻弄されるしかないのだと、痛感していた。守光が言う、強い力に身を委ねるとは、言い換えるなら、こういうことだ。和彦の知らないところで、和彦は利用されている。教えてくれるだけ、御堂は〈親切〉なのだろう。
「……賢吾さんに対して、ぼくはよく言っていたんです。ヤクザの言うことなんて、信じられないと」
「そうだね。わたしもヤクザだから、信じないほうがいい。今言ったことは、なんの確証もない。ただの憶測というやつだ。もしかすると君を襲ったのは、総和会の外の人間で、長嶺会長は必死に犯人を捜させているかもしれない。君は、信じたいことを信じればいいし、そうできないなら、何も信じなくてもいい」
「犯人について、調べているかどうかすらも教えられていないというわけか」
目線を伏せて肯定すると、どういう意味か御堂が唇の端を動かす。なんとなく嘲りの表情に見えた。
襲撃された件で、和彦に一番情報をもたらしてくれたのは、千尋だ。全体の状況が見えない和彦に、総和会内部の者による犯行の可能性を示唆したのだ。そのとき千尋の口から名が出たのは、今目の前にいる御堂だった。
もちろん、御堂の犯行だと決めつけていたのではなく、御堂を利用したがっている勢力があると言っていたのだ。その勢力の筆頭が、御堂とは浅からぬ縁のある組織、清道会だ。
「そのうち……というか、さすがに誰かが君に教えるかもしれないが、君を襲った主犯格として、清道会の名が挙がっている。綾瀬さんがいる組だ」
和彦が驚かなかったことに、御堂は納得したように頷き、艶やかな笑みを見せた。
「そうか。もう知っているようだね」
「すみません……」
「どうして君が謝る。総和会にいれば、誰もが薄々考えることだ。わたしが復帰して、血気に逸った誰かが独断で暴走した結果だとしても、責めを負うのは組そのものだ。実際、早いうちから長嶺会長は、檄文を出した。自分の〈オンナ〉であり、長嶺組長からの大事な預かりものでもある君が命の危険に晒されて、憤激していることを。そこに、まるで、特定の組織を想起させるような文章もつけてね」
えっ、と声を洩らした和彦は、そのまま絶句する。和彦が知る守光と、あまりに様子が違うと感じたからだ。守光はむしろ、和彦が襲撃されたということを最大限に利用した。総和会という組織深くに、和彦を取り込んだのだ。
ある可能性がちらりと頭を掠めた瞬間、総毛立つような感覚に襲われる。ブルリと身震いした和彦を、御堂は冷静な――冷徹ともいえる目で見つめていた。
「君はやっぱり頭がいい。ある可能性に、気づいたんだね」
和彦は頷かなかった。認めてしまえば、守光とこれまでのように向き合えないと思ったからだ。聡い守光は、和彦の些細な機微すら見抜いてしまい、総和会という組織の奥にさらに取り込もうとしてくるかもしれない。
「君が襲われたという事実は、こういってはなんだが、使い勝手がいいんだ。肝心の君は怪我がなく、襲ったほうも、車を停めることに成功しておきながら、なぜか君に一切手出しはしなかった。あとに残ったのは、総和会の外部ではなく、内部の者による犯行の可能性が高い、という不確実な話だけだ。そこで長嶺会長はどう動くか――」
守光は、対外的には総和会を磐石の組織へと育て上げたが、内部に限っては、すべてが安泰というわけではない。敵すらも呑み込んでいる巨大な組織は、ある意味、不安定ともいえた。だからこそ守光はさらに完璧を目指し、精力的に動き続けている。
「今回の件で、得をした人間がいる。もちろん、君ではない。綾瀬さん――清道会でも、それ以外の、長嶺会長の抵抗勢力でもない。そう。組織改革のさらなる口実を得た、長嶺会長自身だよ」
御堂の言う〈毒〉とは、猜疑心のことだ。
和彦は自分でも顔が青ざめていくのがわかった。
「これまでの総和会は、十一の組が名を連ねているということもあって、一応は合議制的な部分が強かったんだ。だけどそれは、長嶺会長の代になってから、少しずつ変わってきている。あの人が目指しているのは……、会長権限による独裁かもしれない」
ここまで話して、御堂は優雅な動作でお茶を啜る。和彦が箸を置いたのを見て、怜悧な微笑を浮かべた。見惚れるほど美しい表情だが、よく研がれた刃のような鋭さがある。
「親切なふりをして、わたしは君に毒を吹き込んだ。君はきっと、長嶺会長に対して怯えを抱くだろう。そして、長嶺会長は気づく。君に余計なことを吹き込んだ人間がいて、それは、今日食事をともにしたわたしだ、と。気に障って仕方ないだろうね。復帰を認めたばかりだというのに、もう動き出したかと」
自分は男たちの思惑と力に翻弄されるしかないのだと、痛感していた。守光が言う、強い力に身を委ねるとは、言い換えるなら、こういうことだ。和彦の知らないところで、和彦は利用されている。教えてくれるだけ、御堂は〈親切〉なのだろう。
「……賢吾さんに対して、ぼくはよく言っていたんです。ヤクザの言うことなんて、信じられないと」
「そうだね。わたしもヤクザだから、信じないほうがいい。今言ったことは、なんの確証もない。ただの憶測というやつだ。もしかすると君を襲ったのは、総和会の外の人間で、長嶺会長は必死に犯人を捜させているかもしれない。君は、信じたいことを信じればいいし、そうできないなら、何も信じなくてもいい」
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