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第34話
(12)
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南郷の名が出た途端、意識しないまま眉をひそめる。中嶋は、和彦のささやかな変化を見逃さなかった。
蓋を閉めたペットボトルをラグの上に転がしてから、声を潜めてこんな質問をしてきた。
「――先生は、南郷さんと寝ているんですか?」
思考力が少し鈍くなっている中でも、こう問われたことは衝撃的だった。和彦は嫌悪感を隠そうともせず、即座に否定する。
「寝てないっ」
慌てた様子で中嶋は頭を下げてきたが、それがかえって和彦の自己嫌悪を刺激する。力なく首を横に振り、言葉を続けた。
「宿であんな場面を見たら、そう考えられても仕方ないか。それに、南郷さんとはなんでもないと、正直言い切れない……。あの人はなんというか――、ぼくを辱めることを楽しんでいる印象だ」
「先生……」
中嶋の手が気遣うように肩にかかるが、かまわず和彦は続ける。
「さんざん男と寝ていて、何を言っていると思うかもしれないが、あの人は、ぼくのプライドを傷つけてくる。佐伯和彦という人間じゃなく、長嶺の男たちのオンナに、おもしろ半分で興味があるんだ。触れられると、それがよくわかる。だからぼくは、南郷さんが苦手……、嫌いなんだ」
「先生、もういいですから。すみません。デリカシーのないことを聞いてしまって」
中嶋に優しい手つきで頬を撫でられ、髪を梳かれる。心地よさにそっと目を細めた和彦だが、ふとあることが気になる。
「……ぼくが今言ったこと、南郷さんに言うんじゃ――」
「やっぱり心配性ですね。言いませんよ。なんでも南郷さんに報告していたら、先生の遊び相手にはなれません。俺は、先生の味方です」
「最後の台詞、秦がにっこり笑いながら言いそうだ」
「あの人も、先生には甘いですから。――みんな、先生が大好きだ」
冗談っぽく中嶋に言われ、和彦は微妙な笑みを浮かべる。複数の男たちと体の関係を持っている自分のことを、自虐的に考えていた。
「聞きようによっては、痛烈な皮肉だな……」
「とんでもない。本当にそう思ってますよ。なんといっても、俺自身が先生のことが大好きですし」
この瞬間、二人の間に流れる空気がふっと変わったのを、和彦は肌で感じていた。
中嶋の顔が近づいてきて、ゆっくりと唇が重なってくる。今の口づけの意味はよくわからないが、なんとなく慰められているように感じ、それが不快ではなかった。
和彦も口づけに応じ、唇を吸い合い、緩やかに舌を絡めていく。
中嶋と触れ合うのは不思議な感覚だった。まだまだ未知の感覚をまさぐり、たぐり寄せて、触れた瞬間の心地よさに安堵し、次の瞬間には興奮を覚えていくのだ。
和彦は、中嶋の中を知っており、中嶋もまた、和彦の中を知っている。敏感な部分の感触を確かめ合ったという信頼感が、官能を高める媚薬ともなる。そのことを、和彦は肌で実感していた。
唇が離された途端、熱を帯びた吐息を洩らす。中嶋はじゃれてくるように、こめかみや頬に唇を這わせてきて、その感触に和彦は小さく声を洩らして笑う。
「どうしたんだ、急に」
和彦の問いかけに、中嶋は一瞬だけ怜悧な表情となった。
「あの人――、南郷さんの中では先生は、みんなから過保護に守られて、愛されている、お姫様みたいな存在なんだと思います。暴力が嫌いで非力なのに、南郷さんを殴ったところも含めて、加虐的なものを刺激されるんじゃないでしょうか。きれいなものを汚したい衝動というか……」
「ぼくみたいな人間のことはむしろ、汚らわしいと感じるんじゃないか?」
「でも先生は、そう感じさせない。しなやかでしたたかで、凛としている。開き直っている部分もあるでしょうが、先生を大事にしている人たちが、先生を惨めで汚れた存在にしていない。それがまた、南郷さんの癇に障るのかもしれない。あるいは――」
中嶋が意味深に和彦の目を覗き込んでくる。
「先生、南郷さんにプライドを傷つけられたというなら、ささやかですが、俺が癒す手伝いをしますよ」
どういう意味かと和彦が首を傾げると、中嶋が抱きついてきて、二人一緒にラグの上に倒れ込む。驚いて軽くもがいた和彦だが、中嶋に真上から見下ろされて、意図を察した。
自分でも意識しないまま皮肉っぽい笑みを浮かべ、自虐的とも言える発言をしていた。
「度胸があるな。ぼくは、南郷さんに目をつけられているうえに、何より、長嶺会長のオンナだぞ」
「人によっては大層な脅し文句になるでしょうけど、俺にとっては――煽り文句かもしれませんね」
