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第33話
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駐車場に停まっているのは長嶺組と総和会の車だけで、警護する者たちにとっても、動きやすい環境かもしれない。
部屋に案内された和彦はすぐにダークスーツから着替える。楽なポロシャツ姿になって一心地ついていると、隣の部屋で着替えを済ませた千尋が戻ってくる。今日はもう長嶺組の跡目としての仕事はないのか、Tシャツにハーフパンツという、和彦以上にラフな格好となっている。
「先生、砂浜に行こうよ」
「そういえば、散歩すると言ってたな。あまり歩くようなら、ちょっと遠慮したいんだが……」
ニヤリと笑った千尋が柔らかく陽射しを通す障子を開けると、海が視界に飛び込んでくる。さらに窓を開け放つと、潮の匂いを含んだ爽やかな風が室内に吹き込む。その風に誘われるように和彦は立ち上がり、窓に歩み寄る。意外なほど近くに砂浜があった。
ここから見ているから一人で行ってこいと言いたかったが、散歩を待ちわびている犬のような眼差しで千尋に見つめられると、車中で約束していたこともあり、頷くしかなかった。
護衛もついてくるかと思ったが、意外なことに千尋と二人で悠々と宿を出ることができた。その理由は簡単で、宿の外を長嶺組と総和会の人間が見張っており、関係者以外は迂闊に近づくことできないのだ。
「護衛にぴったり張り付かれるより、ずっと気楽じゃない?」
ビーチサンダルをペタペタと音をさせて歩きながら、こともなげに千尋が言う。
「まあ……。でも大変だな、この暑い中」
「俺とオヤジが動くだけならそうでもないけど、じいちゃんがいるからね。嫌でもピリピリする」
次の瞬間、千尋が歓声を上げて駆け出す。砂浜に出ると、ビーチサンダルを脱ぎ捨て、さっそく波打ち際に近づいた。
「本当に犬みたいだな……」
千尋のはしゃぎっぷりについ呟いた和彦だが、無意識のうちに笑みをこぼす。千尋のビーチサンダルを拾い上げて砂の上に腰を下ろす。
海水に足を浸してご機嫌の千尋を眺めていて、ふと気になって周囲を見回すと、木や岩の陰に身を潜めるようにしてこちらを見ている男たちの姿があった。
「……何が、『俺とオヤジが動くだけならそうでもないけど』だ。十分大変じゃないか」
おかげで和彦は、とばっちりを受けている。こんな景色も空気もいい場所では、一人でのんびりと歩きたいし、ぼんやりと海も眺めていたいのだ。もっとも、恨み言をこぼしたところでどうにもならないと、身に染みてわかってもいる。
陽射しが強いせいで、じっと座っていると頭がふらついてくる。たまらず立ち上がった和彦に、千尋が嬉しそうに手招きしてくる。
「先生、冷たくて気持ちいいよっ」
やれやれとため息をついた和彦は裸足となると、パンツの裾を捲り上げる。千尋に倣って足首辺りまで水に浸しながら、こう言っていた。
「昨日泳いだばかりだから、冷たくて気持ちいいのは知ってるんだけどな……」
「あっ、そういうこと言う?」
千尋が軽く海面を蹴り上げる。足に水がかかったので、遠慮なく和彦もやり返す。すると千尋が悪戯っぽい表情となったので、嫌な予感がしたのだ。案の定、両手で水をかけられ、ポロシャツまで濡れてしまう。反撃したいところだが、さすがにそれはできなかった。
「ぼくがやり返せないとわかってるだろ……」
「背中に海水がかかると大変なんだよね」
千尋がこちらに背を向けてきたので、和彦は聞こえよがしに呟いてみた。
「お前が大変なだけで、ぼくは別に痛くも痒くもないんだけどな――」
「わーっ、先生っ、医者のくせに物騒なこと言わないでよっ」
和彦がニヤリと笑って返すと、誤魔化すように千尋が突然、自分の足元を指さす。
「あっ、先生、小さい魚がいる」
当然、本気で仕返しをするつもりはなかった和彦は、腰を屈めて水に両腕を突っ込んだ千尋に忠告する。
「獲れるわけないだろ。それより、海に顔を突っ込むなよ」
「そんなことしないけどさ……、あー、やっぱり泳ぎたいな」
「……お前、本当にやめておけよ」
和彦の言葉が耳に届かなかったのか、千尋は海面を覗き込んだまま返事をしない。さすがに無茶はしないだろうと、和彦が砂浜に引き返そうとした瞬間、思いがけないタイミングで、思いがけない話題を千尋から切り出された。
「――そういえば、オヤジとじいちゃんが話してたんだけど、総和会本部に鷹津が押しかけてきたんだって?」
数秒の間を置いて、千尋の言葉を理解した和彦は、心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを覚え、顔を強張らせる。別に隠していたことではなく、いつ千尋の耳に入っても不思議ではないことだ。しかし、千尋が――長嶺の男が、なんの意図もなくこのタイミングで切り出すとは思えなかった。
