794 / 1,268
第33話
(29)
しおりを挟む
「仕事として命じられてはいるし、先生を守るのは義務だとも思っているが、先生と一緒に過ごせることを、仕事だとは思っていない。俺がそうしたいんだ。何より、喜びも幸せも感じている。どんなときよりも」
甘い囁きというには、あまりに朴訥とした口調だが、それが三田村の優しさと誠実さを何よりも物語っているようで、和彦の心は溶かされる。
「――……わかっているつもりだったけど、やっぱり若頭補佐は、ぼくに甘い。甘すぎる」
「嫌か、先生?」
「嫌というより、怖い。ぼくがどんどん、もっと甘やかせとあんたにせがみそうで」
「そうなった先生を、見てみたいものだな」
「実際そうなると、ぼくなんてさっさと放り出したくなるかもしれないぞ」
冗談めかしたやり取りだったが、三田村はこのときだけは真剣な声で短く応じた。
「――それは絶対に、ない」
外で夕食を済ませ、簡単な買い物を済ませて三田村が借りている部屋に着いたとき、辺りは薄闇に覆われようとしていた。室内にこもった熱気を嫌って、すぐに三田村がエアコンを入れる。
和彦は、買ってきたミネラルウォーターやアルコール類を冷蔵庫に仕舞おうとしたが、ジャケットを脱ぎながら三田村が慌ててやってきて、和彦の手から缶ビールを取り上げた。
「先生は何もしなくていい。疲れてるんだから、座っていてくれ」
「それなら、あんただってずっと運転していただろ」
「俺は平気だから」
肩に手を置かれ、顔を覗き込まれて言われると、これ以上何も言えない。引かれたイスに腰掛けて、三田村の行動を見守る。
前回、この部屋を訪れたときは、梅雨時だった。時間を惜しむように、部屋に入るなり抱き合い、もつれ合いながらベッドに倒れ込み、体を重ねた。会話らしい会話も、あまり交わさなかった気がする。せっかく三田村が借りてくれている部屋だが、本来の、寛ぐための目的として利用したことは、あまりないかもしれない。
それもこれも、和彦の立場が複雑になってきたためだ。
胸の奥で、三田村に対する罪悪感がチクリと痛みを発する。微かに顔をしかめた和彦は、三田村に悟られるのを避けるように、顔を背ける。そこでやっと、部屋の変化に気づいた。
「カーテン、替えたのか……」
和彦がぽつりと洩らすと、冷蔵庫の前で腰を屈めていた三田村が振り返る。
「少しは夏らしいものにしようかと思って。自分の部屋なら、何年同じカーテンだろうが気にもならないのに、不思議なものだな。この部屋だと、細かなことが気になる。もっとも、俺が選んだものだから、合ってないかもしれないが」
「そんなことない。涼しげで、いい感じだ」
淡い青色のカーテンを眺めつつ、和彦は笑みをこぼす。ここで大事な用を思い出し、携帯電話を手に取る。三田村の部屋に着いたと、簡潔な文章を打ち込んでから、賢吾に送信する。この部屋にいて、三田村と二人きりになった時点で、電話とはいえ、賢吾と直接話したくなかった。強烈すぎる昨夜の出来事に、意識を引き戻されたくない。
携帯電話を置くと、三田村はまだこちらに背を向けたままだった。お互い、気をつかい合っていると気配で察してはいるが、あえて口には出さない。
和彦は勢いよく立ち上がると、バッグの中を探る。
「三田村、先にシャワーを使っていいか? 早く楽な格好になりたい」
「ああ。だったら、ベッドの下のボックスに新しいパジャマを入れてあるから、着てくれ」
「……もしかして、あんたとお揃いとか」
三田村は背を向けたまま答えてはくれなかった。
くっくと笑い声を洩らしながら、和彦は言われた通りに新品のパジャマと下着を抱えてバスルームに向かう。
昼前に宿で入浴を済ませ、そのあと特に汗をかくようなこともなかったので、再びの入浴は必要ないのだが、気持ちの問題として、宿から引きずっているものをすべて洗い流してしまいたかった。
ぬるめの湯を頭の先から浴びながら、自分が少しずつリラックスしてきているのがわかった。和彦は吐息を洩らし、顔を仰向けたまま目を閉じる。すると、背後で扉が開く音がして、背後から抱き締められた。ぴったりと重なった肌の感触は熱い。
肩に唇が押し当てられ、ゾクゾクするような心地よさが全身を駆け抜ける。
「今日は、体を見られたくなかったんだ」
前に回された腕を撫でながら和彦が言うと、三田村は肩に強く吸い付いた。おそらく跡がついたはずだ。
「先生が何を気にしているかは、わかっているつもりだ。だけど俺は、それでも見たかったし、触れたかった」
甘い囁きというには、あまりに朴訥とした口調だが、それが三田村の優しさと誠実さを何よりも物語っているようで、和彦の心は溶かされる。