冴え冴えとした眼差しで中嶋は、和彦の体を眺める。明らかに、守光の〈オンナ〉を値踏みしている目だった。和彦は苦笑して、両手をラグの上に投げ出す。
「本当に怖いもの知らずだ、君は」
蓋を閉めたペットボトルをラグの上に転がしてから、声を潜めてこんな質問をしてきた。
「――先生は、南郷さんと寝ているんですか?」
思考力が少し鈍くなっている中でも、こう問われたことは衝撃的だった。和彦は嫌悪感を隠そうともせず、即座に否定する。
「寝てないっ」
慌てた様子で中嶋は頭を下げてきたが、それがかえって和彦の自己嫌悪を刺激する。力なく首を横に振り、言葉を続けた。
「宿であんな場面を見たら、そう考えられても仕方ないか。それに、南郷さんとはなんでもないと、正直言い切れない……。あの人はなんというか――、ぼくを辱めることを楽しんでいる印象だ」
「先生……」
中嶋の手が気遣うように肩にかかるが、かまわず和彦は続ける。
「さんざん男と寝ていて、何を言っていると思うかもしれないが、あの人は、ぼくのプライドを傷つけてくる。佐伯和彦という人間じゃなく、長嶺の男たちのオンナに、おもしろ半分で興味があるんだ。触れられると、それがよくわかる。だからぼくは、南郷さんが苦手……、嫌いなんだ」
「先生、もういいですから。すみません。デリカシーのないことを聞いてしまって」
中嶋に優しい手つきで頬を撫でられ、髪を梳かれる。心地よさにそっと目を細めた和彦だが、ふとあることが気になる。
「……ぼくが今言ったこと、南郷さんに言うんじゃ――」
「やっぱり心配性ですね。言いませんよ。なんでも南郷さんに報告していたら、先生の遊び相手にはなれません。俺は、先生の味方です」
「最後の台詞、秦がにっこり笑いながら言いそうだ」
「あの人も、先生には甘いですから。――みんな、先生が大好きだ」
冗談っぽく中嶋に言われ、和彦は微妙な笑みを浮かべる。複数の男たちと体の関係を持っている自分のことを、自虐的に考えていた。
「聞きようによっては、痛烈な皮肉だな……」
「とんでもない。本当にそう思ってますよ。なんといっても、俺自身が先生のことが大好きですし」
この瞬間、二人の間に流れる空気がふっと変わったのを、和彦は肌で感じていた。
中嶋の顔が近づいてきて、ゆっくりと唇が重なってくる。今の口づけの意味はよくわからないが、なんとなく慰められているように感じ、それが不快ではなかった。
和彦も口づけに応じ、唇を吸い合い、緩やかに舌を絡めていく。
中嶋と触れ合うのは不思議な感覚だった。まだまだ未知の感覚をまさぐり、たぐり寄せて、触れた瞬間の心地よさに安堵し、次の瞬間には興奮を覚えていくのだ。
和彦は、中嶋の中を知っており、中嶋もまた、和彦の中を知っている。敏感な部分の感触を確かめ合ったという信頼感が、官能を高める媚薬ともなる。そのことを、和彦は肌で実感していた。
唇が離された途端、熱を帯びた吐息を洩らす。中嶋はじゃれてくるように、こめかみや頬に唇を這わせてきて、その感触に和彦は小さく声を洩らして笑う。
「どうしたんだ、急に」
和彦の問いかけに、中嶋は一瞬だけ怜悧な表情となった。
「あの人――、南郷さんの中では先生は、みんなから過保護に守られて、愛されている、お姫様みたいな存在なんだと思います。暴力が嫌いで非力なのに、南郷さんを殴ったところも含めて、加虐的なものを刺激されるんじゃないでしょうか。きれいなものを汚したい衝動というか……」
「ぼくみたいな人間のことはむしろ、汚らわしいと感じるんじゃないか?」
「でも先生は、そう感じさせない。しなやかでしたたかで、凛としている。開き直っている部分もあるでしょうが、先生を大事にしている人たちが、先生を惨めで汚れた存在にしていない。それがまた、南郷さんの癇に障るのかもしれない。あるいは――」
中嶋が意味深に和彦の目を覗き込んでくる。
「先生、南郷さんにプライドを傷つけられたというなら、ささやかですが、俺が癒す手伝いをしますよ」
どういう意味かと和彦が首を傾げると、中嶋が抱きついてきて、二人一緒にラグの上に倒れ込む。驚いて軽くもがいた和彦だが、中嶋に真上から見下ろされて、意図を察した。
自分でも意識しないまま皮肉っぽい笑みを浮かべ、自虐的とも言える発言をしていた。
「度胸があるな。ぼくは、南郷さんに目をつけられているうえに、何より、長嶺会長のオンナだぞ」
「人によっては大層な脅し文句になるでしょうけど、俺にとっては――煽り文句かもしれませんね」
冴え冴えとした眼差しで中嶋は、和彦の体を眺める。明らかに、守光の〈オンナ〉を値踏みしている目だった。和彦は苦笑して、両手をラグの上に投げ出す。
「本当に怖いもの知らずだ、君は」
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