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第34話
(22)
しおりを挟む和彦は四日間、ホテルを転々とする生活を送った。クリニックから出て護衛の車に乗り込むと、その日宿泊するホテルに連れて行かれるという具合だ。
何も教えられないまま、ホテルの部屋で一人で過ごしていると、あれこれと考え込んでしまい、気が滅入りそうになったが、和彦の性質をよく理解している身近な男たちによって救われた。千尋が毎日電話をくれたうえに、中嶋も、ホテル内でとはいえ夕食につき合ってくれたのだ。
そして五日目に、仕事を終えた和彦が車に乗り込むと、総和会本部に戻れることになったと告げられた。
さすがに、車がぶつかってきた現場を通過するときは緊張したが、特に問題が起こることなく、和彦の身は安全に総和会本部へと送り届けられた。
すでに連絡を受けていたらしく、照明で明るく照らされている駐車場には、吾川が待機していた。
九月に入ったとはいえ、夕方でもまだ蒸し暑い中、わざわざ外で自分を待つ必要などないのにと、和彦は心の内で思う。いまだに総和会で恭しく扱われることには慣れない。
車を降りた和彦に対して、さっそく吾川は穏やかに微笑みかけてきた。
「お疲れになったでしょう」
曖昧な返事をした和彦を促して、吾川が歩き始める。
「ホテル暮らしで不安に思われたかもしれませんが、決して本部が危険だったというわけではありません。ただ、慌しくしていたのは確かですから、その様子を先生にあまりお見せしたくないということで、ホテルに部屋をお取りしました。本来であれば、長嶺組にお預けするのが筋なのかもしれませんが、もし万が一、先生がまた襲撃されるようなことになりましたら、少々問題が複雑になりますので――……」
裏口から入ってエレベーターホールに向かいながらの吾川の説明に、和彦は想像力を働かせる。
長嶺組が和彦の身柄を預かったあと、また和彦が襲撃を受け、仮に怪我でもしたら、総和会という組織は、長嶺組の責任を問わないわけにはいかないだろう。一方で、何事もなかったとき、長嶺組は総和会を問い詰める口実を得ることになる。〈オンナ〉の身一つ守ることができないのか、と。
立てようと思えば、波風などいくらでも立てられるということだ。長嶺の男たちにそのつもりはないとしても、周囲にいる人間たちも同じとは限らない。
疲労感以外のものがさらに肩にのしかかった気がして、無意識のうちにため息をついた和彦は、次の瞬間には我に返り、口元に手をやる。
何事もなかったふうを装いながらエレベーターに乗り込んだが、吾川はしっかり気づいていたようだ。和彦の気疲れを少しでも和らげようとでも思ったのか、さらにこんなことを言った。
「会長は、先生に快適に過ごしていただくことに関して、非常に気を配っておられます。今回のホテル暮らしについても、窮屈で不便な思いをさせていると心配されている一方で、部屋で一人で過ごせることが、先生にとっては何より落ち着ける環境ではないかとも、おっしゃっていました」
「いえ、それは……」
「会長の部屋は、最小限に抑えているとはいえ、わたしも含めて人の出入りがありますから、先生も気の休まらない部分があるでしょう」
どうしてこんなことを言い出すのかと、ささやかな警戒心が首をもたげ始めたところで、エレベーターが四階に到着し、扉が開く。いつものように守光の居住スペースに向かうかと思ったが、吾川が手で示したのは反対方向だった。
戸惑う和彦に、吾川は穏やかな表情と声でこう言った。
「先生に見ていただきたいものがあります。そうお時間は取らせませんから」
ここまで言われて拒否もできず、和彦は頷き、吾川についていく。
宿泊室が並ぶ一角には、いい記憶はなかった。一度南郷に連れ込まれ、卑猥で屈辱的な行為に及ばれたからだ。
広い廊下を歩いていて、南郷が使っていた部屋の前を通るときはさすがに身構えたが、今日は札がかかっておらず、どうやら宿泊はしていないようだった。
廊下の途中を曲がると、〈リネン室〉と記されたドアがまっさきに視界に飛び込んできた。その隣には業務用のエレベーターも設置されている。今は静かだが、研修施設として利用されていた頃は、慌しく人が行き来していたのだろうなと、漠然と想像する。いや、もしかすると今も、そう変わっていないのかもしれない。
和彦は、平日の昼間はクリニックにいるし、本部に戻ってきてからは、大半が部屋にこもっているか、せいぜいが夜中、ラウンジでひっそりと短い時間を過ごしているぐらいだ。本部内の人の動きをほとんど知らないと言ってもいい。
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