部屋に案内された和彦はすぐにダークスーツから着替える。楽なポロシャツ姿になって一心地ついていると、隣の部屋で着替えを済ませた千尋が戻ってくる。今日はもう長嶺組の跡目としての仕事はないのか、Tシャツにハーフパンツという、和彦以上にラフな格好となっている。
「先生、砂浜に行こうよ」
「そういえば、散歩すると言ってたな。あまり歩くようなら、ちょっと遠慮したいんだが……」
ニヤリと笑った千尋が柔らかく陽射しを通す障子を開けると、海が視界に飛び込んでくる。さらに窓を開け放つと、潮の匂いを含んだ爽やかな風が室内に吹き込む。その風に誘われるように和彦は立ち上がり、窓に歩み寄る。意外なほど近くに砂浜があった。
ここから見ているから一人で行ってこいと言いたかったが、散歩を待ちわびている犬のような眼差しで千尋に見つめられると、車中で約束していたこともあり、頷くしかなかった。
護衛もついてくるかと思ったが、意外なことに千尋と二人で悠々と宿を出ることができた。その理由は簡単で、宿の外を長嶺組と総和会の人間が見張っており、関係者以外は迂闊に近づくことできないのだ。
「護衛にぴったり張り付かれるより、ずっと気楽じゃない?」
ビーチサンダルをペタペタと音をさせて歩きながら、こともなげに千尋が言う。
「まあ……。でも大変だな、この暑い中」
「俺とオヤジが動くだけならそうでもないけど、じいちゃんがいるからね。嫌でもピリピリする」
次の瞬間、千尋が歓声を上げて駆け出す。砂浜に出ると、ビーチサンダルを脱ぎ捨て、さっそく波打ち際に近づいた。
「本当に犬みたいだな……」
千尋のはしゃぎっぷりについ呟いた和彦だが、無意識のうちに笑みをこぼす。千尋のビーチサンダルを拾い上げて砂の上に腰を下ろす。
海水に足を浸してご機嫌の千尋を眺めていて、ふと気になって周囲を見回すと、木や岩の陰に身を潜めるようにしてこちらを見ている男たちの姿があった。
「……何が、『俺とオヤジが動くだけならそうでもないけど』だ。十分大変じゃないか」
おかげで和彦は、とばっちりを受けている。こんな景色も空気もいい場所では、一人でのんびりと歩きたいし、ぼんやりと海も眺めていたいのだ。もっとも、恨み言をこぼしたところでどうにもならないと、身に染みてわかってもいる。
陽射しが強いせいで、じっと座っていると頭がふらついてくる。たまらず立ち上がった和彦に、千尋が嬉しそうに手招きしてくる。
「先生、冷たくて気持ちいいよっ」
やれやれとため息をついた和彦は裸足となると、パンツの裾を捲り上げる。千尋に倣って足首辺りまで水に浸しながら、こう言っていた。
「昨日泳いだばかりだから、冷たくて気持ちいいのは知ってるんだけどな……」
「あっ、そういうこと言う?」
千尋が軽く海面を蹴り上げる。足に水がかかったので、遠慮なく和彦もやり返す。すると千尋が悪戯っぽい表情となったので、嫌な予感がしたのだ。案の定、両手で水をかけられ、ポロシャツまで濡れてしまう。反撃したいところだが、さすがにそれはできなかった。
「ぼくがやり返せないとわかってるだろ……」
「背中に海水がかかると大変なんだよね」
千尋がこちらに背を向けてきたので、和彦は聞こえよがしに呟いてみた。
「お前が大変なだけで、ぼくは別に痛くも痒くもないんだけどな――」
「わーっ、先生っ、医者のくせに物騒なこと言わないでよっ」
和彦がニヤリと笑って返すと、誤魔化すように千尋が突然、自分の足元を指さす。
「あっ、先生、小さい魚がいる」
当然、本気で仕返しをするつもりはなかった和彦は、腰を屈めて水に両腕を突っ込んだ千尋に忠告する。
「獲れるわけないだろ。それより、海に顔を突っ込むなよ」
「そんなことしないけどさ……、あー、やっぱり泳ぎたいな」
「……お前、本当にやめておけよ」
和彦の言葉が耳に届かなかったのか、千尋は海面を覗き込んだまま返事をしない。さすがに無茶はしないだろうと、和彦が砂浜に引き返そうとした瞬間、思いがけないタイミングで、思いがけない話題を千尋から切り出された。
「――そういえば、オヤジとじいちゃんが話してたんだけど、総和会本部に鷹津が押しかけてきたんだって?」
数秒の間を置いて、千尋の言葉を理解した和彦は、心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを覚え、顔を強張らせる。別に隠していたことではなく、いつ千尋の耳に入っても不思議ではないことだ。しかし、千尋が――長嶺の男が、なんの意図もなくこのタイミングで切り出すとは思えなかった。
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