血と束縛と

北川とも

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第33話

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 おかげで、次に目を開けたとき、すぐには状況が認識できなかったぐらいだ。
 笑っている千尋に間近から顔を覗き込まれ、優しく頬を撫でられる。
「もうすぐ着くよ」
「……どれぐらい眠ってた?」
「一時間も目を閉じてなかった。本当はとっくに着いてるはずなんだけど、渋滞に捕まったからね」
 まだ夢うつつの状態で説明を聞きながら身じろいだ拍子に、千尋の肩に頭をのせていることに気づく。
「すぐに起こしてよかったのに。重かっただろ……」
「先生が疲れてるの、俺とオヤジのせいだから、これぐらい大したことないよ」
 また昨夜の行為が蘇ってしまい、羞恥のため和彦は何も言えない。千尋も刺激されるものがあったのか、和彦の唇を軽く啄ばんできた。
 和彦はシートに座り直し、外の景色に目を向ける。海沿いの道を走っていたはずが、いつの間にか木々が生い茂った風景へと変わっている。和彦ががっかりしたように見えたのか、笑いながら千尋が教えてくれた。
「次の宿も、海のすぐ側なんだ。小さな砂浜があるんだけど、きれいで静かだよ。もちろん、遊泳OK」
「お前は、海で泳ぐのはもちろん、日光に背中を晒すのも厳禁だからな」
「……わかってるよ」
 露骨に千尋が残念そうな声を出すので、条件反射のように和彦はフォローしてしまう。
「散歩ぐらいならつき合うから」
 途端に千尋が目を輝かせ、和彦の手をきつく握り締めてきた。
 千尋が言っていた通り、五分もしないうちに車は駐車場――というより、単なる空き地に入った。車を降りた和彦は周囲を見回して戸惑う。建物らしきものが何も見えなかったからだ。あるのは、木々ばかりだ。森林浴にはうってつけの場所だなと思ったが、もちろんそんなことをするために、男たちもダークスーツに着替えたわけではないだろう。
「――先生」
 賢吾の声に呼ばれて振り返ると、守光と並び立ってこちらを見ていた。守光も痩身をダークスーツで包んでおり、和服姿を見慣れた目には新鮮に映る。
 二人とも黒がよく似合った。禍々しさを感じさせるほどに。
「俺はあの凄みが出せるのに、何年かかるかな」
 和彦の隣で、こそっと千尋が洩らす。
 護衛を含めて、総和会の関係者たちをその場に待機させ、長嶺の男たちは、長嶺組の幹部や組員の一部を引き連れて、先に続く坂道を上がっていく。和彦は、最後尾をついて歩く。守光に合わせてか、一行の歩みはゆっくりとしていた。
 一体にどこに向かっているのかという疑問は、男たちが手にしているものから、すでに氷解している。ダークスーツである理由も、それで納得がいった。
 うだる暑さに和彦がふっと息を吐き出した瞬間、ふいに涼しい風が吹いた。足元に落としていた視線を上げると、こじんまりとした霊園らしきものが視界に飛び込んでくる。人は見当たらず、とにかく静かだ。小高い丘の上にあるため見晴らしがよく、海を見下ろすことができる。
 一行が立ち止まったのは、大きく立派な墓の前だった。男たちは手際よく水や花を供え、線香を立てる。まず守光が手を合わせ、賢吾と千尋が続く。粛々と行われる男たちの合掌を、和彦はただ見守っていた。
『身内だけのささやかな恒例行事』という守光の言葉は、墓石に刻まれた文字を見て理解した。
〈献身に感謝して〉という一文のみで、誰の遺骨が納められているかはわからない。だが、この場にいる男たちには、それで十分なのだろう。厳粛な空気を肌で感じていると、そう思わせるだけの重みがあった。
 組員でもない自分などが手を合わせていいのだろうかと戸惑ったが、三田村に手で示された先で、長嶺の男たちに呼ばれ、おずおずと和彦は歩み出る。
 手を合わせ、ただ一言、こう心の中で呟いた。安らかに、と。


「抗争とか、物騒な事件ばかりじゃないんだ。事故とか病気とか。身寄りのない組員の遺骨を、あそこに納めているんだ。死んだあとは知らないって、薄情だろ?」
 車内で千尋の説明を聞き、和彦はぼんやりと、自分の場合はどうなるのだろうかと考えていた。ずっと先のことかもしれないし、もしかすると明日にでも――。
 自分の死後、どう扱われようがさほど興味はないし、そもそも現実味もないのだが、悲しんでくれる人がいるかどうかは、気がかりだった。
「しんみりしちゃった?」
 髪先に触れてきた千尋に問われ、和彦は曖昧な笑みで返した。
 少し早めの昼食を途中の店で済ませてから、今日宿泊するという宿に到着する。前日の宿とは違い近隣に人家はなく、豊かな自然の中、純和風の落ち着いた佇まいの建物は、場の空気に違和感なく馴染んでいた。守光の保養目的としては、最適な宿のようだ。

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