血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
792 / 1,268
第33話

(27)

しおりを挟む
 自分の頬を撫でて、そう言って南郷は笑った。機嫌を損ねた様子はないが、物騒な男たちの表情ほど信用できないものはない。
「……すみません。殴るつもりは――」
「謝らなくていい。大事なオンナの機嫌を損ねた俺の失態だ」
 部屋を出て行こうとした南郷が、視線を伏せ気味にして立ち尽くす中嶋に声をかけた。
「中嶋、先生の世話を頼んだぞ」
 中嶋は短く応じて頭を下げる。南郷は最後に和彦を一瞥したが、このときどういう意味か、唇の端に笑みらしきものを浮かべていた。
 部屋に中嶋と二人きりとなると、和彦はズルズルとその場に座り込む。慌てて中嶋が駆け寄ってきた。
「先生、大丈夫ですかっ?」
 傍らに膝をついた中嶋に顔を覗き込まれそうになり、咄嗟に顔を背けた和彦は唇を拭う。
 中嶋に、南郷との口づけを見られたことが、自分でも意外なほどショックだった。
「先生……」
 遠慮がちに中嶋の手が肩にかかり、そっとさすられる。和彦はぎこちなく息を吐き出すと、おずおずと中嶋を見た。
「さっきのこと……、誰にも言わないでくれ。特に、三田村には」
 中嶋は一瞬だけ痛ましげな顔となる。
「言いませんよ。――俺は何も見ませんでした」
 小さな声で礼を言った和彦は、そのままうなだれる。さきほどの出来事について、まだ自分の中で処理しきれないのだ。中嶋は、和彦の髪を手櫛で整えながら、こう提案してきた。
「食事の準備がもうすぐできるそうですが、その前に風呂に入りましょう。さっぱりしますよ」
 今の自分に一番必要なのはそれだと、これ以上なく納得した和彦はコクリと頷いた。


 たった一人の無礼な男を除いて、和彦に対する配慮が行き渡っていたようで、宿を発つ時間になるまで、部屋には誰も入ってこなかった。そのため、長嶺の男たちが挨拶回りからいつ戻ってきたのかも、知らなかった。
 入浴を済ませてから食事をとったあと、窓辺に置かれた籐の寝椅子に身を預け、漫然と海を眺めていくうちに、いくらか和彦の精神状態も落ち着きを取り戻した。
 ただ、肉体的な疲労はまだ残っている。とにかく、動きたくなかった。
「……ぼくだけ置いていってくれてもいい」
 寝椅子に寝そべったまま和彦が言うと、スーツ姿の千尋が苦笑いを浮かべる。
「そんなこと、オヤジたちが許すと思う?」
「思わないけど、言ってみただけだ。……動きたくない。体がだるいんだ」
「ごめん。俺たちのせいだよね」
「そうだ。だから、謝るぐらいなら、ぼくを置いていってくれ。あとは勝手にする」
「――珍しいな。先生が千尋相手にわがままか」
 二人の会話に割って入ってきたバリトンの響きに、さすがに和彦もわずかに頭を上げる。
 千尋と同じくスーツ姿の賢吾が薄い笑みを向けてきたが、つい視線を逸らす。
「わがままじゃない。正当な主張だ」
「まあ確かに、今回の旅行は先生に負担ばかりかけたな。できることなら望みも叶えてやりたいが……、我慢して車に乗ってくれ。悪いようにはしない」
 傍らに立った賢吾が片手を差し出してきたので、渋々その手を掴んで起こしてもらう。
 組員によって荷物はまとめられ、和彦自身はジャケットを羽織るだけの身支度で部屋を出た。
 和彦に合わせてゆっくりとした歩調で歩きながら、千尋がちらちらとこちらを見る。最初は気にしていなかった和彦だが、熱っぽい眼差しを向けられるに至り、我慢できなくなった。エレベーターを降りたところで、小声で問い詰める。
「お前……、さっきからなんだ」
「えっ、いや……、さっきの駄々こねてる先生、可愛かったなって」
 和彦は、千尋が履いている上等な革靴を遠慮なく踏みつける。痛がりながらも、どこか楽しげな千尋は、さりげなく和彦の耳元に顔を寄せてきた。
「昨夜、すごかったね」
「お前、こんなところでっ――」
「俺たちと先生で、盃の契りを交わしたんだと思ったら、嬉しくてさ」
「……ぼくには、よくわからない」
 先を歩く賢吾が肩越しにこちらを振り返る。
「先生は、俺たちの特別な人ってこと。いままでもそうだったけどさ、昨夜のあれは――組織として公言したことになる。先生は、俺たちの盃を受け入れた。組織としてだけじゃなく、長嶺の家の一員だってこと」
「あれで?」
「先生に血を流させるのは偲びない、というのが、俺たちの共通認識だったんだ。だから、汗と唾液と精え――」
 もう一度千尋の革靴を踏みつけて、和彦は必死に睨みつける。きょとんとした顔をしたあと、千尋は実に締まりのない表情となった。
「上品だなー、先生」
「違う。ささやかだが、恥じらいがあるだけだ」

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...