「――……わかっているつもりだったけど、やっぱり若頭補佐は、ぼくに甘い。甘すぎる」
「嫌か、先生?」
「嫌というより、怖い。ぼくがどんどん、もっと甘やかせとあんたにせがみそうで」
「そうなった先生を、見てみたいものだな」
「実際そうなると、ぼくなんてさっさと放り出したくなるかもしれないぞ」
冗談めかしたやり取りだったが、三田村はこのときだけは真剣な声で短く応じた。
「――それは絶対に、ない」
外で夕食を済ませ、簡単な買い物を済ませて三田村が借りている部屋に着いたとき、辺りは薄闇に覆われようとしていた。室内にこもった熱気を嫌って、すぐに三田村がエアコンを入れる。
和彦は、買ってきたミネラルウォーターやアルコール類を冷蔵庫に仕舞おうとしたが、ジャケットを脱ぎながら三田村が慌ててやってきて、和彦の手から缶ビールを取り上げた。
「先生は何もしなくていい。疲れてるんだから、座っていてくれ」
「それなら、あんただってずっと運転していただろ」
「俺は平気だから」
肩に手を置かれ、顔を覗き込まれて言われると、これ以上何も言えない。引かれたイスに腰掛けて、三田村の行動を見守る。
前回、この部屋を訪れたときは、梅雨時だった。時間を惜しむように、部屋に入るなり抱き合い、もつれ合いながらベッドに倒れ込み、体を重ねた。会話らしい会話も、あまり交わさなかった気がする。せっかく三田村が借りてくれている部屋だが、本来の、寛ぐための目的として利用したことは、あまりないかもしれない。
それもこれも、和彦の立場が複雑になってきたためだ。
胸の奥で、三田村に対する罪悪感がチクリと痛みを発する。微かに顔をしかめた和彦は、三田村に悟られるのを避けるように、顔を背ける。そこでやっと、部屋の変化に気づいた。
「カーテン、替えたのか……」
和彦がぽつりと洩らすと、冷蔵庫の前で腰を屈めていた三田村が振り返る。
「少しは夏らしいものにしようかと思って。自分の部屋なら、何年同じカーテンだろうが気にもならないのに、不思議なものだな。この部屋だと、細かなことが気になる。もっとも、俺が選んだものだから、合ってないかもしれないが」
「そんなことない。涼しげで、いい感じだ」
淡い青色のカーテンを眺めつつ、和彦は笑みをこぼす。ここで大事な用を思い出し、携帯電話を手に取る。三田村の部屋に着いたと、簡潔な文章を打ち込んでから、賢吾に送信する。この部屋にいて、三田村と二人きりになった時点で、電話とはいえ、賢吾と直接話したくなかった。強烈すぎる昨夜の出来事に、意識を引き戻されたくない。
携帯電話を置くと、三田村はまだこちらに背を向けたままだった。お互い、気をつかい合っていると気配で察してはいるが、あえて口には出さない。
和彦は勢いよく立ち上がると、バッグの中を探る。
「三田村、先にシャワーを使っていいか? 早く楽な格好になりたい」
「ああ。だったら、ベッドの下のボックスに新しいパジャマを入れてあるから、着てくれ」
「……もしかして、あんたとお揃いとか」
三田村は背を向けたまま答えてはくれなかった。
くっくと笑い声を洩らしながら、和彦は言われた通りに新品のパジャマと下着を抱えてバスルームに向かう。
昼前に宿で入浴を済ませ、そのあと特に汗をかくようなこともなかったので、再びの入浴は必要ないのだが、気持ちの問題として、宿から引きずっているものをすべて洗い流してしまいたかった。
ぬるめの湯を頭の先から浴びながら、自分が少しずつリラックスしてきているのがわかった。和彦は吐息を洩らし、顔を仰向けたまま目を閉じる。すると、背後で扉が開く音がして、背後から抱き締められた。ぴったりと重なった肌の感触は熱い。
肩に唇が押し当てられ、ゾクゾクするような心地よさが全身を駆け抜ける。
「今日は、体を見られたくなかったんだ」
前に回された腕を撫でながら和彦が言うと、三田村は肩に強く吸い付いた。おそらく跡がついたはずだ。
「先生が何を気にしているかは、わかっているつもりだ。だけど俺は、それでも見たかったし、触れたかった」
31
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

朝起きたら幼なじみと番になってた。
オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。
隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた
思いつきの書き殴り
オメガバースの設定をお借りしてます
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる