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第33話
(25)
しおりを挟む和彦がようやく目を覚ましたのは、午前十時を少し過ぎた頃だった。
全身の力を奪い取られたようなひどい脱力感と腰に残る疼痛に、昨夜の出来事が本当にわが身に起こったのだと実感し、しばし呆然としてしまう。
空恐ろしさと不安、強い羞恥といった感情にたっぷり苛まれていたが、いつまでも布団の中にいるわけにもいかず、苦労して布団から出て、なんとか着替えを済ませる。このとき気づいたが、誰かが丁寧に後始末をしてくれたらしく、行為のあと特有の肌に残る不快さはまったくなかった。それでも体の奥には、まだしっかりと、長嶺の男たちの残滓が感じられる。
守光に言われた言葉を思い返し、なぜだか胸の奥が疼いた。そんな自分の反応に、和彦は戸惑う。まるで、あの行為を喜んでいるようだと思ったからだ。
しかし、今はあれこれ考えるには、気力も体力もあまりに足りない。
深くため息をついてから、覚悟を決めて襖を開ける。隣の部屋を覗いてみたが、そこには誰の姿もなかった。
座卓に歩み寄ると、メモ用紙が置いてあり、そこに千尋の字で、賢吾とともに挨拶回りに行ってくると書かれていた。『ゆっくり休んで』という一言も添えられており、和彦としては苦笑を洩らすしかない。
ふらつく足取りで窓に歩み寄り、外の景色を眺める。
強い陽射しが降り注ぐ砂浜に人の姿はなく、海は穏やかだ。一昨日、海で泳いで楽しんだばかりだというのに、もう遠い日の出来事のように感じられる。一足先に、自分の中で夏が終わってしまったかのようだ。
ぼんやりしていた和彦だが、微かに携帯電話の着信音が聞こえて我に返る。自分の携帯電話だと気づき、反射的に室内を見回してから、慌てて隣の寝室に戻る。電話の相手は中嶋だった。
『もしかして、まだお休みでしたか?』
「いや、起きたところだ」
『それはよかった。実は長嶺組長から、先生のお世話を頼まれたんです。本来なら三田村さんの役目なんでしょうけど、長嶺組長たちと一緒に出られたので、それで俺に』
内心、中嶋でよかったと安堵していた。ふらふらになっている自分の姿を、あまり三田村には晒したくなかったのだ。あらゆる痴態を見られてきたとはいえ、昨夜の〈あれ〉は特別だ。
『先生、お腹は空いてませんか? 朝食をとってないでしょう』
「お腹……」
和彦は、自分の腹に手を当てる。空腹なような気もするが、胸がいっぱいで、食べ物が喉を通る気がしない。微妙な状態を中嶋に伝えられる自信がなくて、曖昧に答える。
「食べたいような気もするが、実際目の前に食事が並ぶと、食べられないかもしれない」
『だったら、軽いものがいいですね。宿に頼んで、何か準備してもらいます。部屋で待っていてください』
中嶋は今日も甲斐甲斐しい。礼を言って電話を切った和彦は再び隣の部屋に行き、一度は座椅子に腰掛けたが、昨夜の光景がどうしても蘇って落ち着かない。
自分の体が自分のものではないような、奇妙な感覚に襲われる。なんとなく自分のてのひらを見つめていると、奇妙な感覚の正体がわかるようだ。
これまで、長嶺の男たちに所有されているという意識はあったが、昨夜のあの行為のおかげで、それは生ぬるい表現だと痛感した。この体に、長嶺の男たちの〈血〉が流し込まれたのだ。所有欲と独占欲、支配欲というドロドロとした〈血〉が。
そんなものを流し込まれたこの体は、自分のものでありながら、すべてが自分のものというわけではない――。
あの男たちは、どこまで求めてくるのだろうかと考えて、和彦は身を震わせる。厄介な疼きを伴った悪寒に襲われていた。
居たたまれない気分となり、結局また立ち上がり、窓に近づく。気分転換に散歩に出たいところだが、さすがにまだ足元が覚束ない。何より、湯を浴びて体を洗うのが先だろう。
熱を帯びたため息をついた次の瞬間、和彦は体を強張らせる。いつの間にか背後に、人が立っていることに気づいたからだ。
瞬間的に脳裏を過ったのは、長嶺の男たちを狙う侵入者の存在だった。しかし、そうではないとすぐに察する。同時に、自分の迂闊さを心の中で罵っていた。
もっと早くに違和感に気づくべきだったのだ。守光の側近である男の姿を、昨日から見かけていないことに。それがいかに不自然であることか。
「――少し日に焼けたか、先生?」
耳のすぐ後ろから囁きかけられ、総毛立つ。うなじに柔らかな感触が押し当てられ、不快さに呻き声を洩らす。和彦は身を捩ろうとしたが、背後から悠然と抱き竦められて、それだけで動けなくなった。逞しい腕の感触に、耳にかかる荒い息遣い、背で感じる大きな体躯は、和彦にとって嫌悪の象徴そのものだ。同時に、淫らな記憶も刺激される。
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