血と束縛と

北川とも

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第34話

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 尋常でない出来事があったにも関わらず、総和会の男たちの動きは迅速だった。速やかに代わりの車が呼ばれ、和彦だけがその車に乗って現場を立ち去ったのだが、そのあと、警察を呼んで処理したとは到底思えなかった。
 どしゃ降りの雨の中、車の外にいた男たちは、ずぶ濡れになりながら明らかに殺気立っており、あんなぎらついた目をして警官と相対すれば、さらに面倒な事態になるのは目に見えている。
 先生は何も心配しなくていいと言われたが、自分が乗っている車があんな目に遭い、安穏とした気持ちでいられるはずがない。頭の中は疑問符が飛び交っていた。
 車をぶつけてきたのはどこの誰なのかということはもちろん、今夜はこのホテルで休むよう言われた理由も、時間の経過とともに気になってくる。
 本部までは、もう少しだったのだ。歩いてさえ行けた距離だ。なのに、わざわざ離れたホテルへと連れて来られた。おそらく隣か前の客室も、総和会によって押さえられているはずだ。護衛の手間を考えても、ホテルの部屋を取った利点が見えてこない。
 もう一度ため息をつこうとしたとき、部屋の外で慌しい気配がする。また何か起こったのかと、反射的に飛び起きたと同時に、ドアがノックされた。和彦はベッドの上で動けず、じっと息を潜める。すると、ナイトテーブルの上に置いた携帯電話が鳴った。相手は千尋だ。
『――先生、ドア開けて』
 電話に出ると、開口一番にそう言われて面食らう。再びドアがノックされ、ようやく和彦はベッドから下りた。
 念のためドアスコープを覗いて、ドアの前に千尋が立っているのを確認する。ドアを開けると同時に千尋が押し入り、和彦をきつく抱き締めてきた。
「よかったっ……。本当に無事だった」
 呻くように千尋が洩らした言葉に、和彦は目を丸くしたあと、小さく笑みをこぼす。千尋の背後に目を向けると、護衛としてついてきたのだろう。廊下に長嶺組の組員たちが立っている。和彦が頷くと、ドアが閉められた。
「……大丈夫だと言っただろ。どうして来たんだ」
 茶色の髪をくしゃくしゃと撫で回しながら和彦が言うと、不安そうに千尋が見つめてくる。
「迷惑だった?」
「そうじゃないけど、お前まで来ると、なんだか大事になったみたいで……」
「大事だよっ。先生が襲われたんだから」
 千尋が声を荒らげたことより、放たれた言葉のほうに衝撃を受けた。
「ぼくが……、襲われた?」
「そうだよ。ここに来るまでに、総和会から状況の説明があったけど、総和会も長嶺組も、見解は一致してる」
 寸前まで不安げに和彦を見つめていた千尋だが、こう告げるときの目は完全に据わっていた。どす黒い感情の炎に触れた気がして和彦が顔を強張らせると、千尋が安心させるように笑いかけてくる。
「先生、何か食った?」
「いや……、落ち着かなくて、それどころじゃなくて」
「ごめんね。何か買ってくればよかったんだけど、俺も慌ててたから、そこまで気が回らなくて。さすがに今は部屋を出られないから、ルームサービスを頼むか、うちのに適当に買ってきてもらおうか?」
 正直、食欲はまったくないのだが、何か食べないと千尋が過剰に心配するのは目に見えていたため、組員にコーヒーと軽食を買ってきてもらうことにする。
 イスに腰掛けた和彦は、さっそくさきほどの話の続きを促した。
「どうしてぼくが、襲われるんだ……?」
 千尋は窓際に移動すると、カーテンをわずかに開ける。いまだに雨は降り続いており、それを確認して不快そうに眉をひそめた。
「――襲われた、というのは本当は正確な表現じゃないのかも。うちの連中も言ってたけど、本当に先生をどうこうしたいんなら、車をぶつけて停めたあと、外に引きずり出すなり、車の中に拳銃の弾でも撃ち込めばよかったんだ」
 ゾッとするようなことをさらりと言われ、和彦は総毛立つ。少し考えてみれば、そこまでされなかったことが不思議なのだ。ほとんど抵抗などできない和彦を傷つける――致命傷を負わせることなど、暴力に慣れた人間たちにとっては造作もない。なのに、そうしなかった。
 よほど顔色が変わって見えたのか、千尋が動揺した様子で側にやってくる。
「ごめんね、先生。怖がらせるようなこと言って」
「大丈夫だ。お前が今言ったようなことを心配するのが本当なんだ。ぼくはどこか、他人事のように感じていたから、ちょっと驚いただけだ」
 かまわないから続けてくれと、和彦は強い眼差しで訴える。千尋は真剣な顔をして頷くと、ベッドに腰掛けた。

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