血と束縛と

北川とも

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第34話

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 吾川は奥まった場所にあるドアの前で立ち止まり、鍵を開けた。促されて一緒に中に入った和彦は、目の前の光景に面食らう。きれいなフローリングに、家具や電化製品が配置されたワンルームがそこにあったのだ。
「ここは……?」
 吾川が玄関で靴を脱いだので、和彦も倣って部屋に上がる。おそるおそる室内を見回すと、こじんまりとしたキッチンまであった。
「先生のためにご用意した部屋です」
「……ぼくのために、ですか?」
「さきほども申しましたが、会長の部屋では、人の出入りが気になるでしょう。ここでしたら、先生お一人で過ごしていただくことが可能です。招かれない限り、我々が部屋に上がることはございません。ただ、先生が出かけられている間に、掃除などを済ませる許可はいただきたいのです」
「えっ、ああ、それは――……」
 吾川の説明の半分は、呆然とする和彦の耳を通り抜けていく。なんとなく、壁紙やカーテン、敷かれたラグの色を確認して、最後にアコーディオンカーテンに目を留める。それに気づいた吾川が、アコーディオンカーテンの向こうにあるものを見せてくれた。
「ユニットバスですので、のびのびと入浴、というわけにはいきませんが、お好きなときにシャワーを浴びていただくことはできるかと思います」
 見た限り、部屋の何もかもが真新しかった。壁紙もフローリングも張り替えたばかりのようだし、今説明を受けたユニットバスも、使われた形跡はない。まさか、と思って吾川を見ると、頷いて返される。
「先生が昼間いらっしゃらない間に、もともと使われていなかった宿泊室の壁を取り壊して、二部屋分のスペースを改装しました。それでも広いとは言い難いでしょうが、こちらでしたら、先生の私物ももっと運び込んでいただけると思います。もちろん、必要なものを言っていただければ、こちらでご用意もいたしますので、遠慮なくおっしゃってください」
 自分が知らない間に、こんな大規模なことが粛々と行われていたのかと思うと、急に虚脱感に襲われる。立っていられず、堪らず側のソファに腰を下ろした。
 ふと思い出したことがある。先日、クリニックの候補地を見学に行ったときの、藤倉と南郷の短いやり取りだ。あのとき『工事』という言葉を口にしていたが、この部屋のことを指していたのだとしたら、二人の思わせぶりな態度も腑に落ちる。
 和彦は再び室内を見回し、空恐ろしさに襲われていた。自分はどこまで総和会に取り込まれていくのだろうかと思ってしまったのだ。
「そう、難しく考えないでください。あくまで、選択肢の一つということです。これまで同様、先生には自由に会長のお部屋に出入りしていただけますし、客間もそのままにしておきます。先生が一人で寛ぎたいときに、気軽にここを利用していただきたいということです。先生のご自宅マンションに、長嶺組の本宅、そして、総和会本部の中で、会長のお部屋と、ここと――。先生を必要とされる方と、望まれる場所で過ごしてほしいというのが、会長の願いです」
 三田村が借りているアパートのことを持ち出さなかったのは、何か意図があってのことだろうかと、頭の片隅でちらりと気にはなったが、そんな疑問を口にできる余裕は、今の和彦にはなかった。正直、頭は混乱しているし、動揺も続いている。
 ここが自分の生活拠点になるのだろうかと、漠然とした不安が胸の奥から競り上がってくる。少なくとも守光は、そのつもりだろう。守光が望むのであれば、側近の男たちは忠実に従い、和彦のために最善を尽くす。説明を続ける吾川を見ていれば、それがよくわかる。
 和彦のために、総和会の男たちが動くのだ。和彦が、守光にとっての善きオンナであるために。
「この部屋を準備すると決めたときから、会長の中ではもう、先生は、本部の〈お客様〉ではなくなったのでしょう」
 感慨深げな吾川の言葉に、和彦は微かに眉をひそめる。見えない重圧がじわじわと肩にのしかかり、息苦しさを覚えていた。
 過分なほど何もかも揃えられたこの部屋は、檻だ。和彦を捕らえて逃がさないという、守光の意思表明なのだろう。そして、和彦がその意図を正確に読み取り、どういう答えを出すのかすら、計算しているはずだ。
 長嶺の男は、和彦から欲しい返事をもぎ取るためには手段を選ばない。いざとなれば、和彦に肉体的な苦痛を与えることすら厭わないだろう。
 和彦はゆっくりと息を吐き出して天井を見上げると、静かに目を閉じた。